北へ(6)
年が暮れようとしたある日、
馬の苦手なサレは断ろうとしたが、書状に「馬に乗れぬ
睡蓮館から出発する際、共に遠駆けへ参加するラシウ[・ホランク]に、サレは館を囲んでいる建物のひとつを指さして忠告した。
「私なら、あそこに弓兵を
答えられないで、唇を固く結んでいるラシウに代わり、近北公が「そういうものかな」と言ったので、サレは「そういうものです」と言葉を返した。
「ちゃんと対応をしておけ。それがおまえの仕事だろう。仕事はしっかりとしろ。自分だったら、どうやって公を仕留めるか考えて、そこから逆算するのだ」
すると、またしても、近北公が口を挟んで来た。
「言いたいことはわかるが、私としては、気分の悪くなる話だな」
道中、近北公とサレが、馬をゆっくりと走らせていると、若い百姓夫婦が
その様を横目で見ながら、近北公がサレに言った。
「百姓の生活の苦労は知っているつもりだが、彼らがうらやましい。その日やれることをやれば、毎日、ぐっすりと眠れるだろう。……もうだいぶ前から、しっかりと睡眠を取れたことなどない」
返答に悩んだサレが無言でいると、近北公が話を変えて来た。
「おまえには、青春と呼べるものはあったか?」
妙な質問だったが、
「まあ、ありませんでしたね。友と呼べる者も、好きになった女もおりませんでしたので」
「私もだ。
「生まれて来たくはありませんでしたな。……泥水は苦い。わたくしは、金持ちの商人の家に生まれてきたかったです。借金の苦労もせずにすみますし」
「身分は何でもいいが、友に囲まれて安楽に生きたかったよ、私は。青春というのを楽しんでみたかった。……私にも友はいた。
畑で作業をしていた少女が近北公に気づき、深々と頭を下げた。それに対して、近北公は手を挙げて応じた。
「女か……。恋や愛は平民のもの。貴族や騎士が恋や愛で婚儀を挙げるとろくなことがない。しかし、たまに、ザユリイ・ムイレ・レセと結ばれていたら、もっとましな生活を送れていたかもしれないと思うことがある。たまにな。……しかし、どうして、ああも強引に、大公[ムゲリ・スラザーラ]は公女[ハランシスク・スラザーラ]どのとの婚儀を進めたのだろうな。こちらに利がなかったわけではないが、ふしぎといえば、ふしぎな話だった」
疑問を口にする近北公に、サレは余計なことを言わないように口をつぐんだ。
「まあ、いい。私は疲れているようだ。いま話したことは忘れろ。その代わりに、千騎長、よくおぼえておけよ。貴族や騎士などというものは、
帰り道、ラシウがサレの馬を脅かして、あやうくサレは落馬という、いくさびととして不名誉きわまりない事態に
「私とちがって、いつまでも馬を上手に扱えない、兄上がわるいのです」と、意趣返しの言葉をラシウが吐いた。
ラシウは公からしばらく暇をもらい、そのまま荒地へ戻るサレへ同行した。
その道中、サレが「公はどうだ?」とたずねると、「横で見ている限り、からっぽでさみしい男です」と、ラシウが言葉を返して来た。
それに対してサレは、「そうか」としか言えなかった。
※1 他の道具にとって代わられなければならない存在だ
ハエルヌンは近北州の平民にとっては、金山を巡る州内の混乱を収めたうえに、善政を敷いてくれている名主であったが、騎士には、規律を含めて、厳しい姿勢でのぞんでいたため、とても恐れられていた。
また、近北州の権力基盤を固める中で、祖父に仕えていた旧臣派を徹底的に排除し、自身の従者であった直臣派ばかりを重職につけていたため、旧臣派子弟の不満が高まっていた。
その直臣派の騎士たちにしても、少ない人数で州の政治を回さねばならなかったので、多くの者が
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