エレーニ・ゴレアーナ(十)

 ついていない日はとことんついていないものである。あたらしい禍事まがごとは夕暮れと共にやって来た。

 近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]の使者が、花街に伺候せよという旨の書状を携えて、サレの屋敷を訪れた。

 押しつけられた役目を果たすために、家内総出の徹夜も覚悟していたサレは、彼をそのような目にあわせている元凶のひとりである男が、のんきに酒を飲んでいるだけでなく、自分を呼びつけて貴重な時間を潰そうとしていることにつよくいきどおった。

 サレは胃と感情を抑えながら、使者に「多忙と胃痛のために参ることができません。そのようにお伝えください」と告げた。後々考えてみれば、胃痛のことは口にするべきではなかった。

 使者は、近北公の指図を断る勇気に感嘆の表情を浮かべはしたが、それは一瞬のことで、すぐに厄災が自分に降りかかって来たことを悟り、懸命に、サレへ出仕を求めた。

 必死の懇願こんがんに対してサレは動じず、一方的に話を切り上げて、仕事が待っている書斎へ戻った。

 ひとりで花街へ戻れば、使者は公の不興を買うだろうが、そのようなことはサレの知ったことではなかった。彼は世の不幸が我が身ひとつに集まっていた気がしていたので、使者も苦労をすればよいのだと思ったのだった。


 日が完全に落ちた頃、先ほどの使者がもう一度、サレの屋敷を訪れた。

 サレは無視を決め込んだが、礼節を母親の腹の中に忘れて来たはずのオントニア[オルシャンドラ・ダウロン]ごときから、「会わないのはさすがにまずいだろう」と言われる始末だったので、会うだけは会うことにしたが、これがよくなかった。

 使者は公の怒声を浴びたのであろう。大男が目を赤くはらしていた。

 あすの葬儀の件で話がある。また、胃痛を直す薬を用意させた。他人の善意を無下にするな。必ず来い。

 というような言伝ことづてを聞かされたサレは、薬とはどうせ酒のことであろうと思ったが、さすがに使者がかわいそうになり、スラザーラ家の家督の件で話もあったので、嫌々ながら出向くことにした。


 仕事を与えたはずのオントニアが、護衛を理由について来ようとしたので、思い切り太ももを蹴ったが、彼の体はびくともしなかった。

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