第4話「シュレディンガーの恋と謎」

 午後は外出したいと言ったら、許可が出た。

 意外だ。

 隔離され、監禁されるものと思っていたからだ。

 僕は与えられた装備へと換装し、外へ……そこはもう、異世界だった。


「本当に戦争が終わったのだな。……しかし、ええい、クソッ!」


 一つだけ収穫がある。

 頭の中のニラニラ、これは『』という感情らしい。

 人間は、些細なストレスでこれを発症する。しかし、精神疾患のたぐいではない。ただ、個体差があるというのがせなかった。

 多分、僕は苛立ちに対する耐性が低いのかもしれない。

 あるいは、この肉体が、だ。


「それにしても、歩き難い。しかも、防御力皆無ときてる」


 僕が歩くたびに、ひらひらと白い布が揺れる。

 真っ白な服は、上下が繋がったワンピースだ。しかも、下半身が布の奥に露出する形である。布地で外からは見えないが、素肌の大半が空気に触れた状態だ。

 これがまた、酷く落ち着かない。

 だが、人間は裸で歩くことを極力避けるようにしている。

 極めて特殊な性癖の者以外は、プライベートな時間以外は必ず服を着るのだ。

 それぐらいの知識は僕にもある。


「さて……確か、こっちの方だと思ったがね」


 GPSの誘導がないから、記憶の糸を辿たどるようにして歩く。

 その糸は以前は太くて、どこまでも明確に僕を導いてくれた。

 今は、手繰たぐり寄せるのも難しい。

 そんな僕の周囲では、人間たちが活気に満ちて賑わっていた。


「信じられないな。あれだけ殺してやったのに……どういう生産性をしてるんだ?」


 僕たちが開発され、実戦配備された時……世界は震撼した。

 有史以来最強の殺人兵器。人間だけを丁寧に、そして確実に殺してゆく殲滅マシーンだ。さる学者が計算した結果では、千体のネフェリムを常時稼働させておけば、十年で地球の人類は絶滅するらしかった。

 だが、どうだ?

 戦争が終わってみると、人間たちは随分沢山生き残ってるじゃないか。

 僕たちネフェリムのキルレシオでは、一秒間に最大で500人以上を殺せるのに……世界を焼き尽くす勢いで殺しまくったのに、しぶといものだ。


「……半月でこんなに再生産されてるとしたら、恐ろしいな」


 戦争が終わってから、すでに半月が経っていた。

 たった半月で、人類は自由と博愛を思い出したらしい。

 そんな空気の中で、僕は酷く居心地が悪い。

 胸中にあるこのフナフナな気持ちも、この先なんであるかが判明するのだろうか。そして、感情や情緒といった戦闘には無用なゴミデータばかり蓄積されてゆくのか。

 憂鬱ゆううつな気分になったが、目的地へと急ぐ。

 病院から小一時間歩いただけで、もう全身がぐったりと疲れてしまった。


「なんて弱い肉体だ……信じられない」


 それでもどうにか、目当ての場所に来た。

 それは、あれからずっと風雨にさらされていたらしく、酷く汚れている。

 目の前に今、倒れて動かなくなったネフェリムがある。

 半月前まで僕だった躯体くたい、僕そのものだ。

 自分で自分を外から見るのは、なんだか妙な気持ちになる。

 そして、もっと奇妙なものを見つけた。


「なんだ? 何の真似まねだというのだ。まったく……人間はくだらない感傷の表現が好きだな」


 花がそなえてあった。

 それも、大量にだ。

 意味不明で不可解なのに、それなのに。

 どういう訳か、心臓のあたりがキュルルンとなった。

 因みに本来なら、ネフェリムの動力は下腹部にある。

 鼓動が高鳴った気がして、心拍数がゆっくりと加速し始めた。


「……一種の自己満足、自己陶酔と解釈可能。そうとしか、思えない」


 残骸となって大地に沈むネフェリムに、沢山の花束が供えられていある。

 だが、僕の興味はネフェリムの胸部だ。長距離から狙撃を受けた、それが致命打となって稼働不能に陥ったのだ。ネフェリムを破壊可能ということは、条約違反の大口径光学兵器かもしれない。

