後継者たち (九)

 サレが天幕に入ると、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]が銀製の馬上杯をながめていた。東州公[エレーニ・ゴレアーナ]より贈られたものであった。

 近北公はサレを呼び寄せて杯を持たせると、酒をなみなみとそそぎ、飲めと命じた。場が妙な雰囲気に包まれる中、サレは杯を飲み干した。


 小さな円卓越しに対峙している両公の後ろには、それぞれの側近が二名づつ立っていた。

 サレも近北公側に並ぼうとしたが、東州公に止められて、円卓へ坐ることになった。「おまえは証人だ」とのことであった。


 先に口を開いたのは近北公であった。宴席のつづきのように、話は雑談から入ったかに思えた。

「ことしはさむいな。きょうとてそうだ。例年ならば、こんな時間に酒宴などは開けなかっただろう。暑くて……。なあ、ひゃっちょう

 話を振られたサレは、戸惑いながら「はい」と応じた。

 東州公が「空の様子からみて、明日は雨だな。ことしは雨が多い」と話を受けると、近北公がうなづいた。

「ことし、作物のできはわるいだろう。それはつまり、いくさなどという贅沢ぜいたくなことをしている場合ではないという話だ。汚れた家名だが、それでもブランクーレ家の名にかけて、州民を飢えさせてまでいくさをするつもりは、私にない。来年、彼らの腹を満たさせるのはむずかしそうだ」

 そのように近北公が話すと、「そのとおりだ」と東州公が彼の杯に葡萄酒をそそいだ。

「穀物が不作だと、南部州からの移入に頼っている西部州が飢える。そうすると鉄の生産がとどこおる。加えて、東南州の木綿が不作になれば、火縄が作れなくなる。そうなると、銃が造れなくなり、東部州が困るようになる……。私は旧教徒ではないが、この寒さは天が我らに何をするべきなのか示しているようにも見える」

 東州公の長広舌が終わると(※1)、近北公が彼女へ杯を注ぎ返しながら言った。

「私の思いをわかってくれて助かるよ。……しかし、いろいろと迷惑をかけているようだな」

「それはこちらも同じようだ。……近北公」

 両公の視線がサレに集まったので、彼は目のやり場に困った。

 サレに冷笑をひとつ与えると、近北公は東州公の方へ視線を戻した。

「昔、憎からず思い合っていた男と女が争うなんて、ばからしいと思わないか。まあ、愛や恋は平民のもので、そもそもばかばかしいものだが……」

「男は昔の女をいつまでも忘れないが、女は新しい男ができると昔の男のことなど忘れてしまうものらしいぞ。平民出身の侍女が言っていた」

「オアンデルスン・ゴレアーナはそれほどいい男か?」

「少なくとも公より顔はいい」

「それは大事なことだな。……そろそろ、積もる話はあとにして、先に仕事を片付けてしまおうか」

 近北公が雑談とは言えない代物しろものを打ち切ろうとすると、「ああ、そうだな」と東州公が応じた。


 「仕事」の話として、いろいろな事柄が決定されたが、サレとしては、東州公がスラザーラ家の家督をボルーヌの娘に云々という話を、近北公の前で取り下げてくれたのが助かった。

 やはり、サレ個人としては、ハランシスクさまにスラザーラ家の当主であってほしかったのだった。

 そのほかに決まったこととしては、東部州と東南州の争いについては(※2)、両者の協議に任せ、近北州および近西州は中立の立場を取ることと、三州間の交易の継続についてできるだけの対応をすることを再び約した(※3)。

 また、万が一、いくさになった場合でも、鳥籠[宮廷]に相手を公敵にするように働きかけるのは、彼らを利することになるからそうと、近北公が提案した。これを東州公が受け入れた。

