第5話「ナナオとナナと、似た顔と」

 それからの数日は、検査、検査、また検査だった。

 その間に僕は、人間という不自由なボディに慣れてゆく。

 とりあえず、筋トレというのを始めてみた。人間は機械と違って、自分の各種スペックを変動させることができる。物理的な攻撃力を取り戻すには、これしかない。

 そんな僕に、なにかとジェザドは世話を焼きたがった。

 今日も僕は、彼に長くて鬱陶うっとうしい髪を切ってもらっていた。


「ナナオは母親似だねえ。長く黒い髪は大和撫子やまとなでしこといったおもむきだ」

「それを言うなら、ナナが、だろう? 僕には関係がない」

「まあまあ、そう言わずに」

「先日も宣言した通り、お前の娘をやるつもりはないぞ。僕は僕だ」

「はいはい、それでいいさ」


 例の病室で今、僕は白い布で首から下を覆っている。

 それで思い出したので振り向いたが、ジェザドにグイと頭を掴まれ前を向かされた。

 しらなかった、人間の首は360度回るようにはできていないんだ。

 それで僕は、何度か人間の首をじ切ったのを思い出す。


「ジェザド、もっとましな装備を用意してくれ。この間の、ワンピース? あれは困る」

「えー? なんでかなあ、オジサンとってもかわいいと思ったけど」

「動きにくいし、股関節から下腹部にかけて酷く無防備だ」

「ま、考えておきましょ」


 ジェザドはこう見えて器用で、チョキチョキと小気味よくハサミを歌わせてゆく。

 なんだか、昼食後の午後の日差しも手伝って、僕は意識が不鮮明になった。

 この、睡眠欲という人間特有のロジックには、本当に困っている。

 人間は眠気を誘発されると、極端に稼働能率が下がる。パワー激減といっても過言ではない。そして、それはなんだかフナフナと曖昧あいまいな安らぎをも与えてくれるのだ。

 居眠りしないように、僕は前の鏡だけを見てジェザドに語りかける。


「なあ、ジェザド」

「うんー? ああ、待て待て、動いちゃだーめよ。……よし、右をもっと切ろう」

「ナナは、どんな娘だったのだ? こうなった以上は、僕にも知る権利があると思うが」

「それがねえ、おじさんもよく知らないのヨ」

「……は?」


 思わず僕は振り向いてしまった。

 それは、ジェザドが「あっ!」と息を飲むのと同時だった。

 彼はしばし真顔で固まったが、再びグイと僕の首をねじる。


「……大丈夫だ、まだ焦るような時間じゃないサ。左を切って帳尻を合わせれば」

「ジェザド、妙な話じゃないか? 何故なぜ、親が子のことを知らないんだ」

「じゃあねえ、君。自分を作ったメーカーや工場の思い出、ある?」


 言われてみれば、そんなものはどこにもない。

 僕の一番古い記憶は、すでに戦場だった。

 最前線の基地に搬入され、姉妹たちと共に初期設定が始まった。その頃にはもう、敵が迫っていた。遠距離からの砲撃が、それを道案内するように近くへ降り注いでいたんだ。

 すぐにフル装備に換装され、そこから沢山壊して殺した。

 僕と同じロットの仲間たちが部下になり、次々と戦果をあげたのだ。


「教えろ、答えろジェザド。僕と違って人間は親が子を育てるのではないのか?」

「んー、おおむねそうだネ。けどまあ、私は仕事一筋でねえ……それに、妻とは別れたんだ」

「別れた、とは? 別行動、別働隊に編成されたのか?」

「君ねえ……ま、いいさ。離婚したんだ。婚姻状態の解消。そして、ナナはあいつに引き取られてった」

「なるほど。なら、どうしてこの肉体にここまでする? 制度的にもう親子ではなくなったはずだ」


 ここまで言って、僕は思い出した。

 人間にはルールとは別に、モラルやマナーというものがあるらしい。

 何故、0か1か、肯定か否定かで明確にしないのか、理解に苦しむ概念だ。

 そして、自分がそうした暗黙の了解を踏みにじってる気がしてきた。

 ジェザドは黙ってしまって、ハサミの音だけが冷たく響く。

 そして、後頭部に重く長い溜息を僕は聴いた。


「ナナオ、人間はねえ。夫婦はやめられても、親子はやめられないんだヨ。法的にも、生物学的にも、心情的にもね」

「なるほど。メリットは捨てたのに、デメリットから逃れられないのかい?」

「損得じゃないんだ。私は仕事に、研究に夢中になってしまった。それで妻は、ナナを連れて出ていった。でも、僕がナナの病気のことを知った時にはもう……全ては遅かったんだ」

