開けるなと言ってるのに

増田朋美

開けるなと言ってるのに

今日も冬らしく寒い日であった。今日も寒いねえと言いながら、杉ちゃんとジョチさんが、布団屋へ行った帰り道、バラ公園近くを歩いていたところ、なにかイベントが行われているらしい。着飾った人々が多く集まっている。

「あれえ、こんなところに、いつの間にこんなおっきな建物ができているんだろう。」

確かにそうだった。こんなところに大きな建物を作って居たとは、杉ちゃんもジョチさんも、よく知らなかった。

「それでは、宇喜多ホテル第一号店、富士市にオープン記念をいたしまして、富士管弦楽団による、ベートーベンの交響曲第七番、第四楽章を演奏いたします。」

と、司会者がそう言うと、隣りにいた指揮者が一礼して、演奏が開始された。

「よし、聞いていこうぜ。」

そういう音楽に目がない杉ちゃんは、そのイベントを拝聴している人の中へ紛れ込んでしまった。そういうことには、車椅子に乗っているのに、うまく紛れ込んでしまうのが、杉ちゃんという人だ。ジョチさんも、人垣の中にはいった。

富士管弦楽団の演奏が終盤に差し掛かったときのこと。突然、聴衆の中心に居た中年の男性が、なにか叫びながら、椅子から落ちた。演奏は突然止まり、周りの人達は、きゃあとかわあとかてんやてんやの大騒ぎ。隣に居た女性が、どうしたの!というが、男性はもう動かなかった。ジョチさんは、急いでスマートフォンを出して、警察に通報した。警察は、すぐにパトカーのサイレンを鳴らして、やってきた。そして、椅子から落ちた男性を運び出して、死因を調べましょうということになった。警察の人たちは、隣に居た女性にもちょっとお話を聞きたいのですが、と聞いたのであるが、彼女は大声で泣き叫ぶだけで、全く話が通じない。

「あの、すみません。あなた、被害者の宇喜多栄一さんの奥さんで、名前を宇喜多千代さん。間違いありませんね。」

と、警視の華岡が彼女に聞くのであるが、

「あ、あ、あーあ。」

というのみで、何も言葉が出てこない。通報者としてその場に残っていたジョチさんが、

「医者に来てもらいましょう。こうなったら、素人は手を出さないほうがいいと思いますよ。」

と言ってまたスマートフォンを出して、影浦医院に電話した。ジョチさんは、パニックになっている人が居るというと、影浦は、わかりました、すぐ行きますと言ってくれた。ジョチさんは、場所を伝え、数分後、影浦は現場にすぐ来てくれた。

「警視、影浦先生が到着いたしました。」

部下の刑事が、影浦千代吉を現場へ連れてくると、華岡は思わず、

「なんだか頼り無さそうな医者だなあ。」

と思わず言ったが、

「そんなことは、どうでもいいのです。それより、パニックになっているという方はどなたですか?」

と、影浦は言った。

「こちらの女性です。」

ジョチさんに紹介された女性は、影浦が来てくれたのを見て、急いで駆け寄ってなにか言おうとしているのであるが、ああ、ああ、となにかいうだけで、まるで言葉になっていない。彼女自身も、そのせいで焦っているようである。

「わかりました。わかりましたよ。大丈夫です。まずは、落ち着きましょう。あなたはとても興奮していらっしゃるようです。まずは、落ち着くことが肝要です。」

影浦は、風呂敷包みを解いて、注射器を出した。

「安定剤を注射して落ち着きましょうか。大丈夫ですよ。怖いことはありません。」

影浦がそう言うと、彼女もそうするしか無いと思ったのだろうか。静かに腕を出してくれた。影浦が注射を打つと、彼女は呼吸が静かになってきて、やっと座ってくれた。

「影浦先生。彼女はそれをやったら、喋れるようになってくれますかね。俺たちは、彼女から、宇喜多栄一社長が、殺されたときの事を、もう少し詳しく知りたいんですが。」

と、華岡が、影浦に聞いたが、

「いや、無理だと思います。」

と、影浦は答えた。

「じゃあどうしたらいいんですか。俺たち、彼女から話を聞きたいんです。どうやって捜査をすればいいんですか。」

「仕方ありませんね。別の人物から話を聞くとか、そういう事をするしか無いでしょう。いずれにしても、仕方ないことですし、彼女は治療しなければなりませんので、うちの病院にしばらく入院させます。もし、なにかありましたら、僕達の許可をもらってから入るようにしてください。」

