エレーニ・ゴレアーナ(九)

 ひどい胃痛のため、馬なぞにまたがる気にはなれなかったサレは、スラザーラ家の駕籠かごに乗って、鹿集館を辞去し、私宅へ戻った。


 日暮れにはまだ時間があったが、サレとしては何もかもを放り投げて、このまま寝てしまいたいところであった。

 しかしながら、それは許されるはずのない話であり、サレは書斎の長椅子に身を横たえながら、改暦の進め方について、ゼヨジ・ボエヌと話し合った。


 そのとき、オーグ[・ラーゾ]が茶を持って来た。野草を煮出したものであり、胃痛に効くとのことであった。

 「薬屋から買って来たのか」とサレが問うと、「いいえ。庭に生えている草を使いました」とオーグが答えた。

 そのようなものに効果があるとサレには思えなかった。しかし、持って来たのがオントニア[オルシャンドラ・ダウロン]ではなく、山育ちのオーグだったので、ずいぶんと苦かったが、サレは我慢して飲んだ。


 薬効を待っていると、呼び出しておいたポドレ・ハラグがやって来たので、鹿集館での出来事をつまんで話した。

 明後日あさっての葬儀に向けて奔走していたハラグは、皮肉は言うが弱音などは吐いたことのない男であったが、スラザーラ家の家督問題への対応もしなければならないことを知ると、「さすがに、それは……」と言った切り、無言になってしまった。


 労困憊ろうこんぱいていの家宰を助けるべく、当主としてサレは家内を差配した。

 頼りになるボエヌとロイズン・ムラエソの両名は、もともと担当している仕事に臨時の役目が加わり、これ以上、仕事を与えることは不可能であった。ボエヌは改暦への対応を、ムラエソは家宰が行うべき日常業務の大半を担っていた。

 そのため、ほかにしようがなかったし、また、今後の事も考えて、オーグにハラグを手伝わせることにした。

 その決定をサレから告げられると、オーグが気まずそうに、「ご葬儀への対応として、わたくしがお館さまから命じられております、警固にかかわる私兵の監督は、どなたが……」とたずねてきた。

 オーグの問いに、「それは、おまえの頭の中に浮かんでいる奴しかいないな」とサレが答えると、オーグも黙り込んでしまった。

「ないものをねだってもしかたがない。あるものでどうにかしなければな。まあ、何事も起きないことを願おう」

 そのようにサレが一同に声をかけると、「嫌な綱渡りですな」と[オルネステ・]モドゥラ侍従宛ての書状の草案を差し出しながら、ボエヌが元気なく言った。

 サレは何も答えずに書状をすばやく一瞥すると、ボエヌへ書状を返しながら、「明日の朝、お会いできるように手はずを頼むぞ」と指示を出した。

 その頃になると、オーグの茶が効いたのか、胃の痛みがやや治まったので、サレは長椅子の上で身を起こした。

 そして、ひとつ伸びをしながら、「オントニアがばかでなかったらなあ」と、だれにともなく言った。

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