「でも、遅過ぎはしなかった。お前は娘の病気を直したじゃないか」


 おっと、間違った。

 、だ。

 そう、処置不能な程に衰弱したナナを仮死状態にして、その上で酷く困難な手術を成功させた。オマケに、世界で一番高度なAIを持つ僕までインストールしたんだ。


「ん? 待てよ……ジェザド、ナナはどこにいる? 本来のこの肉体の持ち主、ナナの記憶と人格はどこにいったんだい?」

「ん、ちゃんと保存されてるよ。だから、いつか本来の肉体に戻したいねえ」

「……それで僕は、お役御免やくごめんか」

「いんやー? ちゃんとナナオちゃんには新しいボディを考えとくよ。ほら、私ってば業界に顔がきくから」


 不安だ。

 欲を言えば、さっさと軍に僕を戻して欲しい。

 元の躯体くたい、ネフェリムが一番だ。

 勿論もちろん、もう戦争は終わっている。

 だから、封印凍結されるか、デチューンされて国境警備なんかに回されるだろう。軍事機密のかたまりだから、民間に払い下げられることはない。

 今頃、この街で大破した元の僕は、軍が回収している筈だ。

 彼らは気付くだろうか? 中身だけ怪しい男に抜き取られてることに。


「ナナオちゃんはさあ」

「うん? なんだ、ジェザド」

「犬と猫、どっちが好き?」

「……有機体ボディでない方が好きだ」

「なんでそう、夢がないこと言うの。トイレだって最近は上手くなったじゃなーい? フフフフフ!」


 僕にとって、生物的な機能の全てがわずらわしいのだ。

 記憶力は弱いし、一定の睡眠時間が必要だし、摂取したエネルギーを全て消化できずに排泄する必要がある。オマケに、雑多な感情が次から次と襲ってきて、正直とても疲れるのだ。


「私はナナがおしめしてる時からずっと、仕事一筋だったからね。いい経験というか、まあ、今後もお世話OKだからね!」

「……死にたまえよもう、変態。ああいうのは、酷く、顔中がイギイギする」

「おっ、出たね独特の感情表現。『羞恥心しゅうちしん』っていうんだよ、それは」

「ああそうかい、ご教授ありがとう。もう二度とらさないことをここに宣言しておく」


 少し空気が和らいだ。

 そして、人間がいらぬ気遣いを必要不可欠としている理由を僕は理解した。

 完全にではないが、なんとなく薄っすらと察したのだ。

 感情を多数持ち、状況に応じて意図せず励起れいきさせてしまうのが人間だ。

 だから多分、時と場合に応じて不必要な感情の誘発をお互いに抑止し合っているのだ。うん、これは合理的な推論で、恐らくほぼ正解に違いない。

 論理的な説明を自分の中で確立させると、自然と僕は気持ちが落ち着いた。


「よし、いい感じだネ! ……私は長い方が好きだけど、これくらいの長さの方がナナオちゃんには動きやすいだろうし」

「ん、終わったかい? どれどれ」


 僕は立ち上がると、被せられた布の間から手を伸ばす。

 テーブルの上に置かれた鏡を手に取り、入念に中を覗き込んだ。

 うん、これくらいの髪なら邪魔にはならないだろう。


「あーあー、まだ立っちゃ駄目だヨ。シャンプー、するでしょ?」

「ん? ああ、それはいい。自分でできる」

「いやいや、そう言わずにさあ。やらせてよねえ、ん?」


 本当にジェザドときたら、わずらわしいくらいに世話焼きだ。

 そもそも、何故彼は今になって娘に親身になるのだろうか。

 仕事の方が重要な案件で、その優先順位が変わったのはどうして?

 まあ、僕にとってはどうでもいいことなんだけども。

 しかも、どうして嬉しそうなんだ。

 そのことがつい、また勝手に口をついて出た。

 気をつけないとこの肉体は、思ったことを超えに出してしまう。


「ハハ、罪滅ぼしって訳じゃないんだけどネ。あいつは救えなかったが、せめて子供のナナには真っ当な幸せをプレゼントしたい。彼女が自分で幸せを選べるだけの条件を、整えてあげたいのさ」

「エゴだね。今更いまさらというものじゃないかい? 理解不能だよ」

「うわ、バッサリ……そういうとこなんだよなあ、ナナオちゃん」

「ナナがそれを望んだというのかい?」

「まさか。ただ、なにも望めないまま死んでほしくない、生きてほしいんだヨ」


 ますます訳がわからない。

 ただ、ニコニコしててもジェザドは目だけが笑っていなかった。

 色んな笑いをここ数日で見たが、今は心底笑っている様子ではない。

 つまり、エゴを通したいだけの何かが彼にあるのだ。

 そう思える程度には、真剣な空気を肌でニリニリと感じていた。


「ま、いいさ。ナナに返すまで肉体の維持は任せてもらおう」

「助かるなあ、ナナオちゃん」

「その代わり、新しい躯体だ。有機的じゃないものだったら、戦車でもなんでもいい。僕をはやく、元の機械に戻してほしいんだ……ん? おや、これは……?」


 僕はふと気付いて、鏡を凝視した。

 そう、思い出したのだ。

 この肉体、ナナの中に詰め込まれた時のことを。

 本来ありえない、それはロボットが見た夢。ロボットから吸い出されてゆく僕が夢を見たのだ。今でも鮮明に覚えている、あれは葬式だ。

 そして、ひつぎの中に入っていた女性の顔は……どういう訳か、少し僕に似ていたのだ。

 僕にというか、ナナにとてもよく似ていたように思えるのだった。

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