絶望

 嵐が吹き荒れる町に人はいない。店の騒ぎに誰も気付くはずがなかった。

 荷馬車に放り込まれて、私は呻き声を上げた。幌もない荷台でずぶ濡れになりながら、私は体を丸める。

 馬車が動き出した。いきなりの全速力だ。

 嵐の中を荷馬車が疾走する。荷台が跳ねる度に痛めた足首に衝撃が走るが、その痛みを私はほとんど感じていなかった。


 床に広がっていく血だまりと、私に向かって伸びる血だらけの腕。


 そいつの名前は、アーロンって言うんだよ


 私はただただ泣いていた。

 私はただただ謝っていた。

 私の心は、絶望に覆い尽くされていた。



 馬車は、それほど長く走っていなかった。止まった途端、私はまた男に担がれて小屋の中へと運ばれる。

 その小屋に、私は見覚えがあった。それは、”悪魔の巣”の入り口近くの見張り小屋。愚か者がダンジョンに侵入するのを防ぐため、昼夜問わず見張りが常駐していると聞いていた。

 一年前の事件の後、町がこの小屋を設置したのだ。その竣工式に、私も出席していた。


「女を連れて来たのか?」


 中にいた男が聞いた。


「店に秘宝はなかった。後でこいつから在処を聞く」


 答えた男が、私を床に転がした。

 後ろから入ってきたフレディに、中の男が言う。


「大口叩いておいて、結局これか。情けねぇな、フレディ」

「うるせぇ!」


 フレディが怒鳴った。そして、私の猿ぐつわを外すと、短剣を抜いて目の前に突き付ける。


「秘宝はどこだ?」


 普通なら、怖くて震え出すような状況だ。

 でも、今の私の心は動かない。


「秘宝はどこかって聞いてんだよ!」


 耳元で大声を出されて、私はようやく反応した。


「秘宝なんて、ないわ」

「何だと?」


 フレディが目を見開く。


「両親は、秘宝に興味がなかった。だから、手に入れた秘宝はすぐ売ってしまっていたのよ」

「嘘をつけ!」


 フレディが叫ぶように言った。


「お前の親は、上級ダンジョンをいくつも制覇していた。人が作った武具だけで、上級ダンジョンを制覇するなんてありえねぇ。絶対に秘宝を使っていたはずだ!」


 血走った目が私を睨む。


「てめぇは知ってるはずだ! さあ言え、秘宝はどこだ!」


 髪を掴まれて、私が顔をしかめる。

 その時、苛立った声がした。


「その辺にしとけ。みんな、もうダンジョン前に集まってるんだ」


 中にいた男が立ち上がって言う。


「嵐が鎮まる前に、扉の中に入らなきゃならねぇ。このチャンスを逃したら、間違いなく会長がぶち切れちまう。てめぇを待ってる時間はねぇんだよ」


 フレディは男を睨み、だが何も言うことなく私の髪を放した。


「後でゆっくり聞かせてもらう。それまで大人しくしてろ」


 私は、また猿ぐつわをされて、近くの柱に体を括り付けられた。

 玄関扉を開けながら、男が言う。


「さっさと行くぞ、色男」


 ダン!


