ハエルヌン・ブランクーレ(五)

 六月八日の午前に予定されていた近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]と今の大公[ジヴァ・デウアルト]の会談は、近北公の都合により、同日午後に変更された。

 前日、花火を上げさせるなど、コステラ=デイラの花街にて遊び騒いだ近北公が、歌妓を両脇に抱えて寝所へ消えたのは、明け方過ぎであった。

 花街にて、近北公が一夜に使った代金は金の延べ棒五十本に達し、都で大きなうわさとなった。


 今の大公が上座に坐る円卓の前へ近北公が姿を現した時、彼の瞳は充血し、身に酒精を漂わせていたが、その点について、大公は咎めだてをしなかった。

 型どおりのあいさつもそこそこに、大公が問いただしたのは、近西州および遠西州との不戦の約定についてであった。

 とくに遠西州との和議については、激しい口調で近北公を責め立てた。

「聞いておられるのか。近北公」

 目をつむって話を聞いているのか寝ているのか定かではない近北公に対して、大公が円卓を叩いて返答を迫った。

 それに対して近北公は、右肘を円卓につけ、右こぶしのうえにこめかみをあてたまま、大公を一瞥いちべつし、言葉を吐き出した。

「それならば、そもそもの話を大公にお尋ねしたい。大公はゼルベルチ・エンドラをおおやけの敵のように扱うが、彼がいったい何をしたというのです。デウアルト家の家勢が衰えたのち、遠西州は自らの力だけで、ウストリレから七州を守って来たのです。ウストリレはひどい内紛状態が続いているが、だからと言って侮れる相手ではない。なるほど、たしかに遠西州はウストレリの宮廷に対して朝貢を行っている。しかし、それはだれがどうみても形だけのものであり、それは彼らなりの生きる知恵と捉えるべきだ」

「そんなものを知恵と呼べるか」

 立ち上がり、声を荒げる大公に対しても、近北公は冷静で、大公を見上げて反論した。

「一体全体、貴公は前の大公が目指したもの、七州の統一という大望に囚われ過ぎている。だから、遠西州が置かれている現実を無視して、ゼルベルチ・エンドラが許せぬのだ。しかし、貴公。私は前の大公だからこそ、七州の統一という大望に、内心はともかく異は唱えなかった。だが、貴公も含めて、ほかの者が七州の統一を目指すというのならば、それは私から見れば大望とは言えず、浅はかな野望というしかない。そのようなものに私は従えぬし、従う義理もない。私はムゲリ・スラザーラという個人に臣従したのであり、国主が任命した大公という権威になびいたわけではない」

 怒りのあまり言葉を失っている大公にかまわず、近北公は言葉をつづけた。

「私は前の大公のご下命通り、ご息女ハランシスク殿と婚姻することにした。よって、近北公としてだけでなく、前の大公の女婿としても、七州の統一などという、もはや夢物語となったものに付き合うつもりはない。ムゲリ・スラザーラは死んだのだ。もうこの世にいない。彼の大望は彼とともに潰えたのだ。……ただし、ただしだ。貴公が西南州という檻の中で七州統一を叫び続けているかぎりは、それを邪魔立てするつもりはない。その年で理想を口にするのはすばらしいことだ。見た目とちがい、ずいぶんと心意気が若い(※1)。それは立派でうらやましく、私も年を重ねたとき、そうであればよいと願う。……しかし、その理想への協力は致しかねる。もちろん、じゃまをするつもりはない。近北州における私の権益を犯さない限りは。なぜなら、私には関係のない話だからだ。しかし、貴公が夢物語に遠北州や東部州を巻き込むというのならば話は変わってくる」

 「どう変わってくるのだ」と大公が自分を落ち着かせるように言葉を吐いた。

「貴公は私の敵になる」

「……すでにそうではないのかね?」

「の敵は、近北州における私の権益を直接的に損ねようとする者だけだ。であるから、遠西州のゼルベルチ・エンドラと近西州のロアナルデ・バアニは私の敵ではない。……貴公もいまのところはそうだ」

