三章 慨世
三章 慨世 1
七月八日
喪中の雰囲気に包まれるのは、
自分の家族だろうと他人だろうとその感覚は変わらない。どこか不自然で、居心地の悪さがずっと纏わり付き、居てはいけない空間に足を踏み入れているような、そんな場違いな感覚。
どこに目線を定めれば良いかも分からず、手元は忙しなく動いてしまい、どうしても挙動不審な様子になってしまう。特に緊張する性格ではないのだが、朱音は弔問という形式に関わらず、こうした
出迎えてくれた
別に朱音はこういった場が嫌いだというわけではない。ただ、どうするのが正解かと明確な答えが分からずに混乱してしまうから苦手なだけだ。
こうして実際に身内を亡くしてしまった人と会うと、どうしても精神に影響を受けてしまう。人を良く観察する癖を持つ朱音だからこそ、余計にその心情を汲み、いつも以上に共感し、心から同情する。自分まで体の一部を失ったような喪失感に襲われる程だ。
今以上に、事件のことを
日本に深く根付いている仏式で葬儀は行われていた。三上家は別段仏教に傾倒していたわけではなく、執り行った葬儀屋が仏式を勧めたとのことだった。今どき珍しい事だと思う。
しばらく前の時代では、日本人の大多数は特に信仰している宗教はない、という家が多かったがそれでも仏教は沢山の人々にとって身近なもので、特に指定などが無ければ仏式で執り行う事が多かった。
仏壇の置かれた部屋に通され、三上
仏教では、主に人は亡くなったら四十九日を過ぎて仏に成るとされている。即ちこれが書いて時の如く、成仏である。
初七日から始まって四十九日間の修行を経て極楽浄土へ向かい、現世に未練を残さずして仏になる。仏教では多くその考えが根付いている。
今は初七日を終え、不動明王に会って懺悔し終わったところだろうか、と仏壇に目をやる。
三上俊明は、自他ともに認める、
一通りの作法が終わり、後ろに座っている千里に向き直ると、彼女は「ここではなんですから」と別の部屋へと促した。
「祖父は急死するような人ではありませんでした」
千里は酷く濃い
「お亡くなりになられた原因は、心臓の病とお聞きしております」
「はい。でも……」
千里はそう言い淀む。朱音の睨んだ通り、何か納得の行かない理由があるのだろう。
「祖父が倒れた時、私は自分の部屋に居たんです。部屋まで駆け付けた時にはまだ息があって……」
その瞬間を思い出しながら喋っているのだろう、次第に千里の目には涙が溜まっていく。
「私、もっと何か……私がその場で何か出来ていれば……祖父は、お祖父ちゃんは……死ななくても済んだんじゃないかって、今でも思うんです」
言葉を言い終えるか終えないかの所で、遂に
朱音はやはりどうしていいか分からず、かける言葉も見つけられない。ただ黙っているしか思い付かなかった。下手なことを言ってしまってはいけないと思っていたが、それでも千里から溢れてくる悲壮感には共感を覚え、何でも良いから声をかけてあげなければと自分に言い聞かせた。
「あの……失礼を承知でお伺いしたいことがあります」
千里は涙をハンカチで拭い、一度大きく深呼吸してからゆっくりと頷いた。
「三上俊明さんは、
「はい……
「では、亡くなる前に、何かおかしなことなどはありませんでしたか?」
千里は首を傾げてしばらく考え込み、そう言えば、と話してくれた。
その黄泉人となった千里の祖母、
しかしその矢先に自分が倒れてしまい、勝手の分からない事で、しかも今は喪中で手が回らず、カクリヨ社への問い合わせの続きはまだしていないという。
朱音は自分の鼓動が激しくなったことを感じる。緊張感が強まった。
黄泉人のデータが消失している。これは明らかに異常だった。千里はあまり詳しくは知らないようだったが、通常黄泉人と言うものにはバックアップが存在する。
各センターに置かれたサーバーに、本社のサーバーにあるオリジナルの電子化された脳データ、つまり対象の意識データをコピーして送っており、大本は本社カクリヨにあるということだ。
例えば利用者の都合で、センターAからセンターBに移行しなければならなくなった場合、コピーされたAにあるデータがBに送られるというやり取りがされる。
その場合もオリジナルの意識データは、本社に変わらずある。このコピーされたAにあるデータに不具合が起きた時、本社からのリカバリーが出来るようにこうした措置をとっている。
