後継者たち (七)

 屋敷を訪れていた客たちを置き去りにして、日が沈むにはまだ早い時刻に、サレは鹿しゅうかんへ参上した。


 近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]は庭にて、公女[ハランシスク・スラザーラ]が造らせたコステラの模型をながめていた。

 その背中に向けてサレがあいさつをすると、傍に控えていた従者たちはふたりから離れた。

ひゃっちょう、わたしはな、酒の席のことでもうらみは忘れない男だ」

 そのように近北公が嫌味を言ってきたので、サレも「それは悪い習慣です。ぜひ、直されるべきかと愚考いたします」と言葉を返した。

 サレの言を近北公は鼻で笑うと、「うらみも忘れないし、やると言ったことはやってもらう」と模型から目を離し、サレを見た。

「わかっております。改暦については、摂政[ジヴァ・デウアルト]の側近であるオルネステ・モドゥラおよび、改暦に好意的な西せいぐうを使って、進めてまいります」

「摂政の側近?」

「はい。鳥籠[宮廷]の中では、話の分かる男です」

「なるほどな。まあ、お手並み拝見と行こう。ところで、西宮派とはどういう連中なのだ。説明しろ」

 そのように言いながら、近北公が模型の回りを歩きはじめた。


 近北公は模型を巡るなかで、東州公[エレーニ・ゴレアーナ]のように、サレが公女へ残しておくように話した堀のところで足を止め、屈みこんだ。

「わかった。昨夜は急ぐように言ったが、話のように、道筋が定まっているのならば、着実に進めろ。多少遅れても構わん」

 専制者の気まぐれに辟易へきえきしながら、サレは「承知いたしました」とその背中へ向けて頭を下げた。

「しかし、いいのか。鳥籠からの命により、公女どのが改暦の推算をしていたという話にするのは。それではあの方にもご不満が残るのではないか?」

「問題ないと思います。そういうことを気にされるお方ではありませんので」

「確認したのか?」

「いいえ、いまはわたくしに会いたくないとのことですので……。念のため、後日、確認を取ります」

 サレの言葉に、近北公は彼のほうを一瞥いちべつして、「難儀なお方だ」と苦笑した。

「今さっきまで話していたが、賢いのか愚かなのかよくわからん。おかしな方だな」

 サレは返答に困り、「ところで、スラザーラ家の当主の件ですが……」と話題を変えた。

 すると、近北公は模型の堀を見つめながら、「ああ、その件か。それはもういい。片がついた」と言った。

 サレが驚いて、「どういうことでしょうか」とたずねると、「先ほど、公女どのに確認したところ、ご自分が責任をもって勤めるとのことだ。そう言われた以上、話は終わりだろう?」と近北公が淡々と口にした。

 公女の判断を聞き、あんしたサレに、近北公が話をつづけた。

「スラザーラ家の家督に私はさほど興味はないが、公女どの自身が降りたがっているとした場合、あの雀蜂がどう騒ぎ出すのかに興味はあった……。はてさて、彼女の野心はどの程度なのやら。おまえはどう見る?」

「……近北公と同程度かと。あんがい、直接お会いになれば、すんなりと行くのでは」

「楽観的だな、おまえは……。しかし、ずいぶんとエレーニ・ゴレアーナのことを知っているな。おまえも、彼女の色香にやられたか?」

「ご冗談を」

「そうだな。おまえはそういうのには平気な性質たちに見える」

 しばらくの間、近北公が右のこめかみに手をやり、何かを考えている風だったので、サレも黙った。

「どうも、都にのぼってから、彼女の羽音が聞こえる。……スラザーラ家の当主の件についても、公女どのの自覚をうながすのが、エレーニ・ゴレアーナの目的だったのかもな」

「断定はいたしかねますが、否定の材料は少ないかと……」

「まあ、よかろう。今晩、彼女と会う。おまえも顔を出せ」

 近北公の命令に、サレはやや間をおいてから同意した。


 話が長引くことを考えてか、近北公の従者が椅子を二脚持って来た。

 近北公はそれへ坐り、飽きずに模型を見続けていた。

 サレは手を挙げて、椅子が不要であることを無言で伝えた。すると、従者は一礼して場を去って行った。

「それにしても、公女どのはなぜ、スラザーラ家の当主から降りようとしなかったのだろうな。エレーニ・ゴレアーナがお父上のお気に入りであったから、顔には出さぬが思うところがあって、それへの反発で降りられなかったのかな?」