影浦にそういわれて、華岡は余計に嫌そうな顔をした。

「華岡さん。なんでも思いどおりになるわけではありません。宇喜多さんは治療をしなければならないのです。この状態で、取り調べをするのなら間違ったことを言ってしまうかもしれません。それでは困るでしょう。だったら、よくなるまで待ってあげてください。」

ジョチさんは華岡にきっぱりと言った。そうだねえと華岡は、黙り込んでしまった。

「じゃあ、そういうことでお願いします。影浦先生、千代さんをよろしくおねがいしますね。」

ジョチさんがそう言うと、

「わかりました。」

影浦はやっと落ち着いてくれた千代さんの手をとった。そして、迎えに来てくれた病院の送迎バスに乗って、病院につれていったのだった。

一方それから数日後。

「おーい!杉ちゃん風呂貸してくれ。もう寒くて仕方ないんだ!入らせてくれ。」

杉ちゃんが着物を縫っていると、華岡がインターフォンを押してやってきた。

「ああいいよ。入んな、風呂、湧いてるから。」

杉ちゃんがそう言うと、ああ寒寒いと言いながら、華岡は風呂場へ直行した。

華岡が風呂から出てくるのには、40分以上かかった。

「あーあ、寒かった寒かった。杉ちゃんの広い風呂にはいって、極楽極楽。」

華岡が上機嫌で風呂から出てくると、部屋中にカレーのにおいが充満していた。

「おおー、杉ちゃんの作るカレー。早く食べたいよ!」

華岡がテーブルに座ると、杉ちゃんが華岡の目の前に、ハンバーグ入りのカレーライスのうつわをおいた。

「いただきまあす!」

華岡はカレーにかぶりついた。

「あーあ。うまいなあ。杉ちゃんのカレーはうまい。こんなうまいカレーが食べられるなんて、俺は幸せだ。嬉しいなあ。」

「オーバーだよ華岡さん。ただカレーを食べるだけで、そんな大喜びするなんて。」

杉ちゃんが少々呆れた顔をして言うと、

「いやあなあ、世の中には、豊かであっても、食事が笑顔でできない人も居るんだなって、この事件を扱ってそう思ったよ。」

華岡は大きなため息を付いた。

「それどういうこと?」

杉ちゃんが聞くと、

「ほら、この間の、宇喜多ホテルの社長が死んだ事件があっただろ。あの事件、あそこにホテルを作るということで、地元の住民とかなりもめていたみたいだよ。それを、宇喜多栄一は、家に持って帰って、酒を飲むと当たり散らして居たらしい。」

と、華岡は答えた。

「ああ、つまりドメスティック・バイオレンスってやつか。まあ、たしかに、宇喜多ホテルは、ある日突然成立した国家みたいだったもんね。」

「そうなんだ、それに宇喜多栄一は、結構な悪知恵の働く男でもあったようで。自分の親族の女の子を部下に嫁がせて、いかにも親族の仲間入りをさせて、仲良くしているようにみえるが、実際には、強引に従わせるというやり方をしていたらしい。そういうやり方で、宇喜多ホテルを大企業に発展させたんだって。だから、宇喜多社長に恨みのあるやつは、結構いるんだ。それに、宇喜多社長の妻である宇喜多千代も、子供が無いということで、かなり責められていたようだから、もしかしたら彼女も犯行に関わっていたのかもしれない。その当たり、ちゃんと話を聞きたいんだけど。」

「はあ、ホント、日本三代悪徳武将といわれている、宇喜多直家そっくりだ。割るけどね、千代さんに話をするは無理だよ。彼女は保護室の中だ。まだ外の世界に出させるのは難しいって、影浦先生が言っていた。だから、彼女に話をするのは、もう少しあとになってからだね。」

華岡がそう言うと、杉ちゃんはそういった。

「ちょっとってどれくらいだ?」

華岡が聞くと、

「まあ、短いものでも、二三ヶ月はかかるんじゃない。精神ってのはえらくかかるよ。」

と杉ちゃんは答える。

「ええー!そんなこと言ったら、いつまでも事情聴取できないじゃないか!」

華岡はえらく驚いた顔で言った。

「そうなっているんだから、あの女性に話を聞くのは諦めろ。無理なものは無理ってこともあるんだよ。調べるなら他の人を調べろよ。こういうことは、華岡さんだってちゃんとわかってやらなくちゃだめだよ。警察は、何でも思い通りに動くわけでは無いの。まあ、そういう事もあるんだくらいに考えて置くことだね。」

