第9話 十六歳の見合い話1
ダンさんとお別れしてしばらくは毎日が重苦しい気持ちだったけれど、周りの人にあまり心配を掛けたくないし、腫れ物に触る様に扱われるのも嫌だったので、わたしはなんてことない顔をして日常を過ごしていた。
それでもお兄様だけは、わたしがいつもより元気のないことを察していたみたい。
皆には内緒だよと言いながら、よくケーキや小さな花束を買ってきてくれたり、寝る前にわたしが良く眠れるようにと蜂蜜入りのホットミルクを持ってきてくれるようになったのだ。
けれどなにがあったのかと、わたしに元気のない理由を探る事もなく、少しだけお話をしてまた明日と「おやすみのキス」をして出て行く。
そんな毎日は、わたしの失恋の傷が癒えた後も自然と続いて……気が付けば、あれから二年が過ぎ。新しい恋も特にないまま、わたしは十六歳になっていた。
「ご婚約おめでとう」
「うふふ、ありがとう」
学園の高等部のお友達が先日お見合いをした相手と婚約をする運びになったので、今日の放課後は仲の良いメンバー三人でお茶会を開いてお祝い。
「お互いに一目惚れだったんでしょう。幸せになってね」
わたしたちの祝福にドリスさんは頬を染めはにかんでいる。
彼女は中等部からの親しい友人だったので、わたしも自分のことのように嬉しい。
「一目惚れしたお相手と両想いで婚約なんて素敵ね。憧れるわ」
「本当よね、わたくしなんて家同士が決めた相手との政略結婚よ」
「あら、でも貴女の婚約者は伯爵家のランドル様でしょう! それで文句を言うのは贅沢よ!!」
同じく中等部からの友人であるケイリーさんの婚約者は、二つ年上でこの学園で人気のある三年生の先輩なのだ。
「だってわたくしの理想の王子様はブライアン様なんですもの~」
中等部の頃、我が家に遊びに来てお兄様に会ってから、ケイリーさんはお兄様に夢中なのだと言う。
「ケイリーさんったら。それは理想が高すぎよ」
と言いながら、ドリスさんまで「でも気持ちわかるわ~」とうっとりしている。
「ランドル様だってとても知的で素敵じゃない。成績も優秀で」
わたしがそう言うと、ケイリーさんは大げさにやれやれと溜息を吐いた。
「それを言うならブライアン様なんてこの学園始まって以来の秀才と呼ばれていたでしょ」
学園を卒業してもう三年も経つというのに、学生時代は首席の座を守り通し、また文武両道に加え生徒会長なども務めていたからか、今でもお兄様の数々の伝説(?)はこの学園に語り継がれている。
特に生徒から教員まで数多の女性を虜にしてきたという伝説は数知れず。どこまで真実かは分からないけれど、お兄様は相当おモテになっていたようだ。
わたしは家族としてのお兄様しか知らないから、こうして外の世界でのお兄様の噂を聞くと不思議な気持ちになる。
モテる事は知っていたけど、家では女性の話なんて殆どしないぐらい女っ気がないのに。
「はぁ、わたくしもブライアン様と同じ空気を吸って学園生活を送りたかったですわ」
「毎日ブライアン様にお会いできるフローラさんが羨ましい」
「あんな完璧な男性が身近にいたら、他の男性なんて眼中になくなってしまうんじゃない?」
「そんなことないわ」
自慢の兄ではあるけれど、皆みたいにお兄様にときめいたことはないので良く分からない。
それに最近はわたしもそろそろお父様に良いお相手を見つけてもらわなくちゃと思っている。
お姉様は今のわたしの年に婚約者が決まっていたし、やはり高等部に上がった頃から周りで婚約者を持つ同級生も増えてきたから。
爵位のある家の娘である以上、家のためになるお相手と結婚する覚悟は持っているつもりだ。けど……ドリスさんのように、お見合い相手と恋に落ちて結婚できたらいいな。
なんて夢を抱いて友人の婚約をお祝いした日。家に帰ると、とある侯爵家から見合いの話が舞い込んでいた。
「チップチェイス侯爵? マキシム様?」
差し出された釣書と肖像画を覗き込む。四十七歳、離縁の数は三回。肖像画には白髪交じりの薄い髪を七三に分けた小太りで油ギッシュな中年の男性が描かれていた。
お父様より少し年下のはずだけれど、お父様の方がダンディなうえ若々しく見える。
(こんなおじさんとお見合い?)
