執政官殺し(五)

 天幕を出て、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]が、オントニア[オルシャンドラ・ダウロン]を主賓とする酒宴へ向かったので、それにサレとラシウ[・ホランク]も従った。

 しかし、公がすたすたと歩いて行くのに対して、酔いの回っていたサレは、ラシウに介抱されながら、ゆっくりと前へ進むことしかできなかった。

 その様を見た公は、あれごときでなさけない、という表情を浮かべながらも、「妹弟子と話すこともあるだろう。そこら辺で、休んでから来い」と言い終えると、護衛に囲まれつつ、サレたちの前から姿を消した。


 腰を下ろし、木にもたれかかっているサレに対して、ラシウが水筒を差し出した。それを、「さっきは助かった」と言ってから受け取ると、サレは一気に飲み干した。

「南左[ウベラ・ガスムン]から、酒席のときは、酒に弱い者を助けるように言われているのです。酔い潰れてしまうと、あとで掃除をする者たちもたいへんですし」

「なるほどな。しかし、公に発覚したら、あとがたいへんではないのか?」

「ばれても、私なら大丈夫です。あまり怒られませんし。怒られても気にしませんけど」

「大事にされているのだな。……しかし、公はいつもあのように家臣を叱責なされるのか?」

 そうサレが問うと、ラシウは首を横に振った。

「あれはましな方。北左[クルロサ・ルイセ]のときはもっとひどい。杯を叩き割ったり(※1)、机を引っ繰り返したり」

「よく生きていられるな。私ならば、首を吊るよ」

「南左はみんなから勘違いされている。あれは、あれで、けっこうずぶとい男です」

 「そうか」とサレが応じたところ、ラシウが「でも」と口にした。

「東左[ルウラ・ハアルクン]どのには怒るにしても、ずいぶんと控えめにしています。気を使っているのでしょうね」

 ラシウの言葉を受けて、サレは再度、「そうか」と答えた。


 水筒をラシウに返しながら、サレが長男のことについてたずねた。

「オイルタンは元気か? それだけが心配なのだ」

「はい。ご子息はお元気です」

「変なことは教えていないだろうな? 刀を振り回すにはまだ早い。けがなどされたら、私が困る」

「せがまれますが、ちゃんと断っています」

 「本当にか?」と言いつつ、サレは立ち上がった。

「動き回っている姿を見ても、素養はあるように見えますが、本当に刀技を教えないのですか?」

「危ないことを教えるつもりはないよ。いくさ人として最低限、弓槍馬ができればそれで十分だ。あの子には、刀を振るわなくてすむ、吏僚になってもらう」

「南左のような?」

「そうだ。……私が息子の分も、刀を振るってきたのだから、他人にとやかく言わせはしない」


 ラシウに案内をしてもらって、宿営地を歩いている最中、サレは、彼女の首筋に紫色のあざがあるのを見つけると、あわてて、まわりに人がいないのを確認してから、妹弟子を小声で問い質した。

「おまえ、夜の相手もしているのか?」

「はい。いいえ……、昼もです。求められるので、体を貸しています。その分の給金もちゃんともらっています」

 ラシウの言に、サレはしばらく考え込んでから、質問を加えた。

「避妊はしてもらっているのだろうな?」

「はい、気をつけているようです」

「気をつけているとは言っても、できるときはできるしな……」

 戸惑っているサレに対して、ラシウが首を傾げながら問うた。

「七州は人の数が減っているので、女はどんどん、子供を作らなくてはいけないのではないのですか?」

「それはそうだが、相手が相手だ。権力者の子供の母親など、おまえには務まらないぞ」

「そういうものなのですか?」

「そういうものなのだ」

 ラシウがふしぎそうにサレを見上げた。

「ならば、私は兄上の子供を産みます。それならば、いいでしょう?」

 サレの戸惑いをさらに深くするラシウの言葉に、彼は大きく頭を横に振った。

「妹と子供を作る兄がどこにいる。だめだ、だめだ」

 そういうサレに、ラシウが静かに食い下がった。

「でも、兄上のような立場の方なら、妾のひとりやふたりは持つものではないのですか? なぜ、お囲いにならないのですか」

 話がずれているのに気がついていながらも、問われたサレは話をあわせた。

「いろいろと理由はあるが、めんどうくさいのと、金がかかるからだ」

「なるほど」

 うなづくラシウを見て、サレは大きくため息をついたのち、「公に奉公へ出す前に、教えることがたくさんあったようだ」と彼女の頭をなでた。

「今から戻りましょうか?」

「ばかを言え。一度あげたものを、そうやすやすと返してくださいと言えるか。しかも、公の手のついた女を」

 サレの言に、「私は物ではありません」とラシウが口を尖らせて反発した。

「まあ、いい。私も近いうちに近北州へ行く。そのときにいろいろ教えてやる。兄弟子として、刀の腕も見てやらねばならん」

 ラシウの頭からサレが手を離すと、彼女は微笑を浮かべて、「はい」と返事をした。

「とにかくだ。子供はつくるなよ……。あとがめんどうだからな」

「はい。努力はします」

「怖い、怖い……。今日聞いた話の中でいちばん恐ろしかったよ」

 そう言い終えると、きょとんとしているラシウに、サレは道案内を頼んだ。


※1 杯を叩き割ったり

 あまりにもブランクーレが土器製の杯を割るので、気を利かせたつもりの者が、杯を金属製に変えたところ、彼の激高を買ったとのこと。

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