 思い切り壁を殴って、フレディも一緒に外へ出て行った。


 小屋の中に誰もいなくなると、私の頭は少し回り始めた。

 男たちは、嵐に紛れてダンジョンに潜る気だ。

 あのダンジョンは、それなりに深いと聞いている。本気で攻略するなら、少なくとも丸一日は出てこないだろう。

 ふと私は、この町に来た頃の両親の言葉を思い出した。


 あのダンジョンは、自分たちでも手が出せない


 父は剣の達人、母は魔法の達人。その上、母は特殊な能力の持ち主だった。

 母は、少し先の未来を見ることができた。魔物の動きやトラップの発動を、あらかじめ捉えることができたのだ。

 その能力と、達人級の剣と魔法、そして息の合ったコンビネーションがあったからこそ、二人はいくつものダンジョンを制覇することができたのだ。

 その二人でさえ、あのダンジョンには手が出せないと言っていた。


 冒険に興味はなくとも、私はあの両親を見て育っている。相手が強いか弱いかくらいは分かるつもりだ。

 あの男たちが剣士だろうと魔術師だろうと、間違いなく両親より数段弱い。ほかの連中がどれほどなのかは知らないが、両親を超える人物がいるとは思えない。


 攻略は、確実に失敗する


 私は確信した。

 同時に、一年前の記憶が甦る。


 半分しか見ることのできなかった母の顔。

 見ることすらできなかった父の最期。


 それが、新たに刻まれた忌まわしい記憶を呼び覚ました。


 床に広がっていく血だまりと、私に向かって伸びる血だらけの腕。


 アーロン……


 私の目から、また涙が溢れ出した。



 どれくらい時間が経っただろう。

 突然扉が開いて、男が一人入ってきた。


「まったく、俺一人で元に戻すってのが無茶な話だったんだ」


 見ると、それは最初から小屋にいた男だった。


「嵐は止んじまうし、夜も明けてきやがった。ほんとにギリギリだったぜ」


 愚痴をこぼしていた男が、目を見開く私を見てにやりと笑う。


「何で戻ってきたのかって顔だな」


 雨具を脱いでそれを脇の金具に掛けると、男は私に近付いてきた。


「みんなが潜った後で、扉を塞いできたのさ。あいつらが戻るのは明日の夜だ。それまでは”異常なし”って事にしなきゃダメだろ?」


 聞いてもいない事を話し出す。


「明日の夜中に、町で火事が起きる。その騒ぎに紛れて奴らは戻ってくる。それまで、俺はこの小屋で見張り番だ」


 恐ろしくいやな予感がした。

 そんな話を平気ですると言うことは、私は……。


「しかし、ずぶ濡れの女ってのは、妙にそそるもんだよなぁ」


 私の前にしゃがんで男が笑う。

 その手が、私の髪をかき上げた。


「濡れた服を着てたら寒いだろう? 俺が脱がせてやるよ」


 全身に鳥肌が立った。

 怯える私を見て、男が言う。


「何だよ、脱いだら余計に寒いって言いたいのか?」


 男の顔に、嗜虐の笑みが浮かんだ。


「大丈夫さ。俺が体で暖めてやるからな」


 興奮で震える両手が、私の服を掴む。


「どのみちお前は殺される。どうせなら死ぬなら、その前に楽しまなきゃもったいないだろう?」


 欲望に狂った目が私を舐め回した。


 きっと、これは罰なんだ


 ボタンを外されながら、私は思った。


 あの人に、私は気が付かなかった

 あの人に、私はひどいことを言ってしまった


 涙が溢れ出してくる。


 私のせいで、あの人は……


 私は目を閉じた。

 瞼の裏に、その人の姿が浮かび上がる。


 ごめんなさい


 胸の中で私はつぶやいた。


 ごめんなさい


 その人に心から謝った。


 ごめんなさい


 その人に向かって、私は腕を伸ばした。

 その時、男の手が首筋に触れた。気持ち悪いその感触に、私の意識が急速に戻ってくる。


 目を開くと、すぐ目の前に脂ぎった顔があった。

 恐怖と嫌悪で、反射的に私は顔をそらす。

 すると、男が私の猿ぐつわを外し始めた。


「夜まで二人きりなんだ」


 余裕の表情で男が言う。


「泣いても喚いても、助けは来ねぇぜ」


 外した猿ぐつわを床に投げ捨てる。

 男が強引に私の顔を前に向けた。


 助けて……


 頭では分かっていた。


 お願いよ……


 その人は、もういないのだ。


 それでも私は叫んだ。

 心の底から、大きな声でその名を呼んだ。


「助けて、アーロン!」


 バタン!


 突然、小屋の扉がもの凄い勢いで開いた。


「なんだ!?」


 驚いて男が振り向く。

 小屋の入り口に、ずぶ濡れの男がいた。その男が、剣を抜きながら言った。


「その子を放せ」

「誰だてめぇ!」


 男が怒鳴る。

 その怒気を上回る、強烈な殺気が放たれた。


「レナを放せ!」


 瞬間、ずぶ濡れの男が前に出た。

 怒鳴った男が慌てて立ち上がる。その顔の真横を、剣が走り抜けた。


「ひえっ!」


 驚きと恐怖で男がへたり込む。

 とんでもなく速い突きだった。父以外に、これほど速い突きを見たのは初めてだ。

 腰を抜かした男が、這いつくばるように逃げていく。追い掛けるずぶ濡れの男が、その首筋を剣の柄で打った。


「うっ!」


 男が床に崩れ落ちた。

 剣を納めた男が、目を見開く私の縄をほどいてくれる。

 そして、目を伏せながら言った。


「遅くなってすまなかった。ここまで来るのに時間が……」


 その言葉を、私は最後まで聞いていなかった。

 その人の胸に、私は飛び込んだ。


「アーロン!」


 涙でぐちゃぐちゃの顔を胸に押し付けながら、私は何度もその名を呼び続けた。

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