杉ちゃんにいわれて、華岡は、がっかりした表情で、大きなため息をついた。

一方、その宇喜多千代さんが入院している影浦医院では。

「まだ言葉は出ませんね。」

と、影浦は、数分なら病室の外へ出るようになって、食堂で本を読むようになった宇喜多千代さんを観察しながら言った。

「ええ、私達も、食事のときなどに、一生懸命声掛けをしていますが、どうしても、反応してくれません。私達には、一言も口を聞いてくれない。私達も、どうしたらいいのか。今まで言語の不自由な患者さんは見ましたが、これだけひどい方は、本当に。」

看護師は、申し訳無さそうに、影浦に言った。

「まあ、仕方ありません。それでは、彼女なりのペースで治療を進めて行きましょう。」

影浦もちょっと頷いた。すると別の看護師が、

「だから困りますって言っているじゃないですか。宇喜多千代さんは、まだ言葉が話せません。彼女に話をするのは、無理だって、何回もお断りしたはずなんですけどね!なんでノコノコはいってくるんですか!」

と言っているのが聞こえてきた。

「そうなんですけどね。事件の3日前に、宇喜多千代さんが、宇喜多ホテル建設の反対者とあっていたという話があったので、それの真偽を聞きたくて、こさせてもらいました。それをするだけでして、彼女に聞いたら、すぐ帰りますから。入らせてもらえませんか!」

華岡たちは、病棟の入り口ドアのところに立っていた。基本的に病棟への入り口のドアというのは、看護師が鍵をかけて出入りするものであるが、どうやら華岡たちは、病院でずっと待っていて、看護師が来るのを狙っていたらしい。影浦は、全く、あの人も懲りないですね、と言いながら、病棟の入り口へ行った。

「なんですか。事件の事を調べるんだったら、彼女に話しても無駄だとお伝えしたはずですが?」

「あ、先生。いいところに来てくれましたね。ぜひ、千代さんに話をさせて貰えないでしょうか。」

華岡は、ちょうど良さそうに言った。

「はいお答えいたしましょう。彼女はまだ無理です。彼女は、僕にも他の看護師にも話をしてくれませんから。言葉らしい言葉は全く出ておりません。いくら質問したとしても、言葉は出ないので、結果は得られないと思いますよ。申し訳ありませんが、今日のところは、お帰りくださいませ。」

影浦は選挙演説する人みたいに言った。

「せめて、俺たちの話をさせていただけないでしょうか。あの、彼女、千代さんが、ホテル建設反対者とはなしていたのか、を聞きたいんです。首を縦に振ればそれでいいんです。」

華岡がそう聞くと、

「だから、無理なものは無理です。僕達が話をしても、全く通じませんし、言葉なんて何も出てこないのです。それとも、彼女が、話すこと、ああとでも供述調書に書かせますか?」

と、影浦が言った。

「バカにしないでくださいよ!」

華岡が言うと、

「いえ、バカにはしていません。それが事実です。彼女は、そうなってしまったんです。」

影浦は、そう突きつけた。

「でもですよ。人間が、そういう事件のことで、話す能力をなくすということは、あるんですかね?」

と、華岡は聞くと、

「いえ、こういう病気を扱っている以上、有り得る話だと思いますよ。僕は、そういう方をたくさん見ました。」

影浦は医者らしく、しっかりといった。

「ですから、無理なものは無理です。彼女と話をするのは、無理だと思ってください。」

「わかりました。被害者の一番身近に居る人間から、詳細な事実は得られないとは。こんな事件は初めて遭遇したよ。俺は、どうしたらいいんだろう。」

華岡は、困った顔をした。

「まあ、悔しいとは思いますが、でも、しょうがないと思ってください。彼女には、これ以上刺激を与えてしまうと、更に病状が悪化する可能性があります。そうなったら僕達も、責任を取らなければならない事もありますので、彼女に接触する許可を出すことはできませんね。」

「はい。わかりました。俺、今日は帰ります。でも、病状が回復したら、彼女に話をさせてくれるように、お願いします。」

とりあえず華岡はそう言っておくが、影浦は、

「わかりました。」

としか返事をしてくれなかった。

とりあえず、華岡はその日は、黙って病院を後にした。富士警察署へ戻ったが、上司になんで何もいわれずにノコノコ戻ってきたんだとか、そんな嫌味をいわれてしまって、今日は踏んだり蹴ったりだと思いながら、警察署から帰ったのであった。

それから、更に数日がたったある日のこと。華岡が富士駅へ偶然行ったときのことである。

「エレーベーターから、タクシー乗り場まで、、、。」

と、聞き覚えのある、男性の声が、聞こえてきたのであった。それと同時に、影浦医院と書かれた、軽自動車が、その男性の前で止まった。男性は、白い杖を持っている。そういうわけで、視覚障害者だとわかった。

