再生(十一)

 八月二十九日の朝。

 コステラ=ボランクに近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]が入った。

 学者どの[イアンデルレブ・ルモサ]が名代として建白書を提出した際、添え状にてサレは状況を説明し、なにをおいても、公のお気持ちをなだめるために、早く使者を寄越すように鳥籠[宮廷]へ伝えていた。

 そのサレの言を受けた結果かどうかはわからなかったが、宿泊地として提供された、執政官[トオドジエ・コルネイア]の別邸に公が到着すると、すでに使者の一行が待ち構えていた。

 その年を象徴するかのように、その日は夏のくせに過ごしやすかったので、公は庭にて、鳥籠からの使者に会った。


 庭の北側に椅子を用意し、使者を坐らせると、南側の椅子に坐った公は、「まずは一献」と、一行に酒をふるまった。

 陪席していたサレは、使者と公の中間に立ち、機嫌よく酒杯を干している公のほうを見た。

 ラシウ[・ホランク]がいつものように、公の傍に侍っていた。 


 義理程度に盃へ口をつけた使者が立ち上がり、書状を読み上げはじめた。わざとかどうかはわからなかったが、それを公は坐ったまま聞いた。

 その様を見ながら、使者は不機嫌そうに声を発した。この時点で、その使者の人選にサレは疑問をもった(※1)。そして、すぐに最悪の選択を鳥籠がしたと判断した。前にも述べた通り、このときの鳥籠は腐りきっていた。


 書状の内容は、一言でいえば「検討する」というものであった。

 行間からは、何も変える気がなく、うやむやにするつもりであることが読み取れたが、それはおそらく、公も想定していたことであったろう。

 問題は、奉書を読み終えたあとの使者の口上にあった。

 使者は長々と、国母[ダイアネ・デウアルト一世]の偉業を称えはじめた。そして、その事業のひとつであるデウアルト太陰暦の編纂に話を移し、滔々とうとうと解説を述べたのちに、その伝統ある暦を、民百姓の便宜を考えて改めるとは何事かと、言葉は丁寧なものながら、そのようなことを口にして、公の提案を否定した。

「暦の改訂は、国主の権威の根幹にかかわる事柄であります。今の大公[スザレ・マウロ]さまも、よくよく考えるべきだとおっしゃっていたと聞き及んでおります」

 使者の言に、聞いている途中からめまいをおぼえはじめていたサレが、公の顔色をうかがうと、とくに怒りを表に出してはいなかった。しかし、ラシウを見ると、彼女はサレに向かって、ゆっくりと首を横に振った。

 サレがラシウの動きを認めた瞬間、「話はそれだけか」と公が甲高い声をあげ、使者に向かって杯を投げた。

 その動きを読んでいたサレが抜刀して杯を叩き落としたので、酒杯が使者にあたることはなかった。

 このままではまずいと思ったサレは、刀を鞘に納めつつ、狼狽して立ち尽くしている使者に近づき、彼の膝を折り曲げ、土下座とも、斬首を待っているかのようにも見える姿勢をとらせて、その頭を地面に押しつけた。


「失言につきましては、ご使者もこのように謝罪しております。平にお許しを」

とサレも頭を下げたが、怒り心頭の公には通じなかった。

 「ならん。ラシウ」と、公は右手を彼女に差し出し、刀を求めた。だが、サレが頭を横に振ったので、ラシウは公に刀を渡さなかった。

 すると、公は他の近習から刀を奪い、使者に迫った。

「おまえはだれのおかげで飯が食えていると思っているのだ。百姓の苦労を知らぬのか。おまえはわかっていない。百姓から見れば、我々、騎士や貴族などは寄生虫に過ぎないということを。我々は、寄生虫のというものを自覚して、まつりごとを行わなければならないのだ。鳥籠は寄生虫の集まりだが、おまえはその中でも、とくにたちのわるい虫けらだ。この壁蝨だにが。成敗してやる」