黄泉人の意識が保存された脳データが存在しないと言うことは、この大本であるオリジナルのデータが消失し、黄泉人の自我が完璧に消えて無くなってしまった、ということだった。
朱音は薄ら寒さを感じていた。これだけでも大事件じゃないかと身が震える。加えて、三上葉子の消滅は少なからず三上俊明の死亡に関わっているのではないかと直感したからだ。
やはり予想は当たっていた。彼らの死は、
千里に急な訪問への謝罪と話をしてくれた感謝を述べ、三上家を後にした。そしてそのままその脚でもう一つの目的地へと向かおうと自車に乗り込んだ。
その占い師という、今日日聞かない役職の謎めいた人物に話を聞ければ何か進展があるに違いないと思い、その拠点に直接訪れてみようと思い立った。
向かう道すがら、何と言われようと無理やり押しかけるつもりだったのだが、一応訪問の連絡をしておこうと事前に調べておいた占いの館へ電話を掛ける。
しばらく呼び出し音が続いた後、か細い声ではい、とだけ返事が聞こえた。続けて、「占いの館小麦畑です」と声の主は続ける。
その愉快な名称に吹き出しそうになりながらも朱音は聞く。
「あの、これからそちらにお伺いさせて頂きます、新堂と言います。しばらく後になりますが……」
そう伝えると、電話の相手は「今からですか」と聞き返してきた。静かで落ち着きのある声だったが、どこか慌てたような、スムーズに言葉が出てこず、答えに
「えっと……少し今はまずいと言いますか……。家が使えない状態なので……」
その返答にいまいちピンと来ず不思議に思ったが、会うだけでも問題無いと言うと、それでもいいならと了承してくれた。
しばらく何もない景色を通り過ぎていくと、道の先に現れたファンシーな装いの一軒家が見えてきた。しかし何か違和感がある。林に遮られた視界が、そこへ近づくにつれて明瞭になると、原因が分かった。
警察のパトカーが数台、その一軒家の周りに集まっているのだ。車から降り、立入禁止のテープが貼られたその玄関へ近づいていくと、一人の警官に止められた。
「関係者以外は現在立ち入りできません」
何があったのかと尋ねても警官は首を振るだけで答えようとしない。どうしたものかと困惑していると、玄関周りの人混みの中からエスニック風の装いに身を包んだ一人の女性が現れた。
「あの、その人は私の友達です」
彼女がそう言うと、警官は
「新堂さん……ですよね。さっきの電話の。占い師の
「あの、これは……一体何が?」
警官がこの量で駆けつけるのはただごとではない。それに、パトカーやら人混みやらで近づくまで気付かなかったのだが、救急車も来ていた。何かあったのは間違いない。答えを待つ間、嫌な予感が胸をよぎる。
「知り合いが……目の前で自殺してしまって」
朱音は思わず声を上げて驚いた。鼓動が無意識に高鳴る。
自殺。そう聞き覚えのない言葉ではないのだが、朱音が追っている事件のせいなのか、どこか気味の悪さを感じる。
「知り合いというと……?」
「はい……デバイス技師補佐の女の子なのですが、あゆみさんという方で……」
あゆみ。朱音はその名前に聞き覚えがあった。確か、ミラーズワークショップで加賀美宏親に話を聞きに訪れた時に、彼が最初に応対してくれた女の子をその名前で呼んでいた気がする。
その子は仕事上がりだったようで、応対を店主に任せた後帰ろうとしていた所のようだった。
その後ろ姿は一瞬しか覚えていないが、右耳の裏にリンクスがあったことをその瞬間思い出した。
「もしかして、あの子が……」
思わずそう呟くと、小麦が怪訝そうな顔で尋ねてきた。
「あの……知り合いなんですか? なら、何かご存知無いでしょうか?」
「え、いや、そういうことではないのですが……。という事は、もしかして加賀美宏親さんもここにいらっしゃる……?」
小麦はその名前が出たことに一瞬驚き、そして頷いてから、先程自分たちが居た玄関の方を指差した。正確には、ここからでは影になって見えない、救急車の裏の方を指していた。
朱音がそこへ向かうと、救急車の後ろで、救急隊員ともう一人の男性に抱えられるように座り込んだ宏親が居た。先日と打って変わって、人が違ったように生気のない虚ろな目をしていた。
その様子に立ち竦んでしまった朱音の姿に気づいた、もう一人の男性の方が声を掛けてきた。あまり覇気の無い、どこか暗い印象の男性だった。
「あなたは……?」