 なんだか気に入らなくて、また例の苛立ちとかいうものを感じた。

 だから、ドリンクや菓子と共に並ぶ花束を蹴っ飛ばした。

 けど、やっぱりまだ身体のコントロールが完全じゃない。

 蹴り上げた勢いそのままに、僕は後方にスッ転んでしまった。


「これも、苛立ち、だな。はあ……まあ、駄目だとはわかってたんだ」


 元の躯体には戻れない。

 これは最初からわかっていた事実、そして現実だ。

 ジェザドは設備の整った病院で、半月もの時間をかけて僕を完全移植した。よりによって、不完全な14歳の少女に閉じ込めたんだ。

 でも、改めて本来の躯体を見て、納得するしかない。

 軍の本格的な支援でもない限り、僕はもうネフェリムには戻れないんだ。

 大の字に天を仰げば、先程蹴った花びらが風に舞っていた。

 そして、頭上から突然声が降ってくる。


「ナナ? お、おいっ! お前……ナナ・シラカバだよな!?」


 身を起こして振り返ると、一人の少年が立っていた。

 軍からの払い下げだろうか? ぶかぶかのシャツも半ズボンも、カーキ色のミリタリーだ。そして、ほおには絆創膏ばんそうこうを貼り付けている。

 勿論もちろん、見ず知らずの他人だ。

 けど、彼は僕の名をもう一度読んで駆け寄ってくる。


「ナナ、よかった……お互い生き残ったな! 身体はもういいのか?」

「……お前は、誰だ?」

「おいおい、忘れたのかよ。俺だよ、俺! ロビンだよ」

「忘れた訳じゃないさ。知らないんだ。記憶にない」

「お、怒ってるのか?」


 どうやら少年は顔見知りらしい。

 だが、心底どうでもよくて、馴れ馴れしいのもいちいちかんさわる。

 そう、またも苛立ちだ。

 この感情を表現するスキルだけが最適化されそうな気がしてきた。


「僕は……ナナオ。今はそういう名前だ。ナナというのは?」

「えっ? ナナじゃないのか? そっか……そっくりだけど、双子の妹とか?」

「知らないよ。じゃ」

「ま、待てよ、ナナ! じゃない……ナナオ、だったよな」


 彼は僕の手首を掴んできた。

 微細なダメージを感じて、身体がこわばる。

 同時に、人間の脆弱さにまたもめんざりさせられた。

 ……、もう嫌だって気持ち。

 人間に押し込められなかったら、知らずにすんだ感情だ。


「離せ、少年。警告する。離さなければ実力行使に……ぐ、ぐぬぬ」

「少し話させろよな、お前。あっ、強く握り過ぎたか? ゴ、ゴメン」

「はぁ、はぁ……こんなに、僕は今、弱いのか」


 振りほどくどころか、ロビンの握力にさえあらがえない。

 同世代の男児に比べて、驚くほどに僕は弱かった。

 病院で寝たきりだったことを差し引いても、弱過ぎる。

 でも、僕が顔を歪めて不快感を発散していると、ロビンは手を離した。


「とりあえず、ナナは元気か?」

「知らないと言っている」

「他人の空似そらにってレベルじゃないんだけどな……じゃあ、俺との約束も覚えてないんだ」

「元から面識がない。……ただ、この肉体の固有名を知れたのは収穫だね。なるほど、前任者はナナというのか」


 ロビンは不思議な顔をして、小首をかしげる。

 だが、彼はなんだか奇妙な笑顔を向けてきた。

 やはり、人間は多種多様な笑みを使い分けることができるらしい。

 そして、今のロビンを見ると僕はまた心臓がジンジンした。


「なんか……やっぱ、うん。確かに、別人だな」

「さ、先程からそう言っている」

「変わっちまった、っていうのかな」

「どういう意味さ?」

「い、いや、いいんだ。俺はナナがどこかで元気なら、それでいいんだ。この間言ったこと、さ……やっぱ忘れてくれよな。困らせたみたいでさ」


 どうにも話がいまいち掴めない。

 要領を得ず、理解不能だ。

 軍隊では、報告は常に簡潔さが求められる。

 僕たちネフェリムは互いにデータをリンクさせて、超高速で大容量の情報交換が常だった。

 けど、ロビンはなにも伝えてこない。

 なにも掴めないのに、なにかは確かに僕へと入り込んだ。


「ナナオ、だったよな。じゃあな! 今日はサンキュ、もしナナに会ったら……謝っといてくれ。俺の方は忘れるのに時間がかかりそうだから、もう少し好きでいてすまないって」


 それだけ言うと、ロビンは去っていった。

 なにがなにやらという感じで、まるできつねにつままれたような気分だ。

 この形容は、狐という野生動物が極めて高度なモーフィング変形機構を有していることに由来する。きっと生体兵器が野生化した生き物だろう。

 それより、僕にとって処理不能な感情が発生してて、狼狽うろたえてしまう。

 対処も難しく、名前も表現方法もわからない。

 ただ、苛立ちを感じてる訳ではないということだけははっきりわかった。


「……なんなのだ。忘れるのに時間がかかる? もしや指揮官機か上位個体なのか?」


 病院に戻ってそのことをジェザドに話したら、笑われた。

 そして、ナナという少女に恋した少年の物語を聞かされる。

 ジェザドは終始笑顔だったが、やはりまた知らないバリエーションの笑みだと僕は思ったのだった。

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