第3話
部室を出ると、空は既に殆ど闇に染まっていた。冬の日が落ちる早さを実感しているゆとりはなく、暗がりの中帰路を辿る。
「帰りかい?」
「……ども。お疲れです」
「背後に気をつけて帰りなよ」
「へーい」
校門付近で、いつも顔を隠して顰めっ面を浮かべている用務員とすれ違い、軽い挨拶を交わす。
気難しいテンプレートなおっさんだが、話は面白い人だ。無駄話に興じることもあるが、気分は地の底まで落ちていた猿山は、返答も雑になっていた。
帰り道を歩き、未だに改札が手動の田舎駅で電車に乗る。
家に帰る頃には寒空が星を瞬かせていた。
「ただいまー」
「おかえりんしゃあ」
重たい気分のまま、猿山はそこそこ広い古びた一軒家に帰宅する。玄関で待っていたのは、長い白髪を団子に纏め腰が丸まった祖母だった。
しわくちゃの顔を顰めて、不安そうに猿山を凝視している。
「あんれまあ、浮がねえ顔してんねぇ」
「……うっせ、ババア」
「あーあー、出だ出だ。こんだらべっぴんにババアなんて言えんのあんただけだよ。だぁれに似だんだが」
「ばーが、おめ、思春期だべ」
靴も揃えず祖母を素通りすると、低いしわがれた大声が玄関まで響く。
一瞬足を止めると、居間から皺と彫りの深い気難しい顔が覗いた。
禿げた頭頂部と鋭い目を光らせ、猿山をじっと見ている。その視線は「俺は分かってる」とでも言いたげな圧力を感じた。
「……夕飯あとで食う!」
祖父の全て分かっているようで、何も分かっていない顔に苛立ちが増す。
声を荒げて逃げるように階段を駆け上がると、古びた床が軋み悲鳴を上げる。
階下から祖母の声が響いた。
「兄ちゃんに挨拶だげはすんだよぉ」
猿山は狭い眉間を寄せ、自室のすぐ向かい側の部屋の木戸を乱暴に叩いた。
「兄ちゃんただいま! おかえり!」
返答を待たずに自室へばたばたと閉じこもり、ベッドに鞄ごと身を投げ出す。
秒と経たずに、猿山はスマホを引っ張り出した。
かじり付くように画面を見つめ——すぐ後悔した。
「グループ追い出されてる……」
悲惨な現実を前に、猿山の赤ら顔が見る影も無く青褪めた。
普段活発に通知が鳴り、一分以内に返事をしていた連絡ツール。そのグループは、跡形もなく消えていた。
中毒めいた電子端末をそれでも手放すことなく、アプリを開きながら大声で怒鳴り散らす。
「……はークソクソクソ! ダメ山のくせに俺のこと何も分かってねーわ、消えろ! クソ! これだからさぁ! 俺の凄さが分かんねー奴は!」
光る画面上に、弱そうな幽霊の敵が現れた。キャラクターをタップすると、鋭い勢いで切り刻む。
「し、ね、よ!」
その後アプリに二時間、ブラウザに三時間費やした。
気付けば時計の針は丑三つ時を示している。外も部屋の電気もつけずに、猿山はスマホにのめり込んでいた。
もっとも、猿山自身にとっては、不健康な日常の一コマに過ぎなかった。
大きな瞳に浮かない色を浮かべて、猿山は連絡ツール、LIMEを開く。
既読がつくだけの、ずっと一人だけ喋り続けているトーク画面を開いた。
風呂や食事と同じ日常の如く、目にも止まらぬ速さで文字を打ち込んでいく。
『起きてるよね?今日は弥陀山と喧嘩した。前話した坊主のやつ。急に部活中怒鳴られたわw情緒キモwオカルトネタで怒鳴るとかまじ弱すぎw幽霊会ってみたいって皆言ってたのにまじダメ山空気読まねーwはすみはホラー好きだしわかるよね?
はすみいつ教室くんの?ずっと待ってんだけど何ヶ月目?冬休み入る前にきたら?はすみがスマホ見てんの知ってるから』
送った瞬間に既読がついた。
かれこれ何ヶ月も送り続けている既読スルーの幼馴染は、今日も夜更かししているようだ。
「……ストーカーみたいでキモいのはわかってんだけどさぁ、秒で既読つくのフツーに期待するわー。嫌ならブロックすりゃいーじゃん。そうすりゃ察しますよ」
言い訳がましく独り言を呟いて、LIMEのアプリ画面を閉じる。そのまま画面をオフにした瞬間、
ポキポキ
間の抜けた音が静かな部屋中に響き渡る。
「あ……っ!?」
夜更かしの自覚はあった。送り主が夜更かししていることも分かっていた。
それでも、返事が来るのは実に数ヶ月振りの出来事であった。幼馴染だけに限定した通知の音を、この日の夜に猿山は初めて耳にした。
と同時に、顔面にスマホを落とした。
「っきぃ——————……いっっづづ……は……っ!?」
顔面を押さえ痛みに浸る時間も惜しい、呻きながら懸命にメッセージの通知を開く。
ポキポキポキポキポキポキポキポキ。
次々と間抜けな通知音を立てるスマホが、メッセージのポップアップを流す。
『私に関わるな』
『明日から電車に乗るな』
『日曜もLIMEしてくるな』
『行くな電車絶対』
「……はぁーーーー?」
猿山の家から高等学校まで、徒歩で行けば一時間以上かかる。公共交通機関が必須であることは、よく知られているはずだ。
それを急に一体なぜ?
これはいよいよ本気で嫌われてしまったのだろうか。
猿山のない頭を巡らせた結果は、簡潔だった。
『ごめん。電車は乗るけどもし見かけても話しかけないよ。でもはすみが不登校になってから、そもそもはすみのこと見てないよ。保健室登校って噂だけ聞いた』
とりあえず謝ることにした。
猿山の顔は完全にお通夜寸前だった。初恋の幼馴染から久しぶりに来た連絡が拒絶では、謝る以外何も出来なかった。
ブロックされたかな。独り言を呟きながら、猿山はスマホをじっと見つめる。その状態で五分は経過した。待っても連絡はない。
諦めてスマホを枕元に置くと、猿山はポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキポキ。
怒涛の通知音が鳴り響き、猿山は跳ね起きた。
『ごみやろう』
『めをくりぬかれろ』
『んふふ』
『ねえ』
『二度と』
『かかわらないで』
『いい?』
『めんどうごとは嫌』
『がちでむり』
『んーずっと思ってたけど』
『ばかだよね』
『るいともどうし』
『かたってろよキモオタ』
『らいむ送ってくんな』
流れるような罵声の数々に、猿山は硬直する。平仮名が多い、眠たいのだろうか。
放課後の喧嘩よりショックを受けた猿山は、大きな瞳を濡らし枕に突っ伏した。
「……二度と送らねーよ、デブ」
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