第二章

ホアラ(一)

 城塞都市ホアラは、西南州、東南州、近北州南部マルトレをつなぐ要衝の地にあった。

 デウアルト家による中央集権が維持されていた間は、各街道の整備は維持されていたが、それが失われ各州の州馭使の自治が強まると、各州をつなぐ街道の整備はなおざりにされ、結果、各州間の移動、とくに軍の移動に適した街道の数は減り、西南州と東南州から大軍を近北州に派兵するには、ホアラを通過しなければならなかった。そして、それは逆もまた然りであった。

 そのような重要な拠点であっため、サレはホアラが他州の軍に占領されている可能性を危惧していたが、それは無用の心配であった。

 西南州と東南州は混乱状態にあり、マルトレの領主テモ・ムイレ・レセが決断力に疎い男であったことが幸いした(※1)。

 主である大公[ムゲリ・スラザーラ]をうしない、治安が悪化していた都周辺を避け、バージェ候[ガーグ・オンデルサン]の宿営地から北東へ昼夜問わず急行した結果、九月二十五日、サレ一行六人はホアラへ着いた。


 サレが自宅に向かうと母のラエと、身重の妻ライーズが出迎えた。

 サレはあいさつもせずに妻のもとへ駆け寄り、「子供ができたのか?」と尋ねると、ライーズが満面の笑みで「はい」とうなづいた。

「めでたいが。このような時に子持ちになるとは何とも……」

「何ともではありません。お館殿[ヘイリプ・サレ]もアイリウンも死んでしまったのですよ。ライーズにはこれからもじゃんじゃか産んでもらわないと困ります」

 ラエが大音声で言い放つと「それはそうですが」とまだ煮え切らない返事をサレはした。

 ライーズが不安げに夫を見つめていたので、サレは作り笑いをして、彼女の腹をやさしくなでながら、「安静にしなくてはいけないよ」と声をかけた。

「とにかく、三人とも戦死したと聞いていた中で、ノルセンだけでも戻って来てくれて助かったわ」

「助かったと言えるかどうか。ホアラから二千人が西へ向かい、山道を進み続けた者は、我々五人しか戻れませんでした。国道を通って戻って来た者はいるのでしょうか?」

「何人か戻って来たけど、おまえが帰ってくると聞いて、よそへ出て行ったわ」

「別にどうこうするつもりはありませんでしたのに。母上がいじめたのではないですか?」

 「そんなことはないわよ」というラエの声は生気に満ちており、夫と長男を失ったばかりの女のものとは思えなかった。

「とにかくうまく切り盛りして、ホアラは建て直してちょうだい」

「しかし、私たちの命令で西へ行った者たちの遺族は私を受け入れるでしょうか?」

「別におまえが命令したわけではないでしょう。文句があるのなら大公[ムゲリ・スラザーラ]に言えばいいのよ。……ところで、その男の子はだれ?」

とラエがオーグ[・ラーゾ]に興味を示したので、あとはポドレ・ハラグに任せて、サレは義姉のもとへ向かった。

「あんな女のところへ行く必要はないわよ。ずっと部屋に閉じこもって家事を手伝いもしない。アイリウンが死ぬ前からもそうだったけど」

 怒り出したラエを身重のライーズが「お義姉さまもお辛いのです」となだめたので、「おまえはだれにでもやさしいわね」と、彼女はすぐに機嫌を直した。


 亡きアイレウンの妻タレセは、騎士階級では名家であるオラウージャ家の出であった。離れの一室で椅子にもたれかかっていた彼女は憔悴しきっていたが、生来の気位の高さは残っていた。

「ここにはいたくありません。オラウージャ家に戻ります」

「わかりました。縁者の方をお探ししますが、オラウージャ家の方々は、私の母の実家であるボエヌ家、妻の実家であるウリゼエ家ともども、大公のお傍に侍る直臣の方が多いので、ご覚悟だけはしておいていただきたい(※2)」

「他家の方はともかくオラウージャ家の者は大丈夫です」

「……そう思われたいのは分かりますが」

 義弟の言に、タレセの目つきが厳しいものになったが、サレは気にしなかった。

「しかし、親が親なら、子も子ですね。お館様とアイリウン様が亡くなられても平気なご様子で。いくら仲が悪かったとは言え」

「その言は訂正願いたい。確かに、仲は悪かったですが、我々も悲しんでいます。ただ、いくさ人はこういうときに感情を表に出さないものです。我々はあなたとちがい、そういう育てられ方をしているだけです」

「兄上の遺体を逃げる道具に使うような者が言うことですか」

 叫ぶタレセにサレも言い放った。

「勇猛果敢とは聞こえはいいが、敵兵に突っ込むことしか知らぬ猪の面倒を見させられた方の身にもなっていただきたい」

「あなたは、世上の評判高い兄上に嫉妬していたのです。ですから、あのような蛮行をしたのです」

「あなたに言っても通じないかもしれないが、私は兄上をうらやましいと思ったことはありませんし、好きではなかった。しかし、弟として敬意は払って来たつもりです。……とにかく、私はあのような場で犬死にするために生まれて来たわけではありません。ですから、兄上の遺体を利用させてもらったのです」

「そのような言葉、私は認めません」

「あなたに認められなくても、私は一向に構いません。あなたにどう思われようとも」

 タレセが黙り込んでしまったので、サレは深く頭を下げてから部屋を去った。



※1 テモ・ムイレ・レセが決断力に疎い男であったことが幸いした

 それに加えて、ムイレ・レセの主であるハエルヌン・ブランクーレが、遠北州への対応で身動きが取れないでいたことが大きかった。


※2 ご覚悟だけはしておいていただきたい

 三家の主だった者はスラザーラに殉じるか、戦死などして、死に絶えていたため、サレは縁戚の力を借りずに、サレ家を建て直さざるを得なくなった。

 これはサレ家だけの問題ではなく、コイア・ノテの乱により、スラザーラの側近たちがほぼ一掃されてしまったことが、南部州の軍務、政務両面の人材不足による権力の空白と混乱を生み出したことが、「短い内乱」勃発の大きな原因となった。

 「短い内乱」とは何だったかと言えば、コイア・ノテの乱によって生じた南部州の権力の空白を埋める過程であり、その中で台頭した者のひとりが、ノルセン・サレであった。

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