都、狂い乱れて(十一)

 徳政令の発布については、当初、[トオドジエ・]コルネイアとサレで意見が割れた。

 部分的な容認を示唆したコルネイアを、ラウザドのオルベルタ[・ローレイル]とサレは時間をかけて、「世の中は少しずつしかよくならない。徳政令は政治の正道から外れた蛮行」と、その施行の愚を説き、最後には、徹底的に争うことで意見を一致させた。

 ここで一言付け加えておくと、コルネイアが懸念したのは、徳政令の実施による都の統治上の問題ではなく、バージェ候[ガーグ・オンデルサン]が、消極的ながら徳政令に賛成していたためであった(※1)。

 徳政令の施行を全否定することで、モウリシア[・カスト]の執政官着任について異を唱えてくれていた候を敵に回すことを、コルネイアは恐れていた。

 それは最もな話であったが、候が青年[スザレ・マウロ]派につくことになっても、サレは徳政令の施行には徹底的に抵抗するべきだと考えた。

 そのため、コルネイアとの間柄ではめずらしいことであったが、サレは自説を押し通した(※2)。


 徳政令の発布に対して、モウリシアの執政官着任を認めていなかったサレは、今の大公[マウロ]へ、公女[ハランシスク・スラザーラ]に書かせた親書を家宰殿[オリサン・クブララ]経由で渡した。

 その中で、スラザーラの名において、ラウザドおよびコステラ=デイラの商人からの借財を対象(※3)とした徳政令については、これを絶対に認めない旨を突きつけた。

 もちろん、ただ親書を渡して終わりにするつもりはサレにはなく、以下の対応を実施した。


 一つ目は、サレが保護していた商人たちに対して、早急に借用書の写しを取るように命じ、それをロイズン・ムラエソに届けさせた。

 受け取った写しを、ムラエソは厳重に管理して、青年派や暴徒の襲撃や火災による焼失に備えた。

 また、万一の事態を考慮して、コステラ=デイラの商家の警固を厳重にすることを、緑衣党へ命じた。


 二つ目は、ラウザドおよびコステラ=デイラの商人に対して、公女の名で、徳政令には応じないように指示を出した。


 三つ目は、サレが徳政令に対して行った、上記二つの対策について、コステラ=デイラの住民に広く知らしめた。


 結果、サレの保護下にある商人については、おおむね、徳政令の難から逃れることができた(※4)。

 保護していた商人に対して、サレは面目を保ったが、彼に対する怨嗟の声が都中に響き渡り、良識派と呼ばれ始めていたコルネイアの一派(※5)と青年派の対立において、都の世論は後者に傾き、ただでさえ窮地に立たされていた良識派は後がなくなった。

 言い換えれば、軍事的に劣勢であった良識派に対する、青年派の攻撃を容認する言動が、みやこびとの間で漏れ出していた。



※1 消極的ながら徳政令に賛成していたためであった

 穀倉地帯であるバージェに住む者は、ほとんどが百姓であり、彼らが金を借りていたのは、バージェ領外の商人であったため、オンデルサンからすれば、特に反対する理由がなかったのだろう。


※2 サレは自説を押し通した

 ローレイルがラウザドの知人に宛てた書状によると、当初、彼ですら、徳政令の部分的な容認はやむなしと考えていた節がある。

 周りの反対を押し切ってまで、サレが徳政令に反対した理由としては、以下の三点が複合的に作用したと考えられる。

一、ホアラおよびコステラ=デイラの統治に関わった経験

二、ラウザドおよびコステラ=デイラの商人との関係性

三、サレ個人の価値観

 とくに三番目の、彼の価値観が大きく作用したと考えなければ、八九七年の徳政令に対して、異常なまでに強く反対した説明がつかない。


※3 ラウザドおよびコステラ=デイラの商人からの借財を対象

 西南州にて金融業を営んでいた豪商は、ラウザドおよびコステラ=デイラに集中し、多くはサレの保護を受けていたため、徳政令には、サレに対する攻撃という政争的な意味合いもあった。

 ただし、コイア・ノテの乱後の混乱が長引く中、西南州の民が経済的に疲弊していたのは事実であり、その解決策として徳政令が必要だったと考える史家もいる。

 徳政令自体は、「長い内乱」期にはたびたび発布されており、ムゲリ・スラザーラもコステラ掌握後に施行している。当時、過去の経験から、徳政令を望む都人の声は大きかった。

 なお、マウロは経済面に暗かったので、カストもしくはその側近が、徳政令の実施を立案したものと推測される。


※4 徳政令の難から逃れることができた

 徳政令に対するサレの対応について、コステラ=デイラで暴動が発生したが、サレはこれを徹底的に弾圧した。

 また、徳政令に希望を託していた者の中で、生活苦から借金を踏み倒し、塩賊へ落ちぶれる者が後を絶たず、活動を活発化していた塩賊を勢いづけた。

 その塩賊の動きに対して、サレがあわてて「塩の道」を守るために緑衣党を派遣すると、都人は「自分で火をつけておきながら、火消しに躍起になっている」と嘲笑した。


※5 良識派と呼ばれ始めていたコルネイアの一派

 徳政令発布に対するハランシスクの親書の中で、サレが良識という言葉を多用したため、カストにより、あざけりの意味を込めて、コルネイアとサレの派閥は良識派と呼ばれるようになった。

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