雪、とけて(十五)

「うるさくて研究ができない。おまえに大砲を止める力がないというのならば、私がスザル・マウロだったか。その者にあって、止めさせる」

 サレ宅の饗応の間では、椅子に腰かけた公女[ハランシスク・スラザーラ]が、いつものようにかづらはつけていない姿で、苛立ちを爆発させていた。

「スザルではありません。スザレ、マウロです」

 直立不動のサレが、淡々と、公女の言い間違いを訂正した。

 すると、サレの言に公女はさらに激高して、手元の机に置いてあった茶碗を手に取り、床にたたきつけた。

「スザルだろうが、スザレだろうが、どちらでもかまわん」

 両者の間にしばしの沈黙が流れたのち、サレが小さくため息をついてから、口を開いた。

「スザル、マウロにどのような条件で、大砲を引っ込めさせるのです?」

「おまえが書かせたと相手に疑心を抱かせる書状ではなく、私が直接会って話せば、言うことを聞くのではないか? スザルは私の臣下ではないのか?」

「名目上は臣下でしょうし、スザルはスラザーラ家に対して忠誠心を持つ人物ではあります。しかし……」

 「しかし、何だ?」と公女が問うたのと同時に、遠くから、大砲の音が響いた。

「私が彼の配下の兵を、あなたさまの名で殺し過ぎました。そのため、スザルにしても、はい、承知しました、とはなりませんでしょう。……私の首を持って行かない限り、この音は鳴りやみませんよ」

 忌々し気に大砲の音を聞きながら、公女が「それはならん」と強い口調で言った。

「では、ラウザドへ行かれてはどうですか? スザルは喜んで承諾すると思われますが」

 「おまえも来るのか?」と、公女が期待と不安の入り混じった声でたずねると、サレは首を横に振った。

「一緒には、出してもらえないでしょう」

 サレの言に、公女は背もたれに体を任せ、「それではラウザドには行かない」と答えた。

「近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]が来なければ、おそらく、あと三か月でコステラ=デイラは落ちます。その三か月、公女が耐えられないとおっしゃられるのならば、今日にでも、私の首を差し出して、和議を、いや、降服をしたいと考えております」

 朝、動揺からサレは死を口にした。しかし、数刻休むと気を持ち直し、近北公が来るまでは戦い続けるつもりであったが、公女と話しているうちに、降服もやむなしという気持ちに変わっていた。

 それをはじめて、サレは他人へ口にしたのだが、「それはならん」と公女に否定された。


 サレを見つめたまま、公女が茶碗を取ろうとして、右手が空を泳いだ。

 それから、盆しか載っていない机に視線を移し、「茶がないではないか。喉が渇いた」とサレに告げた。

 「ご自分でお割りになったのですよ」と苦笑しながら、サレは茶を取りに饗応の間から出た。

 しかし、その声は、考え事をしている公女には、届いていないようであった。

 その光景にサレは、なぜか悪寒をおぼえた。


 茶碗を置いた盆を手に、サレが饗応の間に戻ってみると、まだ、公女は何事かを思案していた。

 サレが机の上に茶を置いたが、それに手をつけようともしない。

 しかたがないので、サレは先ほど立っていた場所に戻り、久しぶりに、平凡な顔立ちの主の顔をまじまじと見つめた。

 公女の顔は、特徴のないのが特徴と言えたが、生まれ持った、努力では絶対に手に入れることのできない気品が漂っていた。


「何だ。私の顔になにかついているのか?」

 考え込むのを終えて、サレの視線に気がついた公女が、自分の顔をなでた。

 「いえ」とサレが応じると、公女が、「よい案が浮かんだ」と、彼にとっては不吉な文言を吐いた。

「スザルではなく、国主[ダイアネ・デウアルト五十五世]さまに会って来る」


「国主さま……、ですか?」

「そうだ。国主さまとならば、おまえの首がなくとも、スザルと和議が結べるだろう? 私の名で殺されたスザルの兵のことなど、国主さまには関係のない話だからな」

 公女と国主が直接会って、サレと今の大公[マウロ]に和議を結ばせる。それを聞いた時、近北公がどう考えるか、サレにわからなかった。

 しかし、それはもはや、それほど重要なことではなかったが、コステラ=ボランクに出向いて、公女が無事に戻って来られる保証のないことは、サレにとって重大な懸念であった。

「私は反対です。ハランシスクさまの身に危険が及ぶかもしれません」

 茶を美しい所作で飲んでいた公女は「うん?」と言ってから、茶碗を盆の上へ戻した。

「なにを言っている。これは、スラザーラ家の家長がすでに決めたことだ。家宰ではない、南衛なんえいかんに過ぎない、おまえの意見などは聞いていない」

「しかしだね、ハランシスク。……いや、失礼いたしました。ハランシスクさま、どうか、ご再考をお願いいたします」

「だめだ。もう私が決めたことだ。おまえは粛々と準備を進めろ」

「せめて、近北公の同意を……」

「コステラ=デイラに閉じ込められているおまえが、どうやって、公に連絡を取るのだ。それに、そもそも、現時点で、公は私の婚約者に過ぎない。彼も私の家臣といえば、家臣なのだろう?」

 サレは「そう申されましても」と説得を続けようとしたが、公女は立ち上がり、饗応の間から出ようとした。

 思わず、サレは公女の服の袖をつかんだが、「そのようなことをしては、私の婚約者どのの叱責を買うぞ」と脅されて、手を離さざるを得なかった。


 公女が部屋を出て行ってしばらくしてから、ポドレ・ハラグがサレの元へ近づいてきた。

 不安げに主を見つめるハラグに対して、「スザルの愚か者が、寝ていた子を起こしたよ」とサレはつぶやいた。

 それに対して、事情のつかめぬハラグが、「スザル?」と言葉を返した。

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