ハエルヌン・ブランクーレ(四)

 遠くに歌妓たちの鳴らす楽器の音を聞きながら、サレはウベラ・ガスムンと二人きりで杯を重ねていた。

 「お前の顔は見飽きた」とサレが近北公[ハエルヌン・ブランクーレ]の酒席から追い出されると、別室で仕事をしていたガスムンが作業を切り上げて、二人で旧交をあたためることになった。

 前の大公[ムゲリ・スラザーラ]が近北州への巡幸中、暗殺者に襲われる事件があり、その暴漢を切り捨てて暗殺を防いだのがサレで、警固に当たっていたのがガスムンであった。

 それ以降、誼を通じるようになり、また、公女[ハランシスク・スラザーラ]を巡るサレと近北州のやりとりについて、近北州側の責任者がガスムンであった。


「きみが十日寝込めば、近北州は滅びると言われているが、公について来てよかったのかね」

 そう言いながらサレが、ガスムンの酒杯を満たすと、近北州では鉄仮面と呼ばれている男が、「十日も持つだろうか」と口角を少しだけ上げた。

「きみには文のやりとりの中で知らせてあるが、ハエルヌンは猜疑心が強い。信用している人間が少ないのだ。薔薇園[執政府]や鳥籠[宮廷]との折衝について、相談できる者が私ぐらいしかいないのさ。だから、仕事を抱えている私が、都まで出て来なければならなくなった。・・・・・・まあ、人を信じなくなるのも仕方がないがな。あんな人生を送れば」

「聞いた話では、父君を自ら介錯され、その父君を死に追いやった祖父君を餓死に追いやられたと聞いているが?」

「父親と祖父だけではない。親類縁者のほとんどを根絶やしにしている。……みんな金山が悪いのだ。身内で富を争わなければ、今頃ブランクーレ家が七州を統一していたであろうよ。愚か極まりないことだ」

「……この世は富める者にも甘くはないということでは?」

「そうかもな。……ところできみは、地獄というものを知っているかね?」

「知らないな」

「異教の考えなのだが、死んだ悪人が行き着き、長い責め苦を受けるところらしい。私はその話を聞いた時、それはいま我々の生きている、この世のことではないかと思ったよ」

「地獄か。死んだら、太陽に溶けて他の魂と交じり合う。もしくは、月にあるという海で、他の魂とひとつになるという、我々の宗旨とはだいぶちがうな。……しかし、この世がその地獄だという考えはいいな。生きて行くのが、すこし楽になるような気がする」

 「そうだろう」と言いながら、ガスムンは煙管に煙草をつめはじめた。

「しかし、いつまでも都にいるわけにもいかないのは事実だ。ハエルヌンの留守中、遠北州と領土を接する北管区を、クルロサ・ルイセ(※1)という若者に任せているのだが、これが名家の出である事と法治に詳しいこと以外に、取り柄のない男でね。閉じ込めたとは言え、遠北州がどうでるかわからない状況下で、重要拠点を任せられる男ではない。素直に[ルウラ・]ハアルクンに任せておけばよいものを……」

「ハアルクンさまも信用なされていないので?」

「そうだ。というよりも疎んじている」

「それは、忠義心が強いと言われるハアルクンさまにはつらいだろうね」

「いや、そうでもなさそうだ。あれはあれで変わり者だからな。私の見るところ、自分を信用しない主に忠義だてる自分に酔っている節がある」

「西のアイリウン・サレ、東のルウラ・ハアルクンと謳われただけあり、私の兄上と同じ類のお方ということか」

「そういうことだ」


 煙草を詰め終えた煙管を渡されると、サレはガスムンに軽く頭を下げた。

「ところで、近北公の考えはお聞きしたが、公女とのご縁談について、今のきみとしては、どうなってほしいのだ?」

「きみがどこまで知っているかはしらないが、ハエルヌンは、一度、マルトレ候[テモ・ムイレ・レセ]の妹との婚約を破棄している。まあ、破棄したのは前の大公の命令で、あいつの責任ではないがな。家名に傷がつくから、二度目はやめてほしいところだ」

