三章 慨世 7
過去
今はもう亡き人間の意識を仮想現実に呼び戻し再会を果たす。
脳の意識をデータ化し、
例えそれが自然の摂理に背いているとしても、人類誕生から今まで幾度となく研究されてきた不老不死という課題を、彼女はたった二世代間で達成してしまったのだ。
このプロジェクトは決して彼女一人では成し得なかったのも事実であり、だからこそ批判を受けた時槍玉に挙げられたのが不思議だった。まるで最初からそうと決まっていたかのように、他の研究チームのメンバーは触れられず、天城沙也加ただ一人の批判が波紋となって広がっていってしまった。
この波紋が元凶になりこの世を去ってしまった彼女に、せめて一度でも
研究チーム自体は数人から構成されていたが、中心となって率いていた者は、天城沙也加、
高村賢人は天城沙也加を心から尊敬し、また同時に特別な感情を抱き、彼女を側でずっと支えていた人間であった。両親から託された重大なプロジェクトを率いる事への重責も無いわけではなかったが、生きているうちに成し得なかったその悲願を達成させたいという気持ちのほうが大きいようだった。
三人は大学からの付き合いで、その頃からもう既に
人間が死ぬという事を理解し受け入れる事というのは、身近な人間であればあるほど難しい事であろうが、賢人は子供の頃から他の子よりも多い死の機会に触れていた。
小学生の頃、同じクラスの友達だった男子が公園の遊具で事故死し、中学に上がる頃には祖父母の死が立て続けに起こり、高校の友人はいじめを苦に自殺してしまった。
その後止めと言わんばかりに、大学に入り沙也加と要と知り合って間もなく賢人の父親が病死、母親は後追い自殺で亡くなってしまった。
立て続けに起こる周りの死により、賢人は自分も長くは生きられないのだろうと何となく理解していた。死の臭いが身体に染み付いてしまったのだと。
賢人は人が死ぬという事を経験を通して誰よりも実感しているつもりで、死は儚く悲しいものであると理解すると同時に、必ず訪れるものであり、また虚無だと感じていた。
死後は何も残らない。この世にあったはずの肉体は全て消え去り、時間とともにやがてその人物の記憶も人々の中から薄れていく。
初めて訪れた小学校の友人の葬儀では、何が起こっているのかちゃんと理解は出来なかったが、もう彼には会えないという事実だけは分かった。周りの泣く大人につられてわけも分からず泣いた。
しかしその後に続いていく葬儀への出席を重ねる度、悲しみの気持ちはあれど徐々に徐々に涙は流れなくなっていった。亡くなった人を偲ぶという行為そのものが無駄に思えてならないとすら思ったこともあった。
何故なら、死んだ人間にはもうどう足掻いても会えないのだ。どのような善人でも悪人でも死んでしまえば何もかもが平等だ。
だが沙也加のこの研究を形にすれば、その根底を全て覆すことが出来る。その人が亡くなっても会って話が出来る、触れられる、伝えたかったことが伝えられる。研究が現実的になっていけばいくほど、賢人が今まで持っていた死への概念は変わっていき、亡くなった人々との思い出をふと振り返る時、思わず涙を零してしまったりした。
自分の心が変わっていく事実を受け入れる度、沙也加の研究へ身を捧げる覚悟が固まっていき、それを沙也加本人に伝えた事を皮切りに、いつしか研究仲間から特別な関係へ発展していった。
「人を愛するって事、分からなかったんだ」
彼女は口癖のように言っていた。
幼い頃から脳科学研究の最前線に居た両親は多忙であった。ネグレクトや虐待などは無く家族の時間も取れる時はあり、何不自由無い家庭で普通に育ってきたとは言え、両親の
同時に恋愛などにも縁は無く、その端正な容姿と秀才ぶりで寄って来る男は沢山いたようだが、恋愛の仕方が分からなかった彼女が断り続けてきたのだという。
「だからお父さんとお母さんが死んじゃった時も仕方がないなって思っていたんだけど、生きている時にこういう気持ちを伝えたかったな、とか、もうちょっと一緒に居たかったなって思ったりしたんだ。もう会えないのに、すっごく二人に会いたくて、堪らなく苦しくなっちゃった。その時理解したんだ。人を愛おしく思う気持ち」
ただ人を好きになるだけでなく、生涯を通して尽くしたい事も愛であり、単純にずっと一緒に居たいと思うことも愛であり、時には怒り、許し、支え合う事も愛である。愛の形は人の数だけ存在しているから、人間は愛で出来ているのだ、と彼女は輝いた瞳を見せて話していた。
死んでもいい人間なんていない、どんな人であろうと生き続けたいという気持ちはみんな一緒のはずだし、亡くなった人に会えれば悲しみなんて無い世界が作れる。そのためなら、自分がいくら傷ついたって良い、と。
賢人はそんな彼女を誇らしく想い、同時に、彼女がどんな目に遭っても自分が支えていこうと決心したのであった。
研究も大詰めを迎え、遂に沙也加の両親のデータを使用した公開実験を実施し、様々な著名人や政治家に被験者になってもらい、リンクスをインプラントした。
この実験が成功すれば、