「新堂朱音と言います。あの、加賀美さん。あたしの事覚えていますか」
宏親は虚ろなままの目を朱音に向けて、これまた生気のない掠れた声で「探偵か」とだけ呟いた。
「何があったんですか」
朱音があまりにも切羽詰まった様子でそう聞いたのを察したのか、隣の男性が「今はそっとしておいて欲しいんです」と代弁した。
「いいよ、
聡臣と呼ばれた男性は、朱音から宏親に目線を戻し、立ち上がろうとする宏親に肩を貸した。その様子を見て朱音も反対側に肩を貸す。
救急隊員が心配そうにまだ座ったほうが良いと促したが、宏親本人が断った。それから小麦の居るテラスへと四人で戻り、これまでの経緯を色々と聞いた。
宏親は三上俊明や杉山
小麦に占いを頼んでいた江藤智美の死亡も確認し、あゆみがここへ訪れていたと聞いたのだが、その矢先、突然何処からか現れたあゆみが台所のナイフを用い、止める間もなく首を掻っ切った事。
そのあゆみというのがやはり、宏親の工房で働いていた、あの快活な子だったという事。
そして、ここに居る全員が、一連の呪いについて調べていた事──。
「さやかの、呪い──」
朱音は、聞かされたその単語を改めて声に出した。呪いという言葉に馴染みがあまりなく、しっくり来ない感覚だったが、実際に近しい人物たちが死んでいることを思うと、只の噂などではないと思えた。
三上俊明、杉山浩一、江藤智美、そして、関口あゆみ。
「あゆみさんは、黄泉人となった祖父母に怯えていました。祖父母が、祖父母ではなくなっている、と。先日訪れた時も、来る途中にもその異形を見たと……。その祖父母だったものを、さやかの姿で認識したと言っていました」
小麦が目線を伏せながらそう呟いた。それを聞くともなしに聞いた宏親が小麦の方を見ずに、声を地面へ落とす。
「現実でさやかってのを見たんだな。そうなりゃもう終わりってわけだ……」
しばしの沈黙が続き、その後で聡臣が口を開く。
「つまり、
朱音は黙ってその聡臣の言葉を
そして、あゆみが死ぬ前に見たさやかという、言わば幽霊の姿。その姿を現実で認識してしまったら、何らかの要因が作用し、死に至る。
三上俊明、杉山浩一は不審死だが、江藤智美は何だっただろうか。
「小麦さん、江藤智美さんの死因は何だったんですか?」
朱音が小麦にそう聞くと、小麦は小首を傾げ、少し考えてから言った。
「詳しいことは分かりませんが……確か、飛び降りたんだと思います」
「自殺だ……。そして、今回のあゆみさんも自殺……」
顎に手を当て、更に朱音は思案に
死んでしまった人物のうち二人は自殺、もう二人の三上と杉山という不審死した人物との共通点は見つけられない。
だが、どこかもう少しで手が届くような気がする。が、まだそこまで届かないのが歯がゆく、悔しい思いだった。
「なぁ、すまねぇな小麦さんよ。商売する家をこんなにしちまって」
「何を仰ってるんですか、宏親さんの謝ることではありません……。むしろ私が、もっと早くに対処していれば……」
そう言って、小麦は言葉を詰まらせた。自分で言って、本当にそう出来ただろうか、と思い直しているように見えた。眉をしかめ、宏親に向けた視線をもう一度地面に落とした。
「寝る所に困るくらいで、私は大丈夫ですから……」
自分で言いかけた答えに窮したようで、小麦は話を反らした。朱音はそこで、場の空気も変えようとして思いつきを提案した。
「あの、私の事務所で良ければ泊まりませんか? 私は元々あなたにお話を聞きに来ましたし、それも兼ねてという事で」
小麦はしばし呆けた顔で逡巡したが、朱音が探偵という事を理解し、それに納得したのか「では、しばらく厄介になります」と言って了承した。
そして、荷物をまとめてくると言い、家の中に入っていった。
小麦を目線で追っていくと、ここから窓を通して覗く家の中が目に入る。そこは警察官や鑑識と見られる警察組織の人間で溢れている。現場を直接見ずとも、先程聞いた話とこの様子を照らし合わせて考えるに、相当の惨状だと予想できた。
その警察官たちの様子を見ながら、朱音は杉山
彼女の言葉は、まるで警察組織を信用していないような言い草だったように感じた。兄の杉山浩一を発見したのは警察なのに、彼女は死因が違うのではないかと疑っている。それは先日話を聞いた朱音も釈然としない話だ。遺体発見時の奇妙な話。
