水底のワルツ

望月レイ

第1話 フィル

 足元が傾き海に沈み行く中、僕らは笑って人を見送った。


 僕らが乗っていたのは、豪華客船 《マクリル》。その従業員としてのが僕ら、自律型サービスロボット《アンドロイド・ムーサ2.0》だ。


 まぁ、そんなことは置いて、とりあえず、とんでもない防水機能が備わった人間モドキぐらいに思ってくれればいい。人がそれはもう高性能に造ったせいで、海の底で僕らはまだ動いている。


 こんな思考データを残したところで、海の藻屑となるのが目に見えているんだけど、人の話し相手として他の仲間より余分に人工知能が発達した僕はこうしていないと暇だ。


 どうして、僕らが海の底に沈んだかと言えば、それはもう豪華客船が沈んだからなんだけど、僕らが船に付属する部品みたいなものだからだ。人が乗る救命ボートに僕らが乗るスペースなんて端から存在しなかった。それを僕らが咎めたりなんてする訳ないんだけど。僕らは人の為に存在するのだから。


 そんな僕らが、人のいない豪華客船で何をしているのか。きっと気になるはずだ。そうだろう? そうじゃなくても付き合って貰うよ。



        †



 客室が設置された階の談話室。そこが僕の仕事場だった。ソファーに凭れかかった状態で僕は外界センサーを機動させる。周りは何物も見えないほどの暗闇で、僕以外の誰かはいない。スリープモードに入る前に置いておいた懐中電灯を拾い上げる。スイッチを入れると懐中電灯の光が、雲の合間から射し込む日光のように辺りを照らした。


 沈んでからの日時なんて把握していない。僕らの未来なんて決まっているし。だからと言って暗闇に沈んだ豪華客船の時間は止まらない。僕らが乗った時は白い塗装をされた壁だったけど、今は茶色い錆が目立つ。僕は最初の頃よりもぎこちない足取りで談話室から出た。流石に海の中で何日も整備無しで活動し続けることはできない。


 暗闇の中を照らして進む。首に掛かるぐらいの長さをした金色の化学繊維の髪が、水と絡まってなびく。横から知らない魚が追い抜き、鱗がキラキラと光を反射させて光の先へ行ってしまう。もうすぐ、この場所は海の生物達の楽園にでもなるんだろう。


 僕は歩いて、窓拭き掃除をするフィルの元へ向かう。この豪華客船は船長と数人の船員以外の従業員は全員ロボットで、清掃員の個体名フィルは客船の中で接客員ロボットの次に多い清掃員ロボットの一人だ。彼は豪華客船が沈んでからというもの、すぐに藻が付着して汚れる窓を永遠に掃除し続けていて、それはフィルだけではない。清掃員達はどこか狂ったように錆と藻と海洋生物に侵食される豪華客船を元のきれいな状態に戻そうとする。それが彼らの仕事でそれが存在理由だった。



        †




 豪華客船が沈む前、フィルと僕は互いの仕事の合間によく話をした。基本、僕が人から聞いた話をフィルが純水無垢な子どもみたいに目を輝かせて、それでそれでとせがんで、聞くようなそんな関係だった。僕に心というものがあるのなら、彼との会話は楽しいと言えるものだった。


 僕らに心というものは本来存在していない。表情を作る人工筋肉の動かし方や言葉の話し方は個体別に決まっていて、僕らは表面上を人に似せているに過ぎない。僕は他の仲間と違って、決まった受け答えがない。談話室でどんな話でも聞いていくれる友人という設定で造られたからだ。どんなロボットよりも自然に会話が成立するように、僕はよりことができる。


 ただ、例え自律型と言えど、清掃員にそれが必要かと言われるとそうではない。基本的な受け答え以外はせず、黙々と掃除をする。しかし、数人の仲間はそれには当てはまらないように見えた。フィルもその一人だ。


 フィルは窓拭き掃除が好きだった。と言うより、窓の外を見るのが好きで掃除をしているようだった。豪華客船の窓から見えるものと言えば、大体は一面の海だが、たまに停まる港の景色を彼は食いつくように見ていた。


 そんな彼に、僕は聞いたことがある。


「フィルはよく窓の外を見てるけど、何がそんなに好きなんだい?」


 その質問に、焦げ茶色のクルクルとした癖っ髪と鼻にソバカスを散らした顔が首を傾げた。


「好き……っていうのかな。そうだな……気になるんだ。この窓の外が」


 僕と同じ、新緑の色彩をした瞳が窓を、その向こう一面に広がった大海原を映した。


「この海の向こうはどうなってるんだろう……って、そう思うんだ」

「港に着いた時も?」

「そう……かな。港の景色はとても好きだと思う。その先も……確かに気になるかな」


 その海を見つめる目が、らしくなく困惑に揺らいだように見えた。叶わない夢を思ってしまったことへの困惑。彼はこの船から出ることはできないから。それでも彼は言葉にした。


「もし、港の向こうを歩ける時が来たら一緒に来てくれるよね」


 いつもの溌剌とした笑顔だった。僕に話を聞きたがる時と同じ。だから、僕もいつものように答えた。


「もちろん。いいよ」


 願いは叶わなかったけど。



        †



 同じ色の瞳はもう見れないようだった。フィルは窓拭きの途中で力尽きたらしく、ボロ雑巾を片手に壁に凭れかかっていて、前には拭きかけのはめ殺しの小窓があった。


 焦げ茶色の髪が揺れた。

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