セカヴァンの戦い(八)

 権力、とくに武力と結びついていない権威はもろい。

 その観点から、公女[ハランシスク・スラザーラ]の権威によって成り立っていた、コステラ=デイラの小康状態について、サレは強い危機感を抱いていた。

 その中で、いちばんの問題はやはり、公女の身の安全であり、いつまでも鹿しゅうかんに留めておくべきではないという考えに、サレは傾きつつあった。

 近北州へ下向させることができれば、いちばんよかったのだが、近北州軍の護衛がない限り、道中の安全の保障がなされない以上、それはむずかしい話であった。

 となれば、自由都市ラウザドに座を移してもらうしかないと考え、オルベルタ[・ローレイル]に依頼して、公女の住む場所の準備を進めさせた(※1)。


 冬の間、公女の身の振り方を考えつつ、サレは近北州へ書状を送り続け、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]のじょうらくを促したが、まともな答えは返って来なかった(※2)。

 先年十一月の戦いにおいて、青年[スザロ・マウロ]派の失った兵数は多く、また、戦後の処理もうまく行っていないことをサレは挙げたが、公の反応は鈍かった。

 そのようなやりとりをしているうちに、遠北州にサルテン[要塞]を奪われた際、公が三年、近北州へ引きこもった例が頭をよぎるようになり(※3)、冬の寒さも重なって、サレは鬱々とした日々を送った(※4)。



※1 公女の住む場所の準備を進めさせた

 セカヴァンの戦いの始まる前から、サレはハランシスクの身を案じていたようだが、彼女の意向もあって、コステラ=デイラに留めさせていた。

 ハランシスク抜きで、コステラ=デイラを維持できていたかは不明瞭だが、その放棄もサレは、視野に入れていたのだろう。

 なお、ラウザドへの安全な避難については、ゼヨジ・ボエヌとモウリシア・カストの間で、話がついていたもよう。


※2 まともな答えは返って来なかった

 サレ宛てのウベラ・ガスムンの書状にて、ブランクーレが「先延ばしにしたほうがよいこともある」「確かに南下すると言ったが、どうであろうか、自分の言葉に責任を持ち過ぎるというのも」などと言い放ち、ガスムンを落胆させた旨の記述がある。


※3 公が三年、近北州へ引きこもった例が頭をよぎるようになり

 サレの書状を受けて、早期に南下するべきか悩むブランクーレに対して、実務を担うガスムンのいらだちは大きかったようで、次のような書状をサレに宛てている。

「わたくしは、ためいきをつくために生まれてきたわけではないはずなのに、大きな子供を相手に毎日仕事をしていると、うんざりとすることが多いです」

 サレは上の文章を、ローレイル宛ての書状に引き、「公を子供と呼ぶ南左(ガスムン)には強く同情するが、叱るなりあやすなりして、早く上洛を決めてくれないと、私は身の破滅だ」と、ぐちを残している。


※4 サレは鬱々とした日々を送った

 サレの悪癖として、自分の見聞きできる範囲で動いていないと、相手が何もしていないと思い込む習性があった。

 サレの関与していないところで、この冬の間にブランクーレは、その後の七州の歴史、セカヴァンの戦いを嚆矢とする「後継者戦役」に大きく作用した、ふたつの決定を下している。

 一つ目は、東部州州馭使エレーニ・ゴレアーナの家宰モイカン・ウアネセを通じて、東部州と秘密条約を結んだ。

 その内容は、東部州と東南州の領地争いが、東南州東管区に留まっているかぎり、近北州が中立を保つ代わりに、東部州は、東南州東管区以西への領土的野心を持たないことを約したものであった。

 ブランクーレは、ゴレアーナに対して、東南州東管区の割譲までは許容する姿勢を見せたが、東部州と直接領土が接するのは拒否し、両州の緩衝地帯の為政者として、タリストン・グブリエラを保護することを示した。

 両州がこのような条約を結んだ理由については、複合的な観点から考えるべきだが、いちばんの理由は、隣接する州と係争を抱えている中で、互いの州を敵に回したくなかったことが挙げられる。

 そのほか、近北州側の事情としては、州内の統治に必要な銅を、すべて東部州からの移入に頼っていたので(合わせて、海外との貿易の決済で金を必要としていた東部州は、重要な金の移出先であった)、その東部州に対して恩を売りたかった面がある。

 対して、東部州側の事情としては、近北州と西南州の争いが、最終的に近北州の勝利に終わると見越していた、ゴレアーナの意向が働いていた。

 ついで、二つ目の決定として、タリストン・グブリエラに対して、マルトレ侯テモ・ムイレ・レセの妹ザユリイとの婚儀を斡旋した。

 これは、絶世の美女と謳われていたザユリイをあてがうことで、グブリエラの懐柔を狙った策であった。

 グブリエラとしては、ザユリイを手に入れることで虚栄心を満たせるだけでなく、ブランクーレ配下のムイレ・レセ家と縁続きになることで、東部州との対立につき、近北州の助力を期待できた。加えて、富豪として知られていたムイレ・レセ家の財力も、グブリエラには魅力的なものに映った。

 対するムイレ・レセ家のテモにとっても、東南州州馭使を義弟にすることができるのは名誉な事であったし、また、武力を有するグブリエラを身内に持つことは、マルトレにたびたび無理を強いてくるブランクーレへの牽制になると思われた。

 グブリエラ家とムイレ・レセ家を結びつけたブランクーレの意図は、グブリエラに対しては、彼に恩を売ると同時に、東部州が密約を破り、東南州東管区以西へ進攻した場合に、介入しやすくするためであった。

 また、ムイレ・レセ家に対しては、セカヴァンの戦いにおける糧秣の徴収に対する見返りであり、かつ、今後の南下時の糧秣提供に対する、前払いの意味合いが含まれていた。

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