「涼さん、こっちです。」

と、軽自動車の中から、人の声がした。すると、軽自動車の運転手が、盲目の男性の前に駆け寄って、こちらですよと、彼の体を向けさせた。

「ちょっとまってください!」

華岡は、警察手帳を見せながら、涼さんに言った。

「あの、すみませんが、影浦医院の関係者の方ですよね。失礼ですが、誰かの見舞いとか、そういうことでしょうか?」

涼さんには警察手帳が見えないが、華岡の声を聞き取ってだれなのかわかってくれたらしい。

「ああ。華岡さん。なにか事件を調べているんですか?」

「ええ。事件を調べているんです。涼さん、もしかしたら、あの、宇喜多千代さんの治療に行くんじゃありませんかね。」

華岡は、一か八かのつもりで、そう聞いて見た。

「ええ、影浦先生のお願いで、宇喜多千代さんの話を聞くようにといわれました。」

涼さんがそう言ったため、華岡は、

「ということは、彼女、言葉が出たんですね!」

と喜び勇んでそういったのであったが、

「いえ、言葉は出ていません。僕はそのお手伝いに行くんです。彼女に言葉を話してもらうための。」

というので、またがっかりしてしまった。

「あのですね、古川さん。盲目のあなたが、何をしに行くのか知りませんが、、、。」

華岡は、そう言い出すが、

「何をしに行くのかって、僕がすることは療術です。同時にあはき師でもありますから、彼女をマッサージして、楽にしてあげることが仕事です。」

と、涼さんはいった。

「楽にしてあげるって、彼女は、もしかしたら、今回の事件の首謀者かもしれないんですよ。いいですか、彼女が、事件の3日前に、ホテル建設反対グループの代表である男性に会っているのが目撃されているんだ。俺たちは、その男性が、宇喜多栄一を殺害したと睨んでいるんだが、彼女にそれが本当だったかどうか、聞きたいと思っているんですがね。そんな可能性のある女性に、涼さんは、施術をするんですか?」

華岡は、思わずそう言うと、

「ええ、僕もそうかなと報道で思いました。彼女が話す能力を失ったのも、そのせいだと思います。つまり、宇喜多栄一が、死亡したのが、本当になってしまったので

ショックを受けたんだと。ですが、僕達がいくら理由を知っていたとしても、彼女が心をひらいてくれるまでは、僕達は、施術しなければならないのです。それに、真実がわかって何になります?僕達は、そういう事を聞かされても、代わり映えがするとか、そういうことはありませんよ。」

と、涼さんは冷静に言った。そして運転手に、車に乗せてくれといった。運転手は、わかりましたと言って、涼さんの右手を掴んで、じゃあ乗りますよと、車の中に乗せた。

「そうか。真実を掴んでも、代わり映えはしないのか。」

と、華岡はぼんやりとしていった。しかし、すぐに首を横に振って、

「でも、俺たちは、注意することはできます!俺たちは、二度と同じことが起こらないように、促すことはできるんだ!だから、俺たちは、真実を掴まなくちゃいけないんですよ。それは、しなければならないんです!」

正気に帰った華岡は、急いでそういうことを言った。

「そうかも知れませんが、僕達は、援助者です。彼女がどうしても言葉を発せるようにしなければなりません。たとえ彼女が、事件の首謀者だったとしても、彼女は、言葉を話せない故に苦しんでいるのですから。それは、癒やしてあげなければなりませんよ。」

そういう華岡に、涼さんは、そう言って、運転手に影浦医院へ向かってくれといった。

「ちょっとまって!」

と、華岡は、涼さんに言ったのだが、車は動き出してしまった。華岡は歩行者だし、動く車に敵うわけがなかった。車はあっという間に、華岡の前を走り去ってしまった。

華岡たちは、影浦先生から、宇喜多千代が喋ったという話を待ったが、いつまで経っても、そのような話は来なかった。杉ちゃんは二三ヶ月はかかるといったが、それどころでは無さそうだった。そのうちに、華岡たちも、新しい事件が次々やってきて、結局、宇喜多千代の事件は、忘れ去られてしまった。宇喜多ホテルは、周りの住民の意見を無視して、平気で営業を続けていた。周りの住民たちも、嫌がらせ一つしなかった。もう、こうなってしまったら諦めるしか無いとでも思ったのだろう。そして、みんな、そういう事があったことを記憶の中から消し去っていく。一人、開かずの扉を開けてしまった、宇喜多千代を残して。多分、苦しみ続けるのは、彼女一人になる。






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開けるなと言ってるのに 増田朋美 @masubuchi4996

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