西征(二十五)
九月の二十日になり、サレ一行は案内されて、バージェ候[ガーグ・オンデルサン]の宿営地に入った。
バージェ候の幕舎にサレだけが入ると、中では老人が湯を沸かしており、サレがあいさつをしようとするのを止め、席に坐るよう目配せした。
「ヘイリプの次男。おまえは茶を嗜むか?」
「少しは。母に習いましたので」
「では、茶を淹れてやろう」
バージェ候は無駄な挙措なく準備をはじめ、沸かした乳に茶葉を入れた。
「聞いたぞ。兄の遺体を利用してうまく逃げ帰って来たそうではないか。いくさ場に慣れている者たちは褒めているよ。ただ、いくさ場に出たことのない者たちには不義の行いに見えているようだ。ヘイリプの次男は孝悌の心を持たぬ者だと」
「致し方ありません。そうしていなければ、いま、生きてそのようなうわさを立てられることもありませんでしたから。……やってしまったことについて、考えても意味はありません」
サレの言に、バージェ候は声を立てて笑った。
「その通りだ。死んだ兄より、おまえのほうがいくさ人らしいな。あえて言うが、あれは早晩犬死すると私は思っていたよ。実際のところ、おまえもそう思っていたのではないかね?」
バージェ候から茶を渡されると、サレは作法に則り、口をつけた。
「……西征以後に起きたことのあらましは聞きましたが、なぜ、老公[コイア・ノテ]は大公様をお討ちになられたのでしょうか?」
「私にもわからん。私が唆したと言う者もいるようだが、本当に私はかかわりがない。本当だぞ。……私から言えることは、討てるから討ったのだろうよ。老公の片腕のロアナルデ・バアニにも無断で挙兵したらしい」
「バアニさまはいま?」
「州都クスカイサから動いていないようだ。都のいくさを知らぬ者たちは、バアニを討てとうるさいが、老公の愛弟子と言われる男をどこの兵が討つというのだ。ばかばかしい」
「老執政[スザレ・マウロ]の周りの者たちが?」
と忌々しげにサレが尋ねると、バージェ候はひとつうなづいた。
「老執政自らが討伐するから、私にも手伝えと言うが、私は自ら息子を討ったばかりだ。しばらくは息子の魂が早く月へ還れるように祈っていたい」
ノルセンは茶を飲み切り、椀を伏せた。
「無駄がなく、悪くない所作だ」
「田舎の作法をお見せして恐縮です。ところで、老公は西進してきた東南公[ヌコラシ・グブリエラ(※1)]とのいくさで負け、逃げる途中に雑兵に討たれたというのは本当の話でしょうか?」
「そちらはわからん。老公とのいくさで受けた矢傷がもとで、東南公が死んだのは本当だ」
自分の椀に茶を注ぎながらバージェ候が答えた。
「大公様だけでなく、老公と東南公が亡くなり、七州はどうなるのでしょうか?」
「そのようなことを私に聞かれても困る。東部州か近北州に分はあるが、東部州は当主が病にふせって長い。近北州は……、あの奇人がどう動くかなど、私にはわかりかねる。とにかくお互い、当分は自分が生き抜くことだけ考えていくしかない」
深くうなずくサレにバージェ候が、「これからどうするのだ。できることはしてやる」と言った。
サレが謝辞を述べてから、一刻も早くホアラに戻りたい旨を伝えると、バージェ候は馬を用意してくれた。
西征において、サレとオントニア[オルシャンドラ・ダウロン]は数え切れぬほど人を斬ったが、まったくのくたびれもうけに終わった。
サレは泥水を啜るために(※2)西部州へ出向き、父兄や多くの家臣を失ったのであった。
※1 ヌコラシ・グブリエラ
東南州州馭使。ムゲリ・スラザーラの最側近であり、スラザーラ横死後、南部州内に大混乱が生じた、いちばんの要因は彼の死にあった。
※2 泥水を啜るために
西征撤退時に受けた苦難のために、サレは終生、ウストレリ再進攻の流れに反対しつづけ、進攻派が多数であったが、その存命中は再進攻を許さなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます