再生(十二)

 学者どの[イアンデルレブ・ルモサ]の助け舟により、一息つけると思っていたサレに、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]の追及がつづいた。

「それで、推算やらうるうづきやらについては、公女[ハランシスク・スラザーラ]どのがご対応していただけるのか?」

「いえ、公女さまからご推薦をいただいた者に任せる……、予定です」

「だれだ?」

「申し訳ありません。なまえは失念いたしましたが、遠北州に住む学者と聞いております」

「遠北州。よりによって、遠北州か」

 吐き捨てるように「遠北州」と連呼する公に対して、サレはとにかく、その場を早く切り抜けたかったので、話をつづけた。

「折よく、東州公[エレーニ・ゴレアーナ]が都へお出でになりますので、東州公にもお力添えをいただいて、鳥籠を説得したいと考えております。東州公も、近北公ほどではございませんが、民を思いやるお方と聞いております故」

「遠北州の次は、エレーニ・ゴレアーナ。その使者よりも、おまえのほうが私は憎いよ、ノルセン・サレ」

 公が冷たく言い放った。

 側頭部の両側を、こてで焼かれているような痛みを感じていたサレは、自分でも何を言っているのかよく分からなくなっていた。それでも、「毎回、ご迷惑をおかけしております」と言葉をひねり出した。

 その頓珍漢な回答に、多少、機嫌を直したのか、公はあざけりの笑いをひとつしてから、次のように断言した。

「改暦は必ず行う。近北州だけでもな。その場合はまことに僭越せんえつながら、お上[ロナーテ・ハアリウ]の名で出す。ノルセン・サレ、話が大きくなれば、公女にも迷惑がかかる。そのあたりをよくよく考えて、鳥籠を何とかしろ。私に鳥籠の権威を傷つける意図などはない。ただただ、百姓の暮らしを思って建白書を出したのだ……。すなおに改暦のみことのりを出せば、鳥籠の権威も高まるはずだ。すこし考えてみればわかりそうなことが、なぜわからん。不愉快極まりない」

 北州公[ハアリウ]のなまえが出ると、公の側近たちがざわめき出した(※1)。しかし、サレはそれどころではなかったので、「ごもっともでございます」と深く頭を下げた。


「改暦の問題については、百騎長[サレ]が全責任をもって、これにあたり、早期の実施を図ること」

と言い残し、ようやく、公は屋敷の中へ入っていた。

 南衛なんえいかんの職を辞し、大きな肩の荷が下りたと喜んでいた矢先に、あたらしい重荷を背負わされたサレは、人生とはそういうものでしかないのだと、諦観を強くした。

 事の元凶である使者は、土下座をしたまま失禁していた。腹のひとつでも蹴ってやろうかとサレは思ったが、モウリシア・カストの顔がちらりと浮かんだので、しておいた。

 その代わり、腹の虫がおさまらなかったので、公が投げつけた酒杯を失敬した(※2)。



※1 公の側近たちがざわめき出した

 ブランクーレはハアリウを政治にかかわらせることを好まず、また、ハアリウ自身も政治にちかづくことを嫌った。

 ハアリウは、近北州の政治に関して、儀礼的なものをのぞき、自らの名で命令などを発布することを好まなかった。極めて重要な事柄に関して、文書に裏書きすることにより、ブランクーレに権威を与える。その役割を果たすこと以外では、政治から距離を取っていた。

 それがハアリウの処世術であるとともに、彼の性向に根差した政治との関わり方であった。

 その政治から遠ざけていたハアリウの名を出して、ブランクーレが宮廷を恫喝したため、彼の側近は驚いたのである。

 なお、改暦の問題に関して、自分のなまえを出されたハアリウは、めずらしく不快感を示し、ブランクーレは深く謝罪した。


※2 公が投げつけた酒杯を失敬した

 彫金が見事な、銀製の杯だったとのこと。サレは高名な職人に杯の傷を直させて愛用していたが、トオドジエ・コルネイアの求めに応じて譲り渡した。世に「飛杯」の名で伝わる。

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