「……ゼルベルチに公敵宣告(※2)を出すという薔薇園[執政府]の意向に従うつもりはないのか?」

「前の大公ですら、鳥籠[宮廷]の増長を招かぬために出さなかった公敵宣告をエンドラに出すというのは、理想に毒されて正気を失ったとしか思えない。出すのは勝手だが、薔薇園と鳥籠だけで行ってもらいたい。もう一度、重ねて言うが、エンドラは私の敵ではない」

「仮に公敵宣告が出された場合、国家が敵と認めた存在に対して、貴公は自分の敵ではないからと自己の判断を尊重し、宣告を尊重しない。……その考えは、各州の統治を州馭使が担い、それを執政官が監督するという、大公である私が、本来あるべき姿と捉える体制に反しているように思うが?」

「そのようなものを是とする時代は過ぎ去ったよ。国主であろうが執政官であろうが、各州のうえに飾りとして権威者が立つ分には構わない。しかし、州の統治に介入する存在については、これを戴くつもりは私にはない。とくに、武力を持つ者には」

「近北公、それは各州の州馭使による軍閥統治ではないか。七州を、前の大公がおまとめになられた以前のような、軍閥のあつまりに陥れるおつもりか?」

「各州の軍閥による緩やかな連合。七州の形はそれでよいと私は考えている。いや、軍閥という文言は物騒過ぎる。私は軍閥の長ではなく、あくまでも、近北州の州馭使として、国主と執政官の権威を認め、お仕えいたしたいと考えている。……貴公が、権威者、各州の調停者としてのみ七州のうえに君臨するというのならば、当方にはいくらでも協力する用意があります。……よくよくお考えいただきたい」

 近北公の言に、今の大公は椅子に腰を落とし、両手を腹の前で組み合わせてから「話にならん」と独り言のようにつぶやいた。

「……それならば、私はお暇することにいたしましょう。お伝えしたいことは、お伝えいたしましたし。ただし、よくおぼえておいていただきたいのは、西部州に対する処置については、確かに、われわれの間には意見の齟齬があります。しかしながら、それ以外の、大公殿のなさりたいことと、州馭使として私の応じられることには、重ね合わさる部分が大きいと私は考えております。本日は残念ながら喧嘩別れになりそうですが、結局の所、われわれの関係は、大事にはいたらないと考えております。七州の未来に対しても不安は感じておりません。……東州公[エレーニ・ゴレアーナ]に関する事柄をのぞいては」

と言うと、近北公はふらつきながら立ち上がり、今の大公に別れを告げた(※3)。



※1 ずいぶんと心意気が若い

 このブランクーレの言を受けて、スザレ・マウロは「青年」、その一派は「青年派」「青年たち」と呼ばれるようになった。

 対して、ブランクーレの方は、サレがウベラ・ガスムンに宛てた書状の中の文言が広まり、「老人」と呼ばれはじめた。その二つ名に対して、ブランクーレは嫌がることなく、本人も気に入っている様子であったとのこと。


※2 公敵宣告

 公敵宣告は、古代の七州においては、個人に課される最大の刑罰であった。すべての権利、財産、名誉を奪われたうえに、定められた期間内に国外へ退去することが求められた。しかし、公敵宣告の内容は時代とともに変容し、また「長い内乱」中期以降は出されておらず、マウロがどのような効果を期待して、宣告を宮廷に出させようとしたのかは不明。


※3 今の大公に別れを告げた

 マウロとブランクーレとの間で行われた争論は、またたく間に都中へ広まった。

 家宰のモイカン・ウアネセから話を伝え聞いた東州公エレーニ・ゴレアーナは、「常に酒に酔っている男と、常に自分に酔っている男の間で、まともな話し合いなどできるわけがない」と評した。

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