始まりと終わり

 抱きついて泣く私に、戸惑いながらアーロンが言う。


「えっと、その、すまない」


 それを聞いて、私は顔を上げた。


「もう! 何であなたは謝ってばっかりなのよ。あなたは私を助けてくれたのよ?」


 涙を拭いて、アーロンを睨む。

 睨まれたアーロンが、顔を赤くして横を向いた。それで私は気が付いた。慌てて服のボタンを留める。

 私を見ないようにしながら、アーロンが小さな声で言った。


「俺が油断しなければ、店でお前を助けられた。俺のせいで、お前に怖い思いをさせてしまった」


 アーロンがうつむいた。


「それに俺は、お前にずっと嘘をついていた。俺は、お前を傷付けてばかりだ」


 唇を噛むアーロンを見て、私もうつむく。


「そんなことは、もういいわよ」


 そう言って、私はそっと笑った。


「それより、背中の傷は大丈夫なの?」


 顔を上げた私に、アーロンがまたもやすまなそうに言う。


「店にあった治療薬と回復薬を、片っ端から使わせてもらった。ショーケースの中にあった、高そうな薬も」


 アーロンが目をそらす。


「薬と、壊したショーケースの代金はちゃんと払うから……」


 私は呆れ、そして、今度はアーロンの顔をちゃんと見て笑う。


「代金はいいわ。そのかわり、店の片付けを手伝ってちょうだい。それでチャラにしてあげる」

「でも、お前は、もう二度と店には来るなって……」

「あれは、嘘よ」

「え?」

「あなたも嘘をついていたでしょう? これでおあいこね」


 笑う私を見て、アーロンが目を丸くする。

 その顔を見て、私は気が付いた。


「あなたの髪って、金色だったのね」

「まあ、そうだ」


 雨で染料が落ちてしまったのだろう。アーロンの髪は、私と同じ金色だった。


「どうして、あんな変な色に染めてたのよ」


 聞かれたアーロンが、恥ずかしそうに答える。


「お前が、金髪の男とは、付き合わないって聞いたから」


 私は驚き、そして目を伏せる。


「そうなんだ」


 よく分からないけど、何だかドキドキしてきた。


「そ、そう言えば、どうしてあなたは、あんな時間に店に来たの?」


 アーロンが店に来たのは、夜の十時を過ぎていた。しかも嵐の夜だ。店に来る理由が分からない。

 聞かれたアーロンが、笑った。


「馬車に轢かれたあの男の子、助かったんだ」

「え?」


 あの男の子が?


「事故の後、現場に戻ってみたら、男の子が病院に運ばれたって聞いたんだ。あの男の子は、まだ生きていた。だから俺は、病院に行って男の子の容態を見守ってた」


 私は言葉を失った。


「それで、昨日の夜、男の子が意識を取り戻した。医者が、もう大丈夫だって言ってくれた。だから、一刻も早くそれをお前に知らせたくて店に行ったんだ」


 私がアーロンを見つめる。

 胸が熱くなっていく。


「お前の夢は実現する。だけど、結果のすべてが分かる訳じゃない。だから……」


 アーロンがまだ何か言っていたが、私には聞こえていなかった。


 夢に見るのは不幸な出来事ばかりだった。

 夢に見た出来事は、必ず実現してしまった。


 だけど……


 ボロボロ泣きながら、私はアーロンを見上げた。

 ボロボロ泣きながら、私はアーロンに抱き付いた。


 嬉しかった。

 本当に嬉しかった。


 暖かな温もりが、私を鎖を溶かしていく。

 私は、何かから解放されるのを感じていた。


 しばらく泣き続けた私は、やがて顔を上げてアーロンから離れる。

 泣き止んだ私に、アーロンが言った。


「帰ろう」


 帰ろう


 たったそれだけの言葉に、私はなぜか幸せを感じた。


「うん」


 顔を伏せながら、私は立ち上がる。途端に足首に痛みを感じて私はよろけた。


「足を痛めているのか?」


 アーロンが肩を貸してくれる。


「ありがとう」


 お礼を言って、私はまた顔を伏せた。

 アーロンの顔が近い。頬がどんどん熱くなっていく。

 そんな私の様子に、アーロンは気付かない。


「ゆっくりでいいからな」


 私を支えながら、アーロンが歩き出した。

 アーロンの体温を感じながら、私も歩き出した。

 小屋の外に出ると、嵐はすでに去っていた。昇り始めた太陽が、目に映るものすべてを輝かせている。


 何かが変わる予感がした。

 何かが始まる予感がした。


 と、その時。


 ドドーン!


 突然大きな音が聞こえた。

 私とアーロンがその方向を見る。

 そこはダンジョンの入り口。その扉が、内側から吹き飛ばされて地面に転がっていた。

 ぽっかりと開いた穴から、男たちが飛び出してくる。その中にはフレディもいた。


「逃げろ!」


 慌てふためきながら、フレディたちが逃げていく。

 その後ろから、不気味な声が聞こえてきた。

 それは、人のものではなかった。地の底から響くような恐ろしい声。

 アーロンが、静かに言う。


「お前はここにいろ」

「いやよ!」


 咄嗟に私はアーロンの腕を掴んだ。


 この腕を放してはいけない。

 放せば、また私は一人になってしまう。


「あなたが行ってもどうにもならないわ! すぐに助けを……」


 必死に訴える私に、アーロンが笑った。


「お前がくれたこの秘宝があれば、何とかなる」


 そう言うと、ポケットからあのペンダントを取り出した。

 そのペンダントにどういう効果があるのか、私は知らなかった。

 黙ってペンダントを見つめる私に、アーロンが言う。


「俺は、お前の父親から剣の技を教えてもらった」


 私が目を見開く。


「お前の母親からは、レナを頼むと言われた」


 驚きながらアーロンを見つめる。


「俺は、お前の両親の思いに応えたい。そして、俺はお前を守りたい」

「それなら……」


 一緒に逃げて


 言おうとした私の唇が、塞がれた。

 びっくりして体が強張る。

 でも、イヤじゃなかった。こんな時だというのに、私は、無意識に目を閉じていた。

 突然。


「きゃあ!」


 突き飛ばされて、私は地面に転がる。


「お前は生きろ」


 優しく笑って、アーロンが背中を向けた。

 そのままアーロンは、溢れ出してきた異形の群れに向かって走り出した。



 雨上がりの澄んだ空気の中を、彼が駆けて行く。雲間から差す光が、金色の髪をキラキラと輝かせていた。


「お願い!」


 私は叫んだ。


「行かないで!」


 涙を流しながら、私は叫んだ。

 それなのに、彼は振り向いてくれなかった。


 彼がペンダントを握り締める。それを天に向かって掲げながら、大きな声を上げた。

 直後。


 強烈な閃光と強烈な衝撃。

 咄嗟に私は頭をかばい、強く目を閉じて地面に伏せた。


 もの凄い爆発音が鼓膜を叩く。大量の砂礫が降り注ぐ。

 やがて爆風が収まり、奇妙な静けさが訪れた。


 私は顔を上げた。

 そこには、何もなかった。


 やはり、夢は現実になった。

 私は泣いた。

 声を上げて、私はいつまでも泣き続けた。

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