ハエルヌン・ブランクーレ(七)

 六月九日朝。

 近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]は衣冠を正し、執政官[トオドジエ・コルネイア]と共に鳥籠[宮廷]に参内して、国主[ダイアネ・デウアルト五十五世]の代理である摂政[ジヴァ・デウアルト]に謁見した。

 北遠州のゼルベルチ・エンドラ、近西州のロアナルデ・バアニだけでなく、遠北公[ルファエラ・ペキ]との和議の斡旋を依頼した近北公に対して、「七州安寧につながることである」と、摂政は賛意を示した。

 その謁見の中で、近北公が、前の大公[ムゲリ・スラザーラ]に「吉祥」を伝えた女官の引き渡しを求めたが、摂政から、すでに死んだ旨の返答があると、それ以上は言及しなかった(※1)。


 近北公は鳥籠に参内する際、五百の兵に対して、自分の身になにかあれば宮中の人間を皆殺しにするように、わざわざ、出迎えの使者の前で指示を出していた。

 五百では兵が足りないとのことで、緑衣党にも協力の要請が出ていたため、なにごともなく、近北公が鳥籠から出て来た姿を見たとき、サレは安堵した。


 近北公は正装の姿のまま、鹿しゅうかんに出向き、饗応の間にて、公女[ハランシスク・スラザーラ]に婚儀を進める旨を伝えた。

 ついては、一旦近北州へ戻った後、再度、婚儀を挙げるために上京した際に、公女も同行して近北州へ下ることについて、近北公は彼女に了承を求めた。

 公女はそれに対して、「お決めになったことならば」と、他人事のように言うのみであった。


 話し合いが終わると、近北公は紙の束を片手に、待機していたサレに声をかけた。

「公女からよいものをもらった。東夷(※2)の冶金に関する書物をまとめたものだそうだ。これで金の産出量が増えればよいのだがな。まあ、そのようにうまくは行かぬか(※3)」

 紙の束を手で揺らしながら、微笑を浮かべている近北公に、「近北州のことを公女なりに、気にかけておられるということでしょう」と、サレも笑顔で応じた。

 それから、近北公が、微笑を崩さぬまま、サレへ次のように告げた。

「ところでな、公女殿が近北州に来るとなれば、南衛なんえいかん[サレ]も同行するということでよいな」

 真顔に戻り、形だけの提案口調で話す近北公は、サレが答えられないでいると、「千騎長として遇しよう。それに見合った領地も与える。いいな」と言葉を重ねた。

「そうだ。スザレ[・マウロ]がいつ刀を抜くかもしれん。となれば、都もどうなるかわかるまい。南衛府監も家族が心配だろう。南衛府監はまだ、この地で仕事が残っているから、今回は連れていけないが、家族は先んじて私と一緒に近北州へ避難させよう。妙案だろう、南左[ウベラ・ガスムン]」

と近北公が、公女との会談に陪席していたガスムンに声をかけた。

 ガスムンは無言のサレを見ながら、「南衛府監にも事情がある。一晩考えさせたらどうか?」と主に返答した。

 そのガスムンの言を、近北公は鼻で笑った。

「私とスザレ[・マウロ]でいくさになったとき、ノルセン・サレを都に置いておくわけにはいくまい。私が負けたら、スザレの靴をなめかねない男をな。だれであろうと、私とスザレの間であいまいな態度を取ることは許さん」

 近北公が口を閉じると、隣室から無表情の公女が姿を現した。

 サレは公女としばらく視線を交えた後、近北公に一礼して、「ご配慮痛み入ります」と彼の要求を呑んだ。

 こうして、公女の下向後も都に残ろうとしたサレのもくろみは、算段を立てる前に、近北公によって握りつぶされた。


 夕方。

 サレの屋敷にて茶会が開かれ(※4)、執政官とガスムンが参加した。

 サレが間に入る形で、執政官とガスムンが、今後の対応について協議をおこなった結果(※5)、都の統治について、執政官を近北州が全面的に支えていくことが約束された。



※1 それ以上は言及しなかった

 なお、吉凶を判じた占い師は、コイア・ノテの乱直後に何者かによって殺された。男は新教徒であったため、その魂が月へ還れぬよう、勅命により、遺体は土葬された。みやこびとはその処置を良しとした。


※2 東夷

 東部州と海外貿易を行っていた、東方諸国の総称。


※3 そのようにうまくは行かぬか

 ハランシスクが、翻訳・編纂した「鉱物要諦」は、七州には未知であった採掘・冶金の方法を近北州に伝え、金の生産量を増加させた。ハランシスクは近北州の民に好かれたが、とくに、鉱山にかかわる者たちからは敬意をもって接せられた。

 なお、「鉱物要諦」は東部州州馭使エレーニ・ゴレアーナにも献本され、こちらも同じく、ハアティム地方の銅の生産量を上げた。そのため、近北州と同じく、当地の人々からハランシスクは尊崇されたのだが、これはのちに、政治的に重大な意味合いをもった。


※4 サレの屋敷にて茶会が開かれ

 コルネイアが美食家として知られていたのに対して、サレはその粗食で都人から呆れられていた。

 七州の古くからの慣習として、貴族階級には食べてはならない食材が多くあり、それに準ずる形で騎士階級にも食の制限があった。

 この時代は、それらの制約のない平民階級の料理人の作る料理が、裕福な貴族や騎士の間でもてはやされ、食の習慣が変容し始めた嚆矢であった。

 貴族の中で、食の慣習の打破に挑戦した筆頭がコルネイアであり、騎士の中で、古くからの食習慣を守ろうとしたのがサレであった。

 食習慣の変容の一環として、それまでは肉体労働に従事する平民しか、精白した米や麦を食していなかったが、それが崩れ始めても、サレは一切、精白した穀類は口にしなかった。麦を麺麭めんぽうにして食べることすらも嫌い、だれも食べなくなりつつあった麦粥ばかりを食べていた。

 コルネイアとサレが互いの屋敷を行き来するようになると、最初は料理を出し合っていたが、互いの食習慣の大きな違いからそれはやがてなくなった。その代わりとして頻繁に開かれるようになったのが、茶会であった。

 その中で、サレの徹底的に無駄を排した作法がコルネイアを通じて貴族の間に広がり、今現在、我々が茶会を開く際の、基本的な形となっている。


※5 今後の対応について協議をおこなった結果

 コルネイアとガスムンはそりが合わなかったが、サレが間に入りつづけることで、その関係は破綻しなかった。ブランクーレはクルロサ・ルイセ宛ての書状にて、この仲立ちを、サレの残した功績の中で最も高く評している。

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