エレーニ・ゴレアーナ(三)

 鹿しゅうかんの饗応の間に入った東州公[エレーニ・ゴレアーナ]が、「スラザーラ家当主の屋敷にしては、ずいぶんとみすぼらしい造りだな」と言ったので、「近北州に、公女[ハランシスク・スラザーラ]が住まわれるにふさわしい邸宅が建てられているそうです」と、サレは言葉を返した。

 すると、東州公が「北の舎者なかものの造るものなど、たかがしれている」と言ってきたので、サレは聞こえなかったふりをした。


 結果から言えば、公女と東州公の会談がおだやかに進んだのは、最初だけであった。


 席に坐ると、東州公は話もそこそこに、従者へ視線を送った。

 それを受けて、従者が机の上へ恭しく置いたのは、金箔をほどこした箱であった。

 その箱を東州公が無造作に開けると、黒い首輪が中から出てきた。

従姉いとことして、ゴレアーナ家の当主として、夫を持つことになるおまえへの祝いだ。受け取れ」

 公女が邪気のない笑顔で首輪を手に取っているさまを、サレは横目でながめた。その首輪には、淡い赤色の宝石がついていたが、東州公からの贈り物にしてはずいぶんと小さいものだったので、サレはその意図をはかりかねた。

「お従姉ねえさま。わたくしは鉱物に疎いのですが、これは紅玉でしょうか?」

 東州公は、公女とサレにさげすみの笑みを与えてから、従妹の問いに答えた。

「紅玉のわけがないだろう。このエレーニ・ゴレアーナをばかにしているのか。それは世にも珍しい、赤い金剛石だ。紅玉の何百倍もの価値のある代物しろものだよ」

 値段の話をされてもぴんと来なかったであろうが、とにかく、東州公から良い物を贈られたことだけはわかったので、公女は「ありがとうございます。お従姉さま」と目を輝かせながら、礼を口にした。

 それから、公女が身につけていた緑色の首輪を外そうとしたので、サレは慌てて、「公女。黒い首輪は、婚儀が済んでから身につける習わしです」と教えた。

 サレの言を受けて、「そういうものか」と公女は首から手を離した。

 その様を見ていた東州公が、「何も知らぬし、何も教えていないのだな」と、抑揚なく口にしたので、サレの全身から冷や汗が出た。

 額の汗を拭うためにしゅきんを取り出しながら、どうにか何事もなく会談が終わることをサレは祈った。

 その惑う姿が面白かったのか、東州公はつづけて、「おまえのところに出入りしている商人などは、生涯、見ることのない代物だぞ。海を越えた東夷の国々でもめったに取れない宝石なのだ」とサレに告げた。


 たわいのない話をしながら茶を飲み終わると、東州公が手で合図をした。

 それに合わせて、東州公の従者たちが部屋から立ち去ろうとしたので、サレもこれ幸いにと席を立ったが、東州公に止められた。

「スラザーラ家のこれからに関する話をする。家宰のおまえも残れ」

 そのように公が言うと、それまで微笑を絶やしていなかった公女が「わたくしだけで十分です」と憤慨しはじめた。

 思いもよらぬ言にサレは驚きを隠せなかったが、東州公は平然と受けとめ、公女ではなく、サレに冷たく言い放った。

「言っていることがわからないときがあるから、おまえが通事をしろ」

 東州公の言葉に、公女はさらに憤り、「ちゃんと話せます。わたくしも、もうおとなです」と反論した。

 しかし、東州公は意に返さず、サレを見たまま、先ほどと同じく抑揚のない口調で、「どこがおとなだ」と言い放った。


 サレが判断に迷っていると、公女が坐ったまま、「いいから」とサレの右腕を掴んだ。

 非力な公女が精いっぱいの力を込めて懇願こんがんしているので、サレは命に従おうと思ったが、感情の読み取れない、東州公の斜視と視線が合った瞬間、席に坐り直した。

 この時点で、すでに公女は目に涙をためており、それは見るにしのびない姿であった。しかし、よくよく考えてみれば、家宰の立場として、スラザーラ家の家督の件で、変なげんを公女から東州公へ与えさせるわけにもいかなかった。

 会見が終わったあと、公女はひどいかんしゃくをおこして、何日も部屋へ閉じこもるにちがいなかったが、それは致し方のないことであった。

 なにせ、相手がエレーニ・ゴレアーナであったから。

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