第10話 十六歳の見合い話2
お見合いをすることになって三日後、隣国に行っていたお兄様が戻ってきた。
いつもならお姉様と一緒にお出迎えをしているところだけど、今日はそんな気分になれなくて朝から一人、部屋でぼんやりと過ごしていると。
コンコンコンッ――
お兄様がわたしの部屋に会いに来てくれた。
部屋に籠っていたので、体調が悪いのかと心配してくれたようだった。
「大丈夫、元気よ。部屋でのんびりしたい気分だっただけ」
「そうか。ならよかった……実はオレの方が、三日もフローラに会えなくて、元気がなくなっていたんだけどね」
言いながらお兄様はわたしのつむじにただいまのキスを落とし「会いたかったよ」と耳元で囁く。
「お兄様ったら、たった三日離れただけで大げさよ」
「大げさじゃない。本当はひと時だってフローラから目を離したくないんだ」
いつもならお兄様の冗談を笑って聞き流すところだけれど、今日はふと考えてしまった。
お兄様も二十一歳。いつ結婚してもおかしくない。今回の遠出も婚約者候補の女性と同伴で出掛けていた。
お姉様は今年で十八、学園を卒業したらすぐにイーノック様と結婚の予定だ。わたしもきっと、二年後には学園を卒業と同時に結婚してこの家を離れることになる……。
「フローラ、どうしたの?」
「……なんでもないわ。ただ、当たり前な毎日を、もっと大切に過ごそうと思っただけ」
いつまでも子供のままじゃいられない。それは分かっているけれど……子供の頃は一緒で当たり前だった家族の形が変わってゆくのは、やはり寂しくてどこか心細いものだと思った。
「イーノック様と結婚式の相談は進んでいるの?」
久しぶりに家族全員が揃った夕食の時間。お母様にそう聞かれたお姉様は、一瞬だけ言葉を詰まらせたあと「ええ……」と答えた。
「お姉様はもうすぐお嫁に行ってしまうのね、寂しいわ」
素直な気持ちだったのに、お姉様はわたしの言葉を聞いた途端、あの困った顔をする。
なぜ、このタイミングで?
「フローラったら。貴女が寂しいのは、イーノック様が結婚してしまうことでしょう?」
「え?」
突然のトンチンカンな台詞に、わたしはきょとんとしてしまったのだけれど。
「本当に昔から、フローラはイーノック様が大好きだものね」
お母様まで苦笑いを浮かべている。
いつの間に二人の中でそんな誤解が生まれていたのか知らないが、否定しようと思っているうちにお母様が口を開いた。
「でも、もうフローラには、マキシム様がいるでしょう」
「マキシム様?」
お母様の言葉にお兄様が首を傾げる。そういえば、お兄様にはまだお見合いに話しを伝えていなかった。
「うふふ、実はね。フローラにとても素敵な縁談のお話がきたのよ」
「……は?」
お姉様がわたしのお見合いが決まったことを嬉しそうに話した途端、和やかだった夕食の空気が一変した……
「どういうことだ!」
「っ!!」
詳細を聞いた途端、お兄様が珍しく声を荒げる。
「なぜ、そんな大事な話をオレのいない間に決めたのです」
「本人と話し合って決めたことだ。なぜお前の許可を待たなくてはいけない」
お父様とお兄様の間にピリピリとした空気がはしる。
お兄様がこんなに怖い目をするなんて。大事な事を決めた家族会議に自分だけ参加できなかったから、除け者にされたようで傷ついてしまったのかもしれない。
「正気ですか? 二回り以上も歳の離れたそれも離縁を三回もしている男。いわく付きだとわかるでしょう!」
「それは……」
「だが世話になっている伯爵からの紹介。自分の体面を守るために娘を売ったのですね」
「ぐっ……」
「なにを言うの、ブライアン。お父様はそんな人じゃありません!」
「母上は黙っていてくれませんか?」
「っ」
「ブライアンお兄様落ち着いて!」
なんとかフォローしなくてはとわたしがオロオロしているうちに、お姉様がお兄様を宥めるよう声を掛けた。
お兄様は怒りの滲んだ目付きをそのままに、お姉様へ視線を向ける。
「ほら、フローラってわがままな所があるでしょう。これぐらい歳の離れた包容力のある男性の方がお似合いで良いと思わない?」
お姉様はお母様たちに言った時と同じ理由を話しだした。するとお兄様は……
「わがまま? フローラのどこが?」
「え、それは、わたくしの物をすぐに欲しがったりするし……」
「わたくしとミラベルが甘やかしすぎたせいね。だからやっぱりこの子にはこれぐらい歳の離れた男性が良いのよ」
お姉様の言葉に同意するようにお母様がそう言った。悲しくて泣きたくなった。わたしはお姉様の物を欲しがったことなんてないわ。
どうして周りからはそう見えてしまうの?
