第8話 十四歳の失恋
ダンさんと学園で会える最終日の放課後。
わたしはドキドキして授業も上の空になりつつ放課後までなんとかやり過ごした。
そしていつもダンさんが水やりをしている花壇へ向かったのだけれど。
「あら?」
そこにダンさんの姿はなかった。
(ま、まさかもう帰ってしまったの?)
こんなことなら昨日、ハンバーグ談義なんてしてないで告白してしまえばよかった。
もし振られてしまったら残りの日数話し掛けられなくなってしまうかもしれないという意気地の無さから最終日の告白にこだわったことが悔やまれる。
わたしは綺麗に手入れされた花壇の前で呆然として項垂れるしかなかった。
「フローラ嬢、こんにちは」
「っ!」
しかし項垂れて少し経った頃、後ろから名前を呼ばれ振り向くとそこには。
「ダンさん!」
もう帰ってしまったのかと思ったと伝えたら、今さっき仕事の引き継ぎや手続きを終えてわたしが来る頃だと思い戻って来てくれたのだと言う。
いつも声を掛けるのはわたしだったのに、好きな人に声を掛けてもらえるのがこんなに嬉しい事だったなんて。わたしは喜びで胸が震えた。
「会えてよかったです。わたし、ダンさんに伝えたいことがあって」
「自分もです」
「えっ」
どっくんと心臓が大きく飛び跳ねる。
(ダンさんもわたしに伝えたい事が? お仕事最終日の今日?)
期待で胸が高鳴った。これからも会おうと言ってもらえるんじゃないかなんて、都合のいい事を考えたわたしだったのだけれど。
「実は……新たな働き先が決まりました」
「へ……あっ、おめでとうございます!」
最初は予想外の言葉に拍子抜けしてしまったけれど、嬉しい報告にわたしの顔も綻ぶ。
「ありがとうございます……先程スカウトの話をいただいたばかりなのですが」
ダンさんは珍しく興奮気味だった。
「スカウトですか? すごい!」
「まだ夢のようです。ずっと憧れていたサーテクド王宮の庭師になれるなんて」
「え……」
言葉を無くしたわたしには気付かずに、今日のダンさんは饒舌だった。
サーテクド王宮庭園の美しさは世界的に有名で、遠く離れた国で育ったわたしでも聞いたことがある。庭師なら誰もが憧れる庭園だが、そこで働けるのは選ばれし庭師の中のエリートだけなのだ。
ダンさんは母国でもあるその王宮庭園で働く事を夢見て、尊敬する師匠の下、十代の頃から修行をしていたのだという。彼にそんな熱い夢があったなんて初耳だった。
大好きな人の夢が叶ったことは嬉しいし、心から応援したい。けど。
(サーテクド王国は……この国から船で何十日かかるのかしら……)
とても気軽に会いに行ける距離ではない。
「フローラ嬢?」
ハッと顔を上げるとダンさんが心配そうな顔をしていた。いつの間にかわたしが黙ってうつむいてしまっていたせいだわ。
「すみません、一方的に話してしまって。次は貴女の話を聞かせてください」
「…………」
言うべきか迷いが生まれた。
だって……嬉しそうに夢を語るダンさんを見ていたら、今の彼の心にわたしが入り込む隙なんてないと分かるもの。
玉砕覚悟で想いを告げるなんて……一瞬だけ躊躇したけれど。
「ダンさん、大好きです」
気が付けばわたしは真っ直ぐに彼を見て想いを告げていた。
緊張したけどちゃんとにっこりと笑えていたと思う。
「ありがとうございます、そんな風に思っていただけていたなんて光栄です」
ダンさんは少しだけ照れ笑いを浮かべると「自分もです」と言ってくれた。
「いつもこんな自分に話し掛けてくれる貴女をいつの間にか可愛く思っておりました。妹のように」
(そっか……)
両想いだけど両想いじゃない。お互い好き同士なのに、その好きの形は明らかに違っていて、彼はその違いにさえ気づいていなかった。
