セカヴァンの戦い(九)

 晩冬三月に入ると、悶々としながら、青年派の失策を待つ身であったサレを喜ばす、願ってもいない愚挙を、増長したモウリシア・[カスト]がふたつ犯した(※1)


 一つ目は、執政官の名で、七州の民草に向けて、七州の結束を損ねる者として、近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]を非難し、州馭使剥奪の可能性にまで踏み込んだ徴発をしたこと。

 これに対して、ウベラ・ガスムンからサレに宛てられた書状によると、近北公の怒り方は、近年稀にないほどであったという。

 近北公が感情的になってくれた方が、彼にじょうらくを促していた者としては都合がよいように思われたので、「モウリシアに感状を送りつけてやりたいほどだ」と、ポドレ・ハラグに冗談を言うほど、サレは喜んだ。


 二つ目は、青年[スザレ・マウロ]派からの近北公に対する、再度の、そして、本当の意味での和睦の道を断った宣戦であった。

 モウリシアは何を思ったか、西南州内の塩不足を理由として、近北州に対する塩の移出を禁止した。

 モウリシアとしては、この恐喝を和議の約定を有利なものに変更する材料にしようとした節があるのだが、これは、近北公という人物をすこしでも知っている者からすれば、まったくの逆効果であることは明白であった。

 近北公の行動原理というのは単純明快で、すべての行動が、自領である近北州の保持の観点からなされていた。

 そのため、自領の利害に関係する場合は、さいな事柄、たとえば七州統一という大公[マウロ]の夢想に対しても介入したし、逆に、他州でどのようなことが行われても、近北州に関係がないと判断すれば無視した。

 その近北公に対して、近北州ではわずかな岩塩しか取れないのに、人が生きて行くうえで必須の品である塩の移入を止めるということは、彼の喉元に刃を食いこませたのと同義であった(※2)。

 モウリシアが、和議の内容を自分たちに優位なものへ変える条件として、塩の移出再開を持ち出したとしても、一度、喉を傷つけられた近北公が、モウリシアを許すことなどはありえなかった。

 もはやというか、ようやくここに来てというべきか、近北公にとって、今の大公とモウリシアは、理念的な面だけではない、正真正銘の不倶ふぐ戴天たいてんの敵となった。

 そうなることを、モウリシアはともかく、今の大公が気づかなかった、もしくはそれでよしとしたのは、いくさの勝利による驕りが、人に与える影響の恐ろしいところであった(※3)。


 そのような状況下、モウリシアの施策をうけて、西南州内では塩が余ることが予測され、ようやく持ち直してきていた塩券の値がまた下がった。

 しかし、サレとしては、今の大公とモウリシアが西南州の政治を握っている限り、塩券が、彼を満足させるに足るあたいに戻ることなどはありえず(※4)、もはや、近北公にふたりを排除してもらったあとでなければ、塩券のことを考えても仕方がないと考えていたので、さして気にとめなかった。


 モウリシアの犯した失策に対して、サレが行ったことと言えば、バージェ候[ガーグ・オンデルサン]の反対を押し切る形で、ホアビウ・オンデルサンに、モウリシアに対して、物申させただけであった。

 これは、モウリシアの政策を改めさせるためではなく、近北公が今の大公を撃ち破った場合、まちがいなく、オンデルサン家はその中立の姿勢をとがめられるだろうから、それへ備えて、ホアビウを守るために、彼を説得して行わせたのだった(※5)。


 なお、このモウリシアによる、近北州への塩の移出禁止を受けて、塩賊の分派が都で蜂起した。

 コステラ=デイラに潜んでいた塩賊に、怪しい動きがあることについて報告を受けていたサレは、泳がしておいた首謀者たちが決起する、その直前に一網打尽とした。

 対して、コステラ=ボランクでは、それなりに被害が出た。モウリシアという男は、何をやらしても詰めの甘い貴族であった。

 サレが捉えた賊を拷問にかけ、ルンシ[・サルヴィ]の指示の有無を確認したところ、自重を求められたので、彼の許しを得ずに蜂起へ走ったとのことであった。

 塩賊も、ルンシのもとで一枚岩というわけではなかったので、内紛を誘発させるなど、弱体化させる手はいろいろとそろっていたのに、モウリシアは動かなかった。この点においても、実に愚かな男であった。

 のちに、塩賊の中で、ルンシが王のように振る舞うことを許したのは、ひとえに、この当時の薔薇園における、モウリシアの怠慢に原因がある。



※1 増長したモウリシア・[カスト]がふたつ犯した

 青年派のブランクーレに対する二つの対策を、サレはモウリシアが発案したものと決め込んでいるが、確証があって書いているのではないだろう。それを証拠立てる史料は残っていない。


※2 彼の喉元に刃を食いこませたのと同義であった

 塩の移出禁止の措置は徹底されず、塩賊を介した密売が横行し、高額な値ではあったが、北部州の民のもとへ塩は届いた。

 生活必需品である塩の値が上がったことを受けて、近北州民のカストやマウロに対する感情は悪化した。そして、これを受けて、近北州の庶民にとって他人事であった南下が、彼ら自身の問題へと変化したことこそ、マウロにとっては痛恨事であっただろう。

 それは、近北州において英主であろうとする、ブランクーレの体面を、塩不足で傷つけたことよりも危険なことであった。


※3 人に与える影響の恐ろしいところであった

 サレがこの節で述べている通り、塩を断つことは、明確な宣戦でしかなかったのだが、なぜ、青年派がこのような判断をしたのかは不明である。

 サレの言うとおり、勝利による驕りだけだとした場合、よほど、青年派は気が緩んでいたのだろう。この青年派が塩を断った理由については、今後の研究が待たれるところである。

 なお、この箇所は、他の史書や物語などに、勝利に酔って判断をまちがえた例、もしくは教訓談として、よく挙げられる。


※4 彼を満足させるに足る値に戻ることなどはありえず

 ムゲリ・スラザーラが塩券の値に敏感であったのに対して、マウロは鈍かったというよりも、塩券の持つ重要性に気がついていなかった可能性すらある。

 そもそも、重要な塩券への対応だけでなく、経済政策全般において、青年派は無策であった。

 それが、人材を欠いていたためなのか、人材をマウロやカストが活かせていなかったのかは断定できない。

 しかしながら、この経済への無策が、青年派に対するラウザドをはじめとした豪商たちの非協力的な態度を生み出し、また、豪商たちの支持を得ていた、サレという反青年派の人物を都から排除することをできなくしていた。

 そのような明確な実害を蒙っていたのに、それを放置していた点につき、青年派は、たとえば、七州統一という彼らの理念に共鳴していた者たちから非難されても仕方のない面があった。なお、ここでいう「彼ら」とは、同時代人だけを指すものではない。

 史家の中には、青年派が西南州の政権を維持できなかった最大の要因として、軍事や外交ではなく、経済政策面での無策を挙げる者もいるが、一理ある主張と言えるだろう。


※5 ホアビウを守るために、彼を説得して行わせたのだった

 ガーグ・オンデルサンに対して、サレは借りや恩と呼ばれるものがあったが、この時点でガーグを切り捨てる判断をしていたようだ。

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