 話の大枠が決まったのを受けて、サレが約定書を書いた(※4)。


 サレが書き終えた約定書に、両公が花押を記した。サレも裏書をするように強いられたうえに、公女[ハランシスク・スラザーラ]の花押をもらってくるように指示を受けた。

 妥協がなると、近北公が「これでいくさはだいぶ遠のいた。こうなると、いくさびとの数がお互い多すぎるな。何なら、年を越せぬ虫のように死んでくれればよいのに。この冬の寒さで」と物騒な言葉を吐いた(※5)。

 それに対して、東州公は「そんな柔な存在であるなら、私も公も苦労はしていないよ」と返した。

 「大公[ムゲリ・スラザーラ]はよく抑えられていたな」と近北公が口にすると、「抑えられていたら、北伐など起こしたかね」とサレにとって興味深い発言を東州公がした。

 それに対して、近北公は「一理あるが、さあ、どうだったのか」と言葉を濁した。


 両公を残して、サレと側近たちは天幕の外へ出た。

 側近たちはこれからふたたび、協議を行うとのことだった。

 長い一日がようやく終わる解放感から、近北公の側近にサレが「男と女が二人きりで、何をするのでしょうな?」とささやいたところ、「さあ、いらぬ勘繰りをする御人に、消えてもらう手立てでも話し合われるのでは?」と、疲れ切った表情で言葉を返して来た。

 それに対して、「怖い、怖い」と言いながら、サレは帰宅の途についた。




※1 東州公の長広舌が終わると

 うがった見方をすれば、サレの平民の暮らしに対する無関心を表している叙述である。



※2 東部州と東南州の争いについては

 ゴレアーナが東南州東管区を欲しがったのは、主に東部州の防衛上の観点からであった。それに対して、タリストン・グブリエラが必死の抵抗を見せていた主な理由は、産業上の重要拠点である南管区が、ゴレアーナの領地と直接接するのを嫌ったためである。

 東管区自体は産物に乏しいうえに、土着の豪族の力が強く、きわめて治めにくい土地であった。



※3 三州間の交易の継続についてできるだけの対応をすることを再び約した

 近北州は、平民の暮らしの安定を図るため、銭の材料となる銅と砂糖を求めていたのに対して、東部州は、東方諸国との海外貿易の決済手段として金が必要であった。

 このために、両州にとって、交易の維持は重要な課題であった。



※4 サレが約定書を書いた

 写しが現存しており、本文に触れた部分は以下のとおり。


一、スラザーラ家の家督問題については、ハランシスク・スラザーラの意思を尊重し、ゴレアーナおよびブランクーレ家はこれを縁戚として支える。


一、近西州および近北州は、東南州と東部州の紛争について、東南州東管区に関する事柄については、両州の話し合いなどによる解決に任せ、これに干渉しない。


一、近西州・近北州・東部州の三州は、州民の生活の安定および向上を期するため、各州特産物の交易の維持に関して、力を合わせてこれにあたる。とくに、これを妨げる勢力に対しては、断乎たる処置を三州一致して取る。

(この条文の妨げる勢力とは塩賊を指すと思われる。サレの意向がはたらいたのであろう)


一、国主に対して、公敵の宣告を上奏することは三州ともにこれを控える。



※5 物騒な言葉を吐いた

 新暦八九九年九月一日夜、コステラ=デイラの花街はなまちにて、「八九九年の妥協」はなった。

 この妥協により、近北州と東部州のいくさは避けられた。

 しかし、ブランクーレおよびゴレアーナが危惧した通り、寒冷により、この年は大不作にみまわれた。

 また、いくさがないことによる不満が両州のいくさびとの間で高まった。

 結局、このふたつが原因となり、この和平は四年しか続かなかった。


 しくも、「八九九年の妥協」で顔を合わせた三人は、「短い内乱」の終結後、いまだ戦いを望むいくさびとへの対応に苦慮することとなる。

 その中で、ブランクーレが傍観し、ゴレアーナの身動きが取れない中、矢面に立たされたのはサレであった。

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