第五章

ハランシク・スラザーラ(一)

 新暦八九七年九月二日。

 日の出に合わせて、コステラ=デイラにある四つの大門に、太陽の旗が掲げられた。

 この変事を聞くと、今の大公[スザレ・マウロ]は、指示があるまで攻撃を控えるように家臣たちへ伝達した。


 ついで、日が昇り切ると、コステラ=デイラの北門の上から、良識[トオドジエ・コルネイア]派の兵が白旗を振った。それに対して、青年[マウロ]派は各所のやりとりを経たうえで、兵のひとりが雄鶏の旗で答えた。

 それを合図に、良識派は北門を開き、正装姿のゼヨジ・ボエヌと彼の従者を外へ出した。

 そのボエヌの姿を見て、とうとうサレが、今の大公に屈服したと思いちがいをした青年派の兵たちが、歓声をあげた。


 敵意の視線や罵声を浴びながら、ボエヌは大橋を渡り、橋のたもとに置かれていた、今の大公の陣へ入った。

 そこで、ボエヌは、今の大公の側近に両脇を囲まれた形で、椅子に腰かけている大公と対面した。

 つごうのよいことに、モウリシア[・カスト]は、コステラ=デイラの南側の兵を指揮中のために、不在であった。


 今の大公をはじめとした青年派の者たちは、固唾を呑んでボエヌの言葉を待った。

 それに対して、ボエヌはまず、自分がサレの使者ではなく、公女[ハランシスク・スラザーラ]の命令を、今の大公に伝えに来た者である旨を告げた。

 ボエヌの言に、今の大公の側近たちはざわついたが、それを制しながら大公は立ち上がり、上座をボエヌに譲った。それから、ボエヌが立たされていた場所に移り、従者に衣服を整えさせた。


 サレと今の大公の私闘につき、国主[ダイアネ・デウアルト五十五世]に和睦を命じていただく旨の建白書を書いた。それをボエヌに持たせたので、鳥籠[てんきゅう]まで護衛せよ。

 その後、国主の了解が得られれば、公女自らが説明に出向くので、その際の警固も任せる。


 という概要の公女の命令を、ボエヌの口から聞かされた青年派の首脳たちは、怒りや憤りよりも、サレがそうであったように、まず困惑した。


 公女の親書を読み上げたボエヌは、従者が捧げ持っていた、太陽の文様をあしらった盆のうえへ恭しく書状を置くと、上座を今の大公に譲り、元の場所へ戻った。

 ボエヌに促されて席に坐った大公は、従者より親書を受け取ると、改めて、時間をかけて書状の内容を確認してから、それを側近のひとりに渡した。

 親書を受け取った側近は文面を読みはじめたのだが、すぐに眉をひそめて、ボエヌに「添え状は?」と声をかけた。

 公女の悪筆は都中に知れ渡っているほどであり、そのために、彼女の書状には、常に、サレなりタレセなりが、書状を書き写した添え状をつけていた。今回、それがなかったので、大公の側近は、ボエヌにたずねたのであった。


 ボエヌは問いかけた者のほうではなく、正面を向いたまま、「ありませぬ」と答えたのち、ことばをつづけた。

「最初に念を押しておきますが、今回の親書につきましては、一切、我が主ノルセン・サレは関与しておりません。また、わたくしも、ほかに適当な者がおりませんでしたので、公女さまのご下命により、親書を国主さまにお渡しするように言いつかったのみで、内容などについておたずねになられてもお答えできませぬ」

 ボエヌの言を聞いて、場の一同は、今回の親書の異常さに気がつき、さらに、その困惑の度をました。

 その中で口を開いたのは、今の大公であった。

「親書の中で、私の名がスザルになっている。それは公女さまの言いだ。使者の述べたとおり、その書状は、公女さまのお考えをそのままをお書きになられたものなのだろう」


 今の大公の言葉を受けても、彼の側近たちは黙ったままだった。

 そのような左右の様子を確認したのち、今の大公はやや俯いて、目を閉じた。

 しばらくの間、場に沈黙が流れた。

 直立のまま、ボエヌが待っていると、やがて、大公が親書に対する対応を決め、おもむろに話しはじめた。

「ご下命の内容は承知した。……護衛をつけるので、早々に鳥籠へ向かうといい」

 今の大公の決定に、側近のひとりが何事かを言おうとしたが、それを大公は手で制した。

 それから、「スラザーラ家の家長の命に従うは、臣の責務だ……」とつぶやくと、彼は黙り込んでしまった(※1)。



※1 彼は黙り込んでしまった

 要求を受け入れられなかったハランシスクが、強引に天鷺宮へ向かおうとした場合の、不測の事態を考慮したのだろう。

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