第四章
亡霊 (1)
九月二日。
大公は新教徒であったため、旧教徒である公女[ハランシスク・スラザーラ]は祭事を司ることはできなかった。よって、大公の
地位が人をつくるというが、儀式に慣れているのだろう、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]の立ち居振る舞いは立派で、サレは密かに彼を見直した。
葬儀の最中、近西州の
そのようなことは幾度もたずねられ、また、大公の葬儀の場で聞くような話でもなかったが、いくさに巻き込まれた身として前々からぜひ聞きたかったので、なぜ、老公[コイア・ノテ]が乱を起こしたのかについて、サレは万騎長どのにたずねた。
サレの問いに、万騎長どのは苦笑しながらも次のように答えてくれた。
「なにも聞いていないからわからない。届いた書状には前の大公に対して挙兵したので、兵を動かすようにという指示しか書かれていなかった。……胸中に何かしらの思いがあり、それが実現可能と踏んだ瞬間に行動へ出たのだろう。だから成功した。私に相談するなり、私の兵を待っていたら失敗していたにちがいない」
また、葬儀の前に、遠北州の使者に対して、公女が名を挙げていた天文学者を都へ呼び寄せる件について相談したところ、快諾を得た。
使者はその学者の事を知らなかったが、遠北州としては、これを機会として、近北州と和議を結びたかったのだった。
のちほど、この件を書状にてウベラ・ガスムンに知らせたところ、ひどく喜んだ。
遠北州はサルテン候[ルオノーレ・ホアビアーヌ]の切り取り次第となっていたが、その手段を選ばぬ
葬儀が終わった後、コステラの平民に銅銭を配った。
銭の出どころの半分は公女で、残りの半分は近北公と東州公が折半して出した。
サレとしては全額を公女に出させたかったが、両公の申し出を断る勇気はなかった。
その後、酒宴が催された。
めずらしく不平を言わず、公女は最後まで立派に酒席の主催者を勤め上げた。臣として誇らしい気持ちにサレはなった(※2)。
宴の前に、近北公、[オリサン・]クブララどの、サレの三名は、ボルーヌ・スラザーラを
サレの口から、東州公や摂政[ジヴァ・デウアルト]も同意していることを告げられると(※3)、外堀を完全に埋められたことを悟ったボルーヌはうな垂れて、体調不良を理由に酒宴に出ず、鳥籠[宮廷]へ戻って行った。
だれに何を吹き込まれていたのかは知らないが、ボルーヌ自身は、娘に家督が譲られるものとばかり思っていたらしい。笑止千万な話であった。
大公の葬儀が終わり、ボルーヌの娘の件も概ね片がついたので、サレは一区切りがついたと考え、長男のオイルタンが早く大きくなり、家督を譲るその日が来るのを待ち遠しく思った。
自分の役割も一区切りがついたと、サレはその時は思ったのだった(※4)。
※1 近西州の万騎長[ロアナルデ・バアニ]どのと会話を交わす機会をサレは得た
本文には言及されていないが、近西州ライリエのムゲリが焼死した館跡から、バアニが灰を持参して、遺体の代わりに棺へ納めた。
現在、コステラのムゲリの墓中に入っているのは、その灰である。
※2 臣として誇らしい気持ちにサレはなった
酒宴には、サレの配慮で、ハランシスクと文通などで付き合いのある学者が多く招待されており、彼女はその相手をしていればよかった。
参列したある学者の日記によると、公女との会話は楽しかったが、傍で
また、ゴレアーナの紹介で異国の布教者も宴に出席していたが、ハランシスクと話した彼は、彼女を無神論者と断じている。ハランシスクの言動をみるに、熱心ではないが、旧教徒としての振る舞いに問題はなかったように見受けられる。異教徒にはそのように見えたというだけの話であろう。
※3 東州公や摂政[ジヴァ・デウアルト]も同意していることを告げられると
ジヴァの同意を実際に得ていたのかは不明。サレが出まかせを言ったか、もしくは記憶ちがいの可能性がある。
※4 自分の役割も一区切りがついたと、サレはその時は思ったのだった
この一文には深い自虐が含まれている。
この文章が書かれたのは新暦九一三年、サレの生涯の中で、いちばん穏やかに日々が過ぎている時期であったが、ウストリレ進攻の是非を巡る最初の政争である「軍務監選任問題」が起きようとしており、サレの胸中は平穏なものではなくなりつつあったはずである。
結果、サレは、娘たちの縁戚関係で結ばれたサレ派の総帥として、ブランクーレを後ろ盾(サレの側近政治と揶揄された)とし、泥沼の政争の中心人物となって、苦心惨憺たる後半生を、その死にいたるまで送ることになる。
サレが言及しているように、確かに、ブランクーレがスザレ・マウロに勝ち、ゴレアーナと妥協を成立させたことで、七州の覇権をめぐる争いには、八九九年に一つの区切りがつき、「ハエルヌンによる春」への道筋はつけることができていた。
しかしながら、その春を
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