が、被験者自身には体験出来た事でも、実験を体験していない人々には信じがたい事であったようで、公開実験を見たマスコミや諸々の団体が動き出し、倫理的な問題を盾に沙也加のものへの批判が相次いでしまった。
始めは軽いもので、研究チーム全員への批判だけだったりしたのだが、やがてマスコミが沙也加一人を取り上げて徹底的に叩き出し、炎上騒ぎになってしまう。研究成果はその後の実験にも持ち越され、
人形のように整っていたはずの顔立ちがどんどん崩れ、血色は消え去り、目の隈が目立つようになり、そのうちに身なりも無精になっていく。それでも研究室に現れはしたが、数日もすればもはや、話しかけてもうわ言のように何かをぼそぼそと呟いているだけで、まともな会話は出来なくなっていた。
「言葉は凶器になるんだね」
一度だけ、彼女がまともに喋れる日にそんな言葉を聞いたことがあった。だがそれ以上の会話らしい会話は出来ず、賢人の方を見ずにただ遠くの方を見つめて、ひたすらこのたった一言を言い続けるだけだった。賢人は、そんな沙也加を見ていることが出来なかった。
沙也加を元気づけ、批判など気にしないようアドバイスすることは出来ても、彼女の代わりに矢面に立つ勇気は賢人には無かった。それに、もはや彼女個人に及んでしまった批判や嫌がらせの数々は、今更研究チームの代表をすり替えたぐらいでは止まらない。
SNSやニュースサイト上ではもはや連日のように天城沙也加の個人批判が相次ぎ、殺害予告が家に直接投函されたり、夜中に家の周辺でボヤ騒ぎが起きたり、嫌がらせを越えて本当に命の危険を感じるほどにエスカレートしていった。
そんなある日、研究室へ向かう道中のこと。建物の前に異常な人だかりが出来ているのに気付き、嫌な予感を感じながらも野次馬をかき分けていくと、血の海に浮かんだ沙也加の身体がそこに落ちていた。
まるで世界が凍ったように感じ、何が起こっているのかも理解出来ないまま、賢人はただその場に立ち尽くすしか無かった。
見るも無残などという言葉だけでは形容しきれないような
誰がやったのかも判然としない、匿名という盾であるべきものを矛に変え、誰も彼もがまるで沙也加は死んで当然だと言わんばかりに、死を憐れむどころか面白がってさえいた。
人の死など見慣れてきた賢人でも、これは非常に堪えた。死は平等で、受け入れるべきものだと信じてきた価値観は一気に崩れ去っていった。死してもなおこんな冒涜を受けるべきではないと思った。
まだ沙也加の意識データが抽出できていない段階で彼女は死んだ。
要がその後の研究を継いで、残された課題だったバックアップシステムの開発が未だ成されていないことだけが懸念点だったが、結果的に
だがもはや賢人には、沙也加の覚醒出来ない
その後すっかり世に馴染んだ
賢人はその文句を見る度、吐き気を覚えていた。天城沙也加の死は、気付けば誰も覚えては居なかった。ただ大衆は「故人との再会が出来るサービス」だと都合の良い部分だけを見る。マスコミも一切天城沙也加の事を取り扱わずに世間へ
時間と共に
だがその裏で、賢人は密かに
その執念はやがて、システムを管理するAIイザナミの目を掻い潜り、遅効性の毒のように静かに対象を蝕み、最終的に跡形もなく消し去る凶悪なウイルスを生んだ。
イザナミを殺す者──。
賢人はそれに「カグツチ」と名をつけた。
カグツチウィルスは
ただ、一つだけ賢人にも予想出来なかった自体が起こった。
それは、リンクスを通じて仮想現実である黄泉の国へアクセスしている生者までもがカグツチウィルスに脳内が侵食されていくということだった。
さらに信じられなかったのが、視覚まで侵食が到達した時、侵食された対象者が必ず沙也加の姿を見る事だった。聴覚まで侵食されれば彼女の声まで聞こえ、触覚まで行けば彼女に触れられる事もあったようだった。
まるで、カグツチウィルスに天城沙也加の意思が反映されていくようだった。彼女を
「呪いだ」と世間が騒ぎ出していく様子を見て、賢人はより
こんなたった少しの死で人々は怯えている。大昔に絶えて久しいような怪談などという下らない迷信にまで結びつけてまで。沙也加が受けた苦しみと比べればなんてことはないのに。
罰を受けるべきは、沙也加を死に追いやったお前たち世間の方だ。黄泉人だろうが生者だろうが関係ない。
沙也加との交流を経て、一度は死という概念の持ち方を変えた賢人だったが、彼女自身の死を目にし、その思考は原点へと回帰した。
人は死ぬ。
生前の人間性、善人か悪人か、故人としての死後のあり方、扱い方、全て虚無なのだと悟った。死んだ人間のその後がどうだとか、そんなものは生者のエゴの押し付けにしか過ぎない。
死ねば全員が平等だ。死は人の最後の到達点、無である。それ以上でもそれ以下でもなんでもない。
もはや誰が死のうと、それに対して誰がどんな想いを持とうと、賢人にとってはどうでも良いこと、道端で蟻を踏むのと同義になった。
そうして賢人は、黄泉の国の完全な壊滅を望んだのだった。
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