北へ(6)

 年が暮れようとしたある日、近北公きんほくこう[ハエルヌン・スラザーラ]より、遠駆けへつきあうように下命があった。

 馬の苦手なサレは断ろうとしたが、書状に「馬に乗れぬせんちょうなどは外聞が悪いので、あなたの訓練も兼ねての遠乗りである」と書かれていたので、仕方なくお供した。


 睡蓮館から出発する際、共に遠駆けへ参加するラシウ[・ホランク]に、サレは館を囲んでいる建物のひとつを指さして忠告した。

「私なら、あそこに弓兵をひそませて、館から出て来た公を射るぞ。それへの備えはどうなっている?」

 答えられないで、唇を固く結んでいるラシウに代わり、近北公が「そういうものかな」と言ったので、サレは「そういうものです」と言葉を返した。

「ちゃんと対応をしておけ。それがおまえの仕事だろう。仕事はしっかりとしろ。自分だったら、どうやって公を仕留めるか考えて、そこから逆算するのだ」

 しっせきを受けたラシウは、じっとサレを見るばかりで唇を開かなかった。

 すると、またしても、近北公が口を挟んで来た。

「言いたいことはわかるが、私としては、気分の悪くなる話だな」


 道中、近北公とサレが、馬をゆっくりと走らせていると、若い百姓夫婦が仲睦なかむつまじく作業をしているのが目に入った。

 その様を横目で見ながら、近北公がサレに言った。

「百姓の生活の苦労は知っているつもりだが、彼らがうらやましい。その日やれることをやれば、毎日、ぐっすりと眠れるだろう。……もうだいぶ前から、しっかりと睡眠を取れたことなどない」

 返答に悩んだサレが無言でいると、近北公が話を変えて来た。

「おまえには、青春と呼べるものはあったか?」

 妙な質問だったが、まつりごととは関係のない話であったので、サレは気楽に答えた。

「まあ、ありませんでしたね。友と呼べる者も、好きになった女もおりませんでしたので」

「私もだ。初陣ういじんは八歳か九歳だった。それから、二十年以上、いくさばかりだ。正直、もう、疲れたよ。……千騎長は、いくさびとの家に生まれて来て満足か?」

「生まれて来たくはありませんでしたな。……泥水は苦い。わたくしは、金持ちの商人の家に生まれてきたかったです。借金の苦労もせずにすみますし」

「身分は何でもいいが、友に囲まれて安楽に生きたかったよ、私は。青春というのを楽しんでみたかった。……私にも友はいた。西せい[ザケ・ラミ]の兄だ。弟とちがってよくしゃべる男だった。まあ、ザケも兄が殺されるまではよく笑う男だったがな」

 畑で作業をしていた少女が近北公に気づき、深々と頭を下げた。それに対して、近北公は手を挙げて応じた。

「女か……。恋や愛は平民のもの。貴族や騎士が恋や愛で婚儀を挙げるとろくなことがない。しかし、たまに、ザユリイ・ムイレ・レセと結ばれていたら、もっとましな生活を送れていたかもしれないと思うことがある。たまにな。……しかし、どうして、ああも強引に、大公[ムゲリ・スラザーラ]は公女[ハランシスク・スラザーラ]どのとの婚儀を進めたのだろうな。こちらに利がなかったわけではないが、ふしぎといえば、ふしぎな話だった」

 疑問を口にする近北公に、サレは余計なことを言わないように口をつぐんだ。

「まあ、いい。私は疲れているようだ。いま話したことは忘れろ。その代わりに、千騎長、よくおぼえておけよ。貴族や騎士などというものは、くわすきと変わらない。百姓のための道具に過ぎない。その刃先が彼らを傷つけるようならば、捨てられるべき、他の道具にとって代わられなければならない存在だ(※1)。それを常に忘れずに、荒地をどうにかしろ」


 帰り道、ラシウがサレの馬を脅かして、あやうくサレは落馬という、いくさびととして不名誉きわまりない事態におとしいれられるところであった。

 「私とちがって、いつまでも馬を上手に扱えない、兄上がわるいのです」と、意趣返しの言葉をラシウが吐いた。


 ラシウは公からしばらく暇をもらい、そのまま荒地へ戻るサレへ同行した。

 その道中、サレが「公はどうだ?」とたずねると、「横で見ている限り、からっぽでさみしい男です」と、ラシウが言葉を返して来た。

 それに対してサレは、「そうか」としか言えなかった。



※1 他の道具にとって代わられなければならない存在だ

 ハエルヌンは近北州の平民にとっては、金山を巡る州内の混乱を収めたうえに、善政を敷いてくれている名主であったが、騎士には、規律を含めて、厳しい姿勢でのぞんでいたため、とても恐れられていた。

 また、近北州の権力基盤を固める中で、祖父に仕えていた旧臣派を徹底的に排除し、自身の従者であった直臣派ばかりを重職につけていたため、旧臣派子弟の不満が高まっていた。

 その直臣派の騎士たちにしても、少ない人数で州の政治を回さねばならなかったので、多くの者が困憊こんぱいしていた。そこに現れたのが、ハエルヌンにとって便利な男、ノルセン・サレであった。

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