 いくら公と言えども、鳥籠からの使者を斬ってはただではすむはずがなかった。公にあだなす者たちを勢いづけるのは必定であった。

 とにもかくにも、話の出どころが、公女[ハランシスク・スラザーラ]であったのが、サレにとっては問題であった。

 公女の名を汚さないために、だれか何とかしてくれと思いながら、サレが公を止めに入ろうとしたところ、ぎょうこうにも、その場にいた公の寵臣である西せい[ザケ・ラミ]どのが、「おまちください」と公を呼び止めた。

 西左どののかぼそい声に「なんだ」と公は怒声を発しながら、彼のほうへ振り向いた。

 しばらくの間、西左どのは言葉を選んでいるのか、じっと公を見つめ続けた。それから、「百騎長どのが、何か言いたげです。……それを聞いてからにしても、遅くはないのでは、ないでしょうか。そのあと、ご機嫌が直らなければ……、臣が対応いたします」

 無口で有名だった西左どのの声を(※2)、サレがしっかりと聞いたのは、このときが最初で最後であった。

 ウベラ・ガスムンから、「ハエルヌンは西左の話だけは聞く」と、ため息交じりに教えられていたとおり、西左どのが注進すると、公はすなおに席へ戻った。そして、顎をしゃくって、サレに話をうながした。

 サレは西左どのに一礼してから、口を開いた。

「このような愚劣な使者を寄越して来たことで、鳥籠が何を考えているのかはよくわかりました。近北公、いまの鳥籠はこの使者のように愚者の集まりなのです。よくよく教え諭さなければ、物の通りがわからぬのです。よくよく教え諭しますので、平に、平にご容赦を」

 サレの言に反応して、「だれがだ」と公が詰め寄って来た。

「だれが、とは?」

「そうだ。だれが、教え諭すのだ。なまえを言え」

 「それは……」と言い淀んだのち、背中の汗に不快感をおぼえつつ、サレは押し黙った。すると、「おまえが責任をもってやりとげるということでいいな、ノルセン・サレ」と、公が実に嫌なことを言った。

 応諾せねば怒りは収まらず、その矛先が自分に向くと思ったサレは、「はい。わたくしが」と応じた。

 しかし、その言い方に公は満足せず、「なんだ。言葉は最後まで言え」と迫って来た。そのためにサレは、「わたくしが責任をもって、鳥籠を教え諭します」と言わされるはめに陥った。

 つづけて、「それでいつまでに改暦を行うつもりなのだ」と公が、サレの与り知らぬ事柄まで、彼に押しつけようとしてきた。

 それに対してサレは、「公女さまのお話しによれば、改暦にはより細かい積算が必要であり、また、期日を決めて、うるうづきを挟まねばならず、今年中は無理とのことでございます」と答えた。

「閏月を挟む。よくわからんな。どういうことだ?」

「申し訳ありません。わたくしもよく存じておりません」

 サレの言に、公が舌打ちを一つした。

 すると、ふたりの様子をみて、とんでもない場に居合わせてしまった学者どのが説明を試みたが、「先生、その話はあとでゆっくり聞かせていただきます」と公に退けられた。



※1 その使者の人選にサレは疑問をもった

 改暦の建白書に対して、宮廷は大いに揺れた。

 大貴族の中でも、時勢を理解する者は受け入れざるを得ないことを悟っており、受け入れる以上は、積極的に、宮廷主導で暦を改めるのが上策であると意見した。

 しかしながら、宮廷の二大勢力であるジヴァ派、反ジヴァ派ともに、ブランクーレの行いは、宮廷の権威に対する挑戦と受け取った。とくに、ジヴァ・デウアルトは激高したと伝わっている。

 ジヴァ派、反ジヴァ派ともに、権力者であるブランクーレを無視するわけにはいかず、何らかの回答を早期に返さなければならないことは理解した。しかし、その結果として使者に立たせたのが、デウアルト太陰暦に詳しい学者であったのは、どういう力学が宮廷内で働いた上でのことだったのだろうか。暦に対する知識が足りなくとも、弁舌が巧みで、人情の機微を解する者を送るべきであった。


※2 無口で有名だった西左どのの声を

 生来、ザケ・ラミはよくしゃべる少年であったが、ブランクーレの親友であった兄が暗殺されると、めったに口を開かぬ男になってしまったとのこと。

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