「東州公に降りろと言われたから、降りなかった、ということでしょうか。まさか、そのようなことは……(※1)」

「どちらにしても、気難しい方であることには変わりない。……女など言うものは、家の中であいよく振る舞い、元気な子供を産めばそれでいいのだ」

「……そういうものでしょうか?」

「そういうものだ。おまえの奥方のようにな」

 しばらくの沈黙の後、「公女どのは」と近北公が声をかけてきたので、サレは「はい」と応じた。

「自分の判断の如何いかんによっては、むだないくさがはじまるかもしれない。多くの者が死ぬかもしれない。それをわかっておいでなのだろうか?」

「わかっておられませんし、わかろうともしておられないのでは……。もともとそういうお方なのです」

「本当か? そうなら、前の大公[ムゲリ・スラザーラ]をはじめとして、おまえたちの接し方が、育て方が悪かったのではないか」

「ハランシスクさまは幼いころから、他の者によって生き方を変えられるお方ではありませんでした」

「そのような人間がいるとは信じがたいな。自分たちの怠慢を公女どのに押しつけているように、私には聞こえる。……まあ、それはいいとして、少なくとも、私の妻となるのならば、私が好きで人をあやめているわけではなく、自分なりにいくさのない世の中を求めていることを理解し、できるだけの助力をお願いしたいものだな」

 近北公の言に、サレは即答しなかった。公女の今後に深く関わると思ったため、慎重に考えた結果、曖昧なことは言うべきではないと次のように返答した。

「それはハランシスクさまにはできないことでしょう。もし、公女さまの影響力を気になされておいでならば、幽閉でもされればよろしいかと。彼女の生活には何の変わりもありませんから……」

 上のサレの言に対して、近北公は彼を振り返り、冷たい視線を与えた。

「私は祖父を幽閉し、餓死させた。形だけの間柄とは言え、これ以上、身内をそのような目に会わせる気はない」

 静かに言い終えると近北公は、「なぜ、このような話をしたと思う?」とサレに問いかけた。

 サレが答えられないでいると、「何となく、ばかにされたような気がしたからさ、公女どのとおまえにな」と言った。

 サレが戸惑いを隠さず、「それはどういう意味でしょうか」とたずねても、近北公は答えを与えてはくれず、「まあ、いい。自分ではどうしようもないことにこだわるよりも、それを受け入れて対策を考えたほうがいい」と口にした。

 言い終わると、近北公は椅子から立ち上がり、コステラの模型を指さしながら、サレに下問した。

「ほかのところはいいとしても、なぜ、あの堀を残しておくのだ。水の流れがわるいだろう。それは人の流れがわるくなるということだ」

 サレが東州公へしたように、都の防衛上の観点から公女へ残すように進言したことを告げると、近北公が彼に近づき、耳元でささやいた。

「ばかだなあ、おまえは。それでは私が次に都を攻めるときに困るだろう?(※2)」

 サレが返答に窮している間に、近北公は従者と共に場を去って行った。


 タレセ・サレの言を入れて、サレは公女に会うのをあきらめた。

 館を辞去する際、身内への気安さから、タレセに「近北公は仕えづらいお方です。よくみんな耐えている。前の大公のもとでコイア・ノテは、どういう気持ちで仕えていたのでしょうか……。みんな、最後までついて来るのでしょうかね?」とぐちをこぼしたところ、「知りませんよ。つまらないことを言うのは慎んだほうがよいのでは?」とたしなめられた。



※1 まさか、そのようなことは……

 ハランシスクがスラザーラ家の家督を降りなかった理由は諸説あるが、結局不明である。

 サレがのちに彼女へたずねているが、要領を得なかったと、ウベラ・ガスムン宛ての書状にて明かしている。


※2 それでは私が次に都を攻めるときに困るだろう?

 ハランシスクはサレの助言に基づいて模型の堀をそのままにした。

 それにコステラの改造案を彼女へ依頼していた執政府も同意したので、掘の形は変わらなかった。

 この掘は現存し、魚がよく釣れることでみやこびとから愛され、「南監堀なんかんぼり」「サレ堀」と呼ばれている。

 なお、いまの堀は、ノルセンの長子であるオイルタンの手により、緑色岩で補強されたものであり、当時とはたたずまいがちがう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る