執政官殺し(六)

 一時の欲求や快楽のために、人生を棒に振るというのは、よくある話である。


 モウリシア[・カスト]の死体の扱いなどをめぐり、サレは窮地に立たされ、運が悪ければ、処刑されるところであった。

 後のことを考えれば、なるほど、モウリシアへの扱いは慎重にするべきではあった。しかし、それまでに受けた恥辱や、飲まされた煮え湯のことを思えば、いくさ人であるサレに、モウリシアを助けるという選択肢はなかった。

 だが、やはり、その後に訪れた困難を思えば、サレに自重すべき部分があったようにも思われた。されど、それでは何のために生まれて来たのかわからないところもあった。


 モウリシアに関することがらで、サレは苦労を強いられたが、結局、ただ単に、さらに悪評をこうむることぐらいの害しか受けなかった。しかもそれにより、みやこびとのサレを見る目が変わったわけでもないので、実害はなかったと言える。

 それにしても、サレがその生涯を通じて痛感することは、悪評には底がありそうで、ないということだ。


 振り返ってみれば、その過程に改善すべき点はあったが、モウリシアを助けないでよかったというのが、サレの結論である。

 もしも、サレの身が、モウリシアの死ぬ直前に戻ったとしても、彼は、その振る舞いに多少の自重を加える以外、その行動を変えはしないだろう。

 つまり、サレは、モウリシアを助けなかったことを、後悔はしなかった。ただ、その代償として、けっこうな労苦を背負わされた。


 サレがモウリシアの死に接したとき、気の利く部下が生かしておくべきだと忠言した。

 それをもっともな意見と思いつつも、サレは何とかなると思い、また、必要なことだと考えて、流れに任せた。

 そのモウリシアの問題が大事になったのは、八月二十二日に、[トオドジエ・]コルネイアが薔薇園[執政府]の主に復帰し、明後日の二十四日、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]が入京した直後に起きた。


 都を抑えた公は、歴代の為政者がよくやったように、青年[スザレ・マウロ]派に押さえつけられていた官吏や知識人を、牢獄や自宅から解放したのだが、同時に、公には区別がつかなかったので、コルネイアやサレにとって都合の悪い者たちも、同様に拘束を解かれた。

 言い換えると、コルネイアが率いる、名ばかりの良識派とはちがい、本当に良識を持つ者たちが、自由を得た。


 結果、そのうちのひとりの法学者が、薔薇園で公に目通りした際、陪席していたサレの悪行を言い立て、とくに、執政官であったコルネイアの死に関わる事柄を問題視した。

 デウアルト法典の、執政官に関する条に従えば、サレは極刑に処されるべきであるという、都でうわさになっているとおりのことを彼がしていたのならば、正論としか言いようのない主張を、法学者は公に訴えた。

 その論理の展開も見事な、命をかけた訴えを聞き終えると、公は大きく首肯した。

 公の仕草を一瞬、自分の死刑に対する同意と錯覚したサレは、胃の中の物をすべて撒き散らしそうになった。

 その法学者を、公は著作を通じて知っており、敬意を抱いていたので、「博士」と呼びかけたあと、次のように謝意を述べた。

南衛なんえいかんに、そのようなうわさが立っていたとは知りませんでした。執政官に、一つひとつ、よく調べてもらったうえで、必要な処置を取っていただきます。……伺いたいことはお聞きしましたので、お引き取り頂いて結構です。きょうはありがとうございました」


 余計なことを言った法学者が場を去ると、公はひとつ舌打ちをしたあと、サレに顔を向けた。

「言い訳をよく考えて、自分で何とかしろ。私は知らん……。いちおう言っておくが、殺すなよ」

 そのように公へ釘を刺されたサレは、前半の言葉に内心動揺しつつも、努めて平静を装って、うなづいた。

「私もすこしは法学をかじった者です。彼が七州に必要な人間だということぐらいはわかっております」

「そのような謙虚な言葉を吐けるのならば、カストも殺さずに済ませられたのではないか?」

「公もよくご存じのとおり、人間にはどうしようないこともあるのです」

 サレの言を受けて、無表情のまま、公はしばらく彼をみつめたのち、「まあ、わからんでもないな」と同意を示した。


 その後、サレは、泣きつけるすべての人間に泣きついた。

 結果、執政官殺しに関わったのならば、サレに逃げ道はなかったが、「そもそも、モウリシアは執政官ではなかった」ということにすればよい、という結論に達した。

 サレの生涯を通じて、いくさ場以外で、これほど働いたことはないというぐらい、彼は不眠不休で活動し、どうにか、公式の記録上、モウリシアの執政官着任を僭称扱いにすることに成功した(※1)。