行きがけの時の杉山浩一には目撃情報があったのに、帰りの目撃情報が無く、加えて誰も通報していないのに現れた警察。死因は心不全だの一点張りで、詳しい状況も教えてもらっていない。
朱音は、警察組織と何処かの組織に癒着があるのでは、と疑った。そしてもしそうであるなら、その何処かの組織は一つしか無い。カクリヨ社、
では何故そうする必要があるのか。それは想像に難くない。
自分でも勢いに乗って考えただけの只の推論のはずだったが、的を得ているように思えた。そして、そうなるとこれはやはり一個人の変死というだけの事件ではない。とんでもなく巨大な悪意のような何かが裏にある。朱音は半ばそう確信した。
「あの、今日はまだ事情聴取があるらしいので、新堂さんの事務所の住所を教えて頂けますか? 後で向かいますので……」
戻ってきた小麦が申し訳無さそうに朱音に尋ねてきた。朱音はリンクスに意識を移し、無線通信を起動して小麦の差し出した携帯電話へ情報を送った。そして事務所の住所がデータとして小麦に渡る。
ぺこりと一礼し、小麦は警察官の元へ戻っていった。
その直後、もうひとりの警察官が宏親を呼びに戻ってきた。朱音を除いてこの場の全員が一応は第一発見者になるのだが、関口あゆみが自殺する瞬間を目撃しているのは彼だけだったので、詳しい状況を聞かれるようだった。
宏親は依然力の抜けた様子で、何も言わず警察官の元へ歩いていった。
「……新堂さん、でしたね? あなたは何を追っているんです?」
その場に残っていた聡臣が朱音に聞いてくる。
「詳しくは話すことが出来ません。守秘義務という面倒なもののせいです。ですが恐らく、私の追っているモノもあなた達と同じ……辿った先の根本は幽霊、さやかの呪いかもしれません」
「……でしたら、もし何か分かったら俺にも教えて下さい。妻が……妻をどうにかしてあげたいんです」
聡臣から掻い摘んで聞いた話は、とても急を要する上に、とてつもなく重たい内容だった。葦澤
「ご両親が自己シャットダウンして、データが消失……ですか。その場に、あなたは居たんですか?」
「いえ、俺は居ませんでしたが、その直前にログインしてました。とても言葉では言い表せられないですが……とにかく、
それを聞いた瞬間、朱音の中で歯車がカチリと音を立てた気がした。何かが繋がりそうだ。言葉を続ける。
「言葉を選ばずに言うなら、それで良かったのかも知れませんね。そのまま居続けていたら、驚きのあまり……」
心不全で。
そう言おうとして、鳥肌が立った。
──黄泉人のシャットダウンに巻き込まれる。そんな仮説が朱音の中に生まれた。
杉山浩一は、杉山
改めて頭の中を整理していく。もしこの一連の不審死が、差異はあれどおかしくなった黄泉人に巻き込まれた結果起こるものだとしたら、本社のカクリヨはそれを隠蔽しようとする。何故なら人死を起こしてしまうようなサービスであると世間に周知されてしまったら、今後利用する人間が居なくなるであろうことは火を見るよりも明らかだ。
イザナミというAIに守られているはずの、絶対安全なはずのシステムで見つかってしまった欠陥を恐れて、保身に走った上層部が、事件をもみ消そうとする。こう考えれば嫌でも辻褄は合う。
だとしたら、元凶は全て──
システムを管理するカクリヨ社。待てよ、確か……。
そう思って、黙りこくってしまった朱音に対して声をかけてくる聡臣を無視し、朱音は更に深い思考の海へ身を沈める。
さやか、という名前に心当たりが少しだけあった。記憶の断片を繋ぎ合わせる。先程何かから連想した記憶と、その名前に関連性があるような気がする。記憶を数秒前に遡らせ、自分で思い浮かべた言葉を更に反芻して思い出そうとする。
朱音は何かに取り憑かれたように、自分のスマートフォンをすごい速さで鞄から取り出した。その様子に聡臣も驚き、どうしたんですかと朱音の手元を覗いてくる。
「カクリヨ社の
独り言を
それは「仮想現実で故人との再開、黄泉の国システム」という題で数年前に記事が書かれたニュースサイトのようなものだった。
朱音は自分の心臓が激しく脈打つのを感じる。辿り着いたのだ。横から覗いていた聡臣も思わず記事に目を通す。と、聡臣からも
「えっ? 新堂さん! この人の名前……!」
「私達が探していたのは、彼女では……?」
二人共、記事に書かれている
彼女の名は「
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