正直それが素直な感想だった。
知り合いの伯爵様からの紹介で、我が家には年頃の娘が二人いたはずということで話が来たらしいけれど、お姉様には婚約者がすでにいるので、つまりこのおじさまのお相手をするのはわたししかいない。
お父様もお母様もさすがにこの年齢差と離縁の数などを考え戸惑っているみたい。
それでも我が家より格上の侯爵様を、理由もなくお断りすることは出来ないと困っている様子だった。
聞けばこのお見合いを持ってきた伯爵様は、お父様とお母様をめぐり合わせてくれた恩人なのだと言う。
(どうしよう。ここはお見合いを受けなくちゃ、伯爵様の顔が立たないのかしら)
どうしたものか両親とわたしが口を噤んで考え込んでいると。
「まあ、この方がフローラのお見合い相手? いいじゃない」
シッティングルームにひょっこりと現れたお姉様は肖像画を見て、にこにこしながらそう言った。
「少し歳が離れすぎていないかしら」
そう言うお母様に、お姉様は少しだけ言いづらそうに小声になって。
「でもほら、フローラって我儘な所があるでしょう……これぐらい年上で大人の男性の方がいいと思うの」
こっそりお母様にそう告げるお姉様だけれど、その声はばっちりわたしの耳にも届いている。
「確かに、そうね。フローラには年上の男性の方が合うかもしれないわ」
お母様の呟きにわたしは軽いショックを受けた。
年上の方が合うと言われた事ではない。お姉様の、フローラって我儘な所が~に、確かにそうねとあっさり同意した事にだ。
(わたしってそんなに我儘で困った妹だと思われていたんだ……)
お姉様だけじゃなく、お母様にも。じゃあ、お父様にもそう思われている? お兄様にも?
「侯爵家に嫁げるなんてとても光栄なことじゃない。羨ましいわ」
「え、えっと……」
わたしが軽いショックを受けている間に、話は進みいつの間にかお見合いをお受けする雰囲気になっていた。
「そこまで乗り気ならば受けてしまっていいな」
乗り気なのはお姉様であって、わたしではないのだけど……お父様の問いかけに答えたのは、戸惑うわたしではなくお姉様だった。
「良いに決まっているわ! よかったわね、フローラ!」
ニコニコとお姉様が自分の事の様に嬉しそうに拍手をしてくれる。心から楽しそうに。
お父様は無理強いはしないと言いながらも、侯爵様と言うより紹介人の伯爵様の顔を立てたいようだった。
お母様はお姉様の言葉を聞いてから気持ちが変わったのか、見合いを受けた方がお父様の立場が悪くならないからか「フローラも、もう年頃だしね」と乗り気になっている。
お兄様は今、隣国にいる公爵令嬢の誕生日パーティーにお呼ばれしていて不在だけれど、もしこの場にいたら、なんて言うだろう……。
「こんな良い話ないじゃない、フローラ。優しそうなお方だし、あなたと、とってもお似合いだわ」
(どうしよう……いやだけど、でも……)
ここで嫌だと言ったら、もっと我儘な子だと思われるんじゃないか。
お父様もお母様も本当は断りたくないという雰囲気だし、ここで断ったりしたら……。
家族みんなの呆れるような困ったような視線が自分に突き刺さるのを想像すると怖くて、わたしはなにも言えなくなってしまった。
こうしてわたしは二回り以上歳の離れた男性とお見合いすることになったのだった。
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