「お兄様だって知っているでしょう? この子のわがままに、わたくしがいつも振り回され我慢してきたことを」
お姉様がわたしのために我慢してきたというなら、わたしだってお姉様のために我慢したことが沢山あるわ。
けれど、わたしが口を開く前に。
「フローラは気遣いのできる優しい子だよ。この家の誰より、ね」
お兄様がそう言ってくれた。
「えっ」
お姉様はその言葉にひどく驚いたようだった。
わたしはその言葉が嬉しくて、少しだけ泣きそうになった。
お兄様の目には、わたしがわがままで困った妹だと映っていなかったことが。
「なぜ……優しいのはわたくしでしょ……いつだって妹のわがままを聞いてあげるわたくしの方が優しいはずでしょ……」
ブツブツと小さな声でなにか呟くと、突然お姉様が声を震わせ泣き出した。
「っ、お兄様は騙されてるのよ! あんまりだわ。わたくしよりフローラを心優しいだなんて!!」
「お、お姉様?」
「とにかく! この見合いはもう決まったことだ。チップチェイス侯爵は、我が家と深い繋がりが出来ることを望んでくださっている。お前が反対しようと今さら断ることは出来ない」
「……そうですか」
お父様が強い口調でそう言い切ると、お兄様はそれ以上抗議することもなく口を噤む。
そして重苦しい雰囲気のまま、夕食の時間が終わった。
その日の夜。寝る前のホットミルクを持ってきてくれたお兄様はいつも通りの穏やかなお兄様に戻っていた。
まだ眠りたい気分じゃなくて、少し夜風にあたりたいと言ったわたしの肩に、お兄様はそっとストールをかけ屋敷の庭に連れ出してくれた。
思えばお兄様はいつだってわたしを見守っていてくれた。味方でいてくれた。今日、改めてその事に気付けた気がする。
「お兄様、ありがとう」
「え?」
二人並んで星空を眺めながらそう伝えると、お兄様は少し驚いた顔をした。
「どうしたの、突然」
「……今日、わたしのことを庇ってくれて」
お見合いの話が出てから、なんだかとても孤独な気持ちに支配されていた。家族や友人、使用人たちが常に周りにいる環境でおかしな話だけど、まるでだれもわたしの事なんて分かってくれていないような、誰にも理解してもらえていない、そんな不安な気持ちになっていたのだ。けれど。
「不思議だけど、お兄様だけは、わたしの気持ちを分かっててくれたんだって思えたの。わたしを見ていてくれたんだって。そして、わたしはそれが嬉しかった」
「ああ……いつだってオレはフローラを見てきたよ。キミだけを」
突然お兄様に抱きしめられた。
いつもの優しい抱擁とは違って、痛いぐらい強く……でも、嫌じゃなかった。
そんなわたしたちの様子を影から睨みつけていたお姉様の姿には気付かず、わたしもお兄様の背に手を回し抱きしめ返したのだった。
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