「一度したことならば、二度したところでだれも何も言わないだろうし、そのようなことを気にするお方でもないだろう?」

 サレの返答に、「冗談を言ったつもりだが、通じなかったな。酔いが回ってきたようだ」と、ガスムンは再び、口角をほんのわずかながら上げた。

 しかし、すぐに平生の真一文字に唇を結び、話を戻した。

「個人的には、以前、書状に書いたのと変わらんよ。前の大公が死んだ以上、公女さまとのご婚約を破棄して、……マルトレ候の妹と婚儀を結ばすのが上策のように思う」

「強引にマルトレ候のご令嬢との婚約を破棄させ、自分の娘と婚約させた大公。その大公が死んだのだから、ご令嬢との婚約を復活させる。男として、いちばん筋が通っているかもな。しかし、その場合、マルトレ候の意向はどうなのだ?」

「それはわからんが、ご令嬢のほうは、婚約を破棄されて以降、精神に異常を来たし、部屋に閉じこもっているそうだ……。ハエルヌンとマルトレ候はもともと、そりが合わなかったが、婚約が破棄されるまでは、州の統治に支障をきたすほど仲はわるくなかった。婚約を復活させることで、それが元に戻るのならば、そうしたいところだよ、州の政治を預かる身としてはな。ハエルヌンがよく言うように、まずなによりも、近北州の安泰と安定につながる方向で何事も進めたい。……それに、マルトレ候のご令嬢とふたたび婚約をするしないは置いておくとしても、公女との婚儀を進めれば、ハエルヌンは力を持ち過ぎて、中立の者が敵に回る可能性も出てくるし、州の政治に専念することもできない。それは、あの男の望むところではないように思う」

 煙管に口をつけずに話を聞いていたサレは、煙草を一口吸うと、煙管で灰吹きを鳴らした。

「しかし、近北州の自立に関して、名よりも実を取ると言うのであれば、公女を迎え入れるのも一手になりうる」

「そうだな。むずかしいところだ。確かに、公女が他の勢力に取り込まれて七州統一の旗頭にされる可能性があるのならば、自分のところで囲っておけば、その害からは逃れられる。名だけ統一を叫んで動かなければよいのだからな」

「きみ、なんにせよだ。公女との婚儀を進めるにせよ、止めるにせよ、近北公と今の大公[スザレ・マウロ]がいくさになるようなことは避けてくれよ。今の大公は所詮いくさ人だ。追い詰められれば温和な表情の仮面を脱ぎ捨て、武力で解決しようと動くだろう。その時、一千しかいない私の手勢では防ぎようがない」

 ガスムンが目を閉じ、右手で目頭を押さえながら、「オンデルサン家は?」と問うた。

「あの親子は大公と政争はするが、いくさになるまで仲をこじらせるつもりはないと私は踏んでいる。有利な条件さえ与えられれば大公側につくだろう。摂政[ジヴァ・デウアルト]もそうだ。いや、摂政こそがそうだ。……執政官[トオドジエ・コルネイア]は今の大公とたもとを分かち、最近は骨のある所を見せているが、いかんせん地盤が弱い。近北公からいくら金の延べ棒を送られても、なかなか難しい」

「本気で前の大公の意志を継ぎ、七州の統一を考えている輩が、都には少なくないということだな。……ところで、きみはいま、公女とのご婚儀について、どう思っているのだ?」

「何度もきみに伝えているとおりのままさ。公女には近北州の田舎で本を読みながら余生を過ごしていただくのが、私はいちばんよいように思う」

「それで、きみは、どこでなにをするのだ?」

「私のような小物は数の多いほうにつくだけだよ。故さえあれば、私は家族を守るために、今の大公の靴を泣きながら舐め、許しを請うのも厭わない。ただなるべく、公女が政争に直接巻き込まれないことを願っているだけだよ」

「きみのような、自分と金に誠実ないくさびとがそばにいてくれると、私は助かるのだがな」

「行くところがなければ、よろしく頼むよ」

 笑顔のサレに、「心得た」とガスムンが答えると、ふたりの会話は終わり、あとは無言で杯を重ね合った。



※1 クルロサ・ルイセ

 近北州北管区長左騎射。通称「北左」。近北州の名家の出。法治を尊び、その点でブランクーレの評価が高かった。

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