北へ(2)

 近北州に入ると、「南管区の東側にある荒地をどうにかしろ」と近北公きんほくこう[ハエルヌン・スラザーラ]に命じられ、サレは広大な荒地の代官に任ぜられた。

「都でのおまえの手腕を評価したうえでの任官だ。私の期待を裏切るなよ」

 そのように公は説明した。

 荒地には、四年前に都から公が連れて来た若者たちも、屯田兵として暮らしていた。都より良い暮らしができると思っていた彼らは、荒地の様をみて、さぞ落胆したことであろう。

 都とホアラでしか暮らしたことのないサレには、若者たちの気持ちがよくわかった。


 代官着任に合わせて、サレは千騎長に昇進した。

 りょうさい[ウベラ・ガムスン]どのからは、「あれだけ色々やらされてようやくだ。そのうえ、荒地の代官ときた。でも、まあ、おめでとう。これで父上に並んだな」との言葉をもらった。


 荒野とは言え、広大な土地の代官に任じられたうえに、千騎長へ選ばれたことで、他の家臣たちからしっされるかと思ったが、それほどでもなかった。

 みな、公を恐れていたので、彼の決定にはすなおに従ったのか、サレの処遇がうらやましいものではなかったのかは不明であった。

 もしかしたら、サレが両宰どのの友人だったので、家臣たちは遠慮をしていたのかもしれなかった。

 サレはいつでも両宰どのに会えるめずらしい人間であり、用件がなくとも彼の執務室へ出向き、ほとんど会話を交わさずに帰ることもあった。

 話を聞いてみると、近北州のいくさびとの理想は、公にあまり関わらない役目につきつつ、豊かな土地を拝領することであった。こちらもまた、彼らの気持ちがサレには深く理解できた。

 後年、近北州のいくさびとたちとサレの軋轢あつれきは増すばかりであったが、最初はちがった(※1)。


 公に叱られることの多かった北左[クルロサ・ルイセ]どのとは、相通じるものがあり、最初から馬が合った。

 しかし、近北州に来てはじめてあいさつを交わした時に、次のように言われた際には、北左どのは何かしらの神経症ではないかと、サレは疑った。

「近北公に怒鳴られているときはですね、自分のことを虫だと思うのです。しがない羽虫だと」

 それに対して、サレは会話の中で、自分の能力に自信のない北左どのに、「実際の実力を正しく把握していれば、本当に能力が低くても人生は何とかなります。たとえ、羽虫であろうともです。逆に、有能な者でも、自分の実力を見誤れれば破滅していきます(※2)」というようなことを伝えた。

 サレは会うたびに、北左どのを何かしら励ました。しかしながら、後から考えてみると、もっと親身に相談へのるべきだったかもしれなかった。


 任地に赴いたサレは、まず、不正を行っていた役人の中から、何かしら使えそうな者は残しておいて、その他の者を斬るなり(※3)、金山送りにするなりした。その苛烈な処置は、「人を簡単に殺すな」と公の怒りを買ったが、サレは意に介さなかった。

 さっそくサレには、近北州でも「切りたがりのサレ」というありがたくない二つ名がついたが、上の処断のおかげで、ずいぶんと仕事がやりやすくなった。

 なお、不正役人を処刑することについては、ポドレ・ハラグとオーグ[・ラーゾ]が、後難を恐れて強く反対した。ふたりを甘いと考えるか、思慮深いととらえるかは、人それぞれであったろう。


 サレは千騎長に任じられると、家来の中から百騎長を選んだ。

 筆頭百騎長は家宰のポドレ・ハラグ。その他は、ゼヨジ・ボエヌ、ロイズン・ムラエソ、オントニア[オルシャンドラ・ダウロン]にオーグらであった。


 新たに従者となった兵の中で、騎兵を志す者をオントニアに預けた。

 彼のしごきのせいで、少なくない数の者が死んだが、オントニアは気にしなかった。

 それについては、致し方のない部分もあったが、サレはオントニアの扱いに悩んだ。

 ハラグがいつものように、「角をめれば牛は死ぬと言います」と言って来たので、「とにかく、あまり殺すなと言っておけ。私の代わりに死んでくれる者たちなのだから」とサレは言葉を返した。


 サレは、連れて来た兵たちを遊ばせておくのが嫌だったので、荒地に水路を引かせたり、橋や道路をつくらせたりした。兵の糧秣については、しばらくの間、公が面倒を見てくれた。これは実に助かった。

 また、ムラエソに命じて、村々の子供たちに教育をほどこさせた。

 サレが荒地にいたのは二年ぐらいであったが、思った以上の成果を出すことができた(※5)。


 近北州はいくさびとが戦いにかまけすぎており、また、財政も金山任せのきらいがあり、総じて、行政はざるという印象をサレはもった。

 他国にいくさを仕掛ける前に、州内でやるべきことがまだまだあるのではないか、というのがサレの結論であった。

 ただし、公の名誉のために付け加えておけば、荒地の生活といえども、百姓の生活は、西南州の者たちよりも穏やかなものであり、みな、生き生きと家業に励んでいた。

 公は百姓から恐れられつつも敬意を払われていた。


 この荒地での生活は、サレの生涯の中でも、いちばん平穏な日々であった(※4)

 なにより、長子のオイルタンをはじめとして、家族と暮らせるようになったのがありがたかった。

 サレが都にいたので、オイルタンの馬初うまはじめの儀式は参加できなかったが、弓初ゆみはじめのほうは見届けることができた。

 オイルタンはすくすくと成長していった。それは何より、サレにとって喜ばしいことであった。



※1 最初はちがった

 前にも書いたが、この回顧録は、領地をもたぬ近北州のいくさ人たちとサレが、不倶ふぐ戴天たいてんの敵となる九一三年の軍務監選任問題以前に書かれたものである。

 ウストリレ進攻問題が本格化する前より、近北州のいくさ人たちと反進攻派のサレとの不和は、先鋭化こそしていなかったが、その対応にサレが苦慮していたことが読み取れる。


※2 有能な者でも、自分の実力を見誤れれば破滅していきます

 モウリシア・カストのことを念頭に置いた発言か。


※3 その他の者を斬るなり

 人を集め、サレが自ら斬ったとのこと。その見事な太刀たちすじは評判となり、ハエルヌンが「首を斬られるのならば、ノルセンに限るな」と近習に語ったとの由。


※4 思った以上の成果を出すことができた

 いくさのない時代に生まれていれば、サレは優秀な行政官として、一生を全うできたのかもしれなかった。しかし、時代がそれを許さなかった。

 治世ちせの能臣になれたかもしれなかったサレは、一部の者たちから、乱世の奸臣と呼ばれながら、その生涯を終えた。


※5 サレの生涯の中でも、いちばん平穏な日々であった

 その後のサレの後半生を暗示させる一文である。

 回顧録が執筆された当時(九一二年ごろ)の自身の置かれていた状況から、何か悟るところがあったのかもしれない。

 「短い内乱」終結後のサレの人生は、ウストリレ進攻の可否をめぐり、これを是とする者たちとの政争に明け暮れ、その中でふんに近い状況で幕を閉じた。

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