初めてダンさんのことを憎らしいと少しだけ思ったけれど、終始嬉しそうに笑っていた彼を見ているとかわいく思えてやっぱり憎みきれない。
大人だと思っていた彼は乙女心に鈍感で、わたしが思っているより子供の様に無邪気な人だったのかもしれない。
「もう一生お会いすることはないかもしれないけれど、遠く離れたこの地でダンさんのことを応援していますね」
「ありがとうございます。自分もフローラ嬢のことは忘れません」
こうしてわたしの初恋は幕を閉じた。
ダンさんの前では最後まで笑顔で振る舞えたけれど、馬車に乗ってからも堪えたけれど、自分の部屋に入った瞬間、我慢の糸が切れたようにわたしは泣いた。
枕に顔を埋め大泣きした。
夕食の時間になっても体調がすぐれないからと伝えて家族の前に顔を出さなかった。心配したメイドのアルマにドア越しに医者を呼ぶと言われたけれど、時間をおけば治るからそっとしておいてほしいと頼んだ。
深夜、明かりも灯さずベッドで仰向けになってぼんやりと涙を流す。
泣きすぎて目がパンパンに腫れているけれど、明日は学園もお休みなのでどうでもいい。
コンコンコン――
どれぐらいの時間が過ぎたのか、ずっとぼーっとしていたら部屋のドアがノックされて少しビックリした。
「フローラ、起きてる?」
ドア越しに聞こえてきたのはお兄様の声。
返事をしないでいるともう一度ノックをされた。
夕食の時間にお兄様はまだ帰って来ていなかったけれど、もしかしたら使用人の誰かからわたしの体調が悪いと聞いて心配してくれたのかもしれない。
「フローラ?」
けれど、わたしはやっぱり返事をしなかった。
大好きなお兄様といえ、今は誰ともしゃべりたくない。そっとしておいてほしい。そんな気分だったのだ。
カチャン――
しばらくして外側から鍵が開けられる音が聞こえた。
この部屋の鍵は執事長が管理しているから、お兄様が持っているはずはないのに、なんで?
ガチャ
戸惑っているうちにドアノブがひねられる気配がして、わたしは慌ててベッドの上で眠ったふりをした。
呼びかけられても返事をしなかったのに、起きていたとバレるのは気まずくて。
部屋に入ってきたお兄様がこちらに近づいてくるのが分かる。
やがてわたしの枕元に腰を下ろした気配がして、狸寝入りがバレるのではないかと内心ひやひやした。
目を閉じているので実際のところは分からないけれど、視線を感じる。
いつまで枕元にいるんだろうと思った頃、お兄様はそっと指で、泣き腫らしたわたしの目元を優しく撫でた。
(っ……お兄様……)
わたしがずっと泣いていたことに気付いて心配してくれているのね。
そう思ったのだけど……
「……フッ」
(え?)
微かに笑った気配を感じた。なぜ?
お兄様はわたしの涙の痕をつたう様に、しばらく目元や頬を指でなぞってから。
「……誰にも渡さないよ」
そう囁くと、わたしのこめかみにチュッと口付け部屋を出て行った。
「????」
お兄様が出て行った後に起き上がったわたしは、訳が分からないまま首を傾げる。
兄妹なのだからおやすみのキスぐらい普通のこと……のはずだけれど、なぜだか胸がざわざわとした。
(笑っていたのはなぜ?)
「っ……まさか!?」
恐る恐る部屋にある鏡台を覗いてみると、ひどい顔をしたわたしが映っていたので確信した。
お兄様は泣き腫らしたわたしの寝顔があまりにもぶさいくで思わず吹き出してしまったに違いない。
(ひどいわ、お兄様! いくら酷い顔だからって、女の子の顔を見て吹き出すなんて!)
あの時笑っていたお兄様の表情を知らないわたしは、そう思い込んでその後ふて寝したのだった。
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