第2話 ジーン

 フィルが。と人工脳が処理するまでどれほどかかっただろうか。


 不意に焦げ茶色の髪が揺れて、僕とは別の懐中電灯の光が僕とフィルを照らした。僕が振り向くと、黒の作業服を身に纏った、肩にかかる程度のストレートの黒髪に実際の人にはありえない深い青色の色彩の瞳を持った、ロボットがいた。


 僕は、ジーンと口を開かずに言った。ジーンはフィルと同じ清掃員の一人だ。そして、フィルとバディを組むように一緒にいた。前の約束も、いつもの会話もジーンはいた。一切話すことは無かったけど。僕は彼の考えることがわからない。


 沈む前は普通に清掃をしていた彼だが、沈んだ後は行動がすっかり変わった。まず、フィルと行動をしなくなった。そして、清掃員の存在理由であるはずの清掃もしなくなった。いや、彼は清掃のつもりなのかもしれない。今も。


 ジーンは僕を一瞥して、動かないフィルを抱え上げる。僕はそれを止めたりはしない。既にどうするか知っているから。


 ジーンは数歩ゆっくりと進んで一度振り返った。そして、軽く首を傾げる。着いてこないのか? という意味らしい。……ジーンは僕の手元にある懐中電灯を凝視していて、いつもの間にかジーンの懐中電灯は作業服に仕舞われている。前を照らせと? いつも自分でやってる癖にと、僕はイラつきというものを感じた。


 ジーンは一切喋らない。沈んでからは誰も彼も聴覚センサーが不調で僕も一切話していないけど。ジーンはその前から一度も声を発しなかった。その機能は備わっているのにだ。そのくせ、人からは黙っていても絵になる容姿から清掃員のはずなのに大変人気だった。どうも、元はホールに配置されるはずだった接客員というのは、数少ない人の船員から聞いた話だ。話せないような故障は見つからなかったというのも。


 そんな、話せないのではなく話さないジーンは、この豪華客船で動かなくなった仲間達を一つの場所に集めている。何の反応も無くなった金属の塊をゴミとでも判断しているのか。海の底に沈んで安全な場所なんて存在しない豪華客船の端から端まで、歩き回って動かない仲間を一ヶ所に。



        †



 ジーンは僕らの中で一番人から遠かった。一切微動だにしない表情。造り物でしかありえない容貌と色彩。まるで人形のような。僕は彼と出会った最初の頃、本当に同じスペックの人工脳が積まれているのか疑った。僕らが全員できるはずの基本的な受け答えもしないし、黙々と掃除をし続けるし、話しかけても無視をするし。僕が、僕のことを本当の友人だと思っている人に招待された船内のパーティーに何故かジーンもいるし!


 そのパーティーの時の彼へ思ったことをその物好きな人に聞いたらそれは嫉妬だと言われた。その後、嫉妬を辞書で引いた僕は辞書をジーンに投げた。ジーンがそれをキャッチして投げ返してきたのは余談だ。


 そのジーンへの嫉妬を覚えた数日後のことだった。船内に招かれざる客が来たのだ。

 けむくじゃらで三角の耳に丸っこい頭部としなやかな体と長い尾。極め付きはニャーニャーと知らない言葉を話すことだ。


 それをたまたま見つけた僕ら三人はとりあえず捕まえることにして船内を駆け回った。二人は清掃員として、僕はただの興味だ。捕まえたのはフィルだった。


「ねぇ、これどうしたらいいの?」


 フィルは手の部分を片手ずつ掴むようにして持った。バンザイの格好だ。


「船内の規定だと、無許可の荷物はロビーで一時的預かって次の港で降ろすんだけど、生物……どうだったかな」

「お客さん以外で乗った無許可の人は海に捨てるんじゃないの?」

「誰に聞いたんだい、それ」

「面倒くさいお客さんに絡まれた後の船長」

「船長が言うならそうするべきか。そもそも生物は船内持ち込み禁止だし」


 その話を聞いていたジーンは生物を持ったフィルに向かって自身の両手を差し出した。


「えっ、ジーンやってくれるの?」

「何でわかるんだい」


 僕の言葉に反応が返るよりも早くジーンはフィルの言葉に頷いた。そして掻っ攫うようにその生物を抱きかかえて早足でどこかへ行ってしまった。


「そんなに捨てたかったのかな?」

「どうだろうね」


 ジーンはどこか捨てるものというより大切なものを持つように抱えていたけれど。


 知的好奇心を第一に動くように設定された僕はジーンを探した。そして見つけた。その場所は船内の誰も来ないような奥まった所にある物置き部屋だった。


 物置き部屋の扉を開く前に、あの知らない言葉を聞いた。ニャーという高い僕らが捕まえたやつの声と、それとは別の低めの男性みたいな同じニャーという声。まさかもう一体いたんだろうかと扉を開けた。結構勢いよく開いた。


「「…………」」


 いたのはジーンと、膝に抱えられた、けむくじゃらの生物だけ。ジーンはギ、ギ、ギと音がなりそうな、ぎこちない動きで僕の方を向いた。僕は室内を見渡す。


「もう一体いなかった? 声が聞こえたと思うんだけど」


 ジーンは勢いよく首を振った。取れるんじゃないかっていうぐらい。否定しているのはわかったが、どちらのことに関してなのかはわからなかった。どちらにしろ一体だけらしい。


「まぁいいか。後で聴覚センサー点検しに行ってくるかな…………で、ここで何を?」


 ジーンの目が逸らされ、膝元の生物の更に抱きかかえる。


「まさか、匿うつもりじゃないだろうね」


 図星らしく、少し俯いて眉が最低限下がるのを見て、僕も彼の言いたいことが案外わかるもんだなと思い始めた。


「船長に言いつけたら君も海に投げられそうだね」


 ため息をつきたかったが、つく息がないので、代わりに僕は半目になってジーンを見た。ジーンは先程から見たことがないような落ち込んだ表情を作っていて、こちらが責めている気分になるのだ。


「……好きにするといいよ。黙ってるから」


 そう僕が言うとパッと顔を上げた。そのけむくじゃらを撫でるのを見てるとどうも嬉しいらしい。


「……生きてるんだから、コックの所に行って何か貰ってきたら」


 僕らはボトルに入ったエネルギーを飲めば、食事というのは終わるけど、人は色々な固形物を食べているのを知っていたから、このけむくじゃらにも必要だと僕は思った。


 ジーンは僕のアドバイスに頷いて、足取り軽く部屋を出ていった。


 無表情に見えたジーンは案外行動に表情があるやつで、見ていて面白いと思ったが、僕は変わらず彼に嫉妬を覚えていた。



        †



 無言でフィルを運ぶジーンは相変わらず無表情で、前のように行動で示したりもしない。まるで、葬儀屋か死神だ。何を考えてるなんてわからない。ただ、言えるのは彼は最も人から遠くて近かったということだけだ。


 僕とジーンはフィルを連れて、この豪華客船マクリルの一番の見せ場であるパーティーが行われるホールに足を踏み入れる。唯一太陽の光が届くこの場所は、仲間達の墓場と化していた。

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