 モウリシアの執政官僭称が確定されると、デウアルト法典の該当する条に基づき、彼の妻子は死刑となった(※2)。


 この一連の流れは、はしっこい都人によって、すぐに劇場の演目となった。

 サレも出向いたが、わが身に起きたことと照らし合わせながら観たので、ふつうの観客よりも、二倍も三倍も楽しむことができた(※3)。

 それ以後も、多くの事件に巻き込まれたが、上に述べてきた件が解決したときほどのあんかんを、サレはついに味わうことはなかった。



※1 公式の記録上、モウリシアの執政官着任を僭称扱いにすることに成功した

 とうぜん、コルネイアはサレの行動に同意し((発案者は彼であった)、手助けしていたが、執政府の吏僚の大半は反対し、すくなくない者が官吏としての気骨を見せて、公然とサレに抵抗を示した。

 しかし、その勢力はコルネイアによって懐柔されたり、執政府から追放されたりで、その目的を達成することは叶わなかった。

 なお、サレとの協議の窓口となり、彼から恫喝されていた執政府の吏僚がひとり、不審死を遂げていることも挙げておきたい。

 また、執政官としてのカストの記録抹消(もしくは改竄と言うべきか)について、サレはスザレ・マウロの同意も取りつけているが、それは、彼に従って来た古参兵の命を人質として、サレの脅迫によってなされたものであった。本件をもって、マウロの権威は大きく傷つき、彼が「過去の人」となるのを決定づけた。

 マウロおよびカストに対して、厳しい物言いかもしれないが、この事件の発端は、カストの執政官着任時の瑕疵かしを、サレに突かれたことにあった。このため、政治家としてのマウロおよびカストに、責任がまったくないとは言えない。

 事実、マウロはこの事件に関する自責の念を抱きながら、余生を過ごしたとのこと。


※2 彼の妻子は死刑となった

 執政官僭称の罪は重く、デウアルト法典では、本人だけでなく、父母、妻子、兄弟を死刑にする旨が、規定されていた。モウリシアの父母はすでに亡く、弟はサレに殺されていたので、妻子が処刑されることになった。

 執政官としてのカストの記録抹消ですら、都人の賛同を得られていなかったが、妻子の処刑については、子供が幼かったこともあり、強い拒絶が見られた。

 しかし、近北州および近西州と結びついているサレに対して、無力な都人にはどうすることもできず、処刑場に出向かないことで反対の意を示すこと以外、彼らにできることはなかった。

 ここで重要な点は、カストの記録抹消については、ガーグ・オンデルサンも含めて、サレに近しい者たちは協力の姿勢を見せたが、妻子の処刑については、コルネイアまでもが反対した点である。

 都では、サレ一人が奔走した結果、妻子は刑に処されることになった。

 カスト(の死)により、デウアルト法典に基づいて殺されかけたサレが、法典を使って、カストの家族を殺したわけである。

 サレが、カストの身内の死を願った理由は、長子オイルタンの身を案じたためというのが定説であるが、それでまちがいないと思われる。

 なお、モウリシアの家と関係がなくとも、カスト姓の多くが、後難を恐れて改姓した。


※3 二倍も三倍も楽しむことができた

 コルネイアが執政官に復帰し、サレがコステラ=デイラの統治から一歩退いたことで、都での出版や上演に関する規制は旧に復した。サレの統治下における表現の自由は失われた。

 ただし、当時のサレの評判は、地に潜り込むほど悪く、多くの都人が、とにかく、コステラ=デイラの統治から離れてほしいの一心だったので、サレが離れて規制が強まっても、大半の都人は気にしなかった。

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