ガタガタ……


 物音で私は目を覚ました。

 時計を見ると、時刻は夜の十時。いつもなら今頃から寝る準備を始めるのだが、今日は八時にはベッドに入っていた。嵐に備えて昼過ぎには店を閉めてしまったので、やることはないし風の音は気になるしで、起きている気がしなかったからだ。毛布を被って目を閉じているうちに、いつの間にか眠っていたらしい。


 体を起こして耳を澄ます。

 嵐はまだ去っていないらしく、バシャバシャと雨が打ち付ける音が聞こえる。その音の合間から、また聞こえてきた。


 ガタガタ……


 聞き間違いではなかった。外ではなく、一階の店から音がする。


 窓が破られた!?


 板で覆ってはいるけれど、飛ばされてきた看板でも直撃すれば、そんなもの簡単に突き破られてしまう。

 慌てて飛び起きて、私はランプに火を灯した。動きやすい普段着を着たまま寝ていたので、素早く動くことができる。アドバイスをくれた大家さんに感謝だ。

 廊下に飛び出すと、急いで階段を駆け下りた。だけど、ちょっと慌て過ぎたらしい。あと数段というところで、私は足を踏み外してしまった。

 咄嗟に壁に手を突いて体勢を整えながら、えいっとばかりに私は跳んだ。そして、一番下まで一気に飛び降りる。

 だが、さすがに無理があったようだ。


「いたっ!」


 思いっ切り右の足首をひねってしまった。それでも、私はすぐに動き出す。早く窓を塞がなければ商品がダメになってしまう。

 足を引きずりながら、私は店に続く扉を開けた。

 途端、腕を掴まれて、私は店側に引っ張り込まれた。


「声を出すな」

「!」


 目の前に短剣が突き付けられる。

 声を出すなと言われたが、そんなこと言われなくても声なんて出ない。

 恐怖と混乱で動けない私は、ランプを奪われ、後ろ手に両手を縛られると、猿ぐつわをされて床に転がされた。

 顔を上げると、店の中を小さな明かりが移動しているのが見える。


「やっぱり店にはないな」

「まあ、そうだろうな」


 男たちの声が聞こえた。

 私を縛った男が、その明かりに向かって聞く。


「こいつはどうする?」


 その問いに、聞き覚えのある声が答えた。


「そのまま転がしておけ」


 声が近付いてきた。

 明かりに浮かぶ顔を見て、私の呼吸が止まる。


「素直に俺の申し出を受けてりゃあ、そんな目に遭わずに済んだかもしれないのにな」


 私を見下ろしながら、男が言った。


「お前から秘宝の在処を聞き出して、穏便にそれをいただく。そんな計画だったんだが」


 男が、顔を歪める。


「まさか、この俺がフラれるなんて思ってもみなかったぜ」


 冷たい声が、私の心を凍らせた。


「お前たちは二階を探してこい。俺はこいつを見張ってる」

「分かった」


 二人の男が二階に向かった。

 目の前の男は、黙ったまま私を見下ろしている。


 何が起きているのか、それは分かっていた。こいつらは、秘宝狙いの強盗だ。玄関を見ると、扉に穴が開いていた。嵐の音に紛れて扉を壊して、鍵を開けたに違いない。

 だけど、目の前にその人がいるという事実を、私はどうしても受け入れることができなかった。


 男がしゃがみこむ。

 きれいな顔がはっきりと見えた。


「お前の顔や名前なんて俺は覚えちゃいなかったが、それはお前もおんなじだったらしいな」


 男が、私の髪を掴んで無理矢理顔を持ち上げた。


「俺はな、お前を助けたヒーローなんかじゃねぇ。その逆だよ」


 私は目を見開いた。


「俺は、お前をいじめてた側だ。お前を助けたのは、ガキのくせに目付きの悪い、無愛想でむかつく野郎だよ」


 男がにやりと笑う。


「お前のヒーローの名前は、フレディじゃねぇ。そいつの名前は、アーロンって言うのさ」


 瞬間、不鮮明だった記憶が鮮やかに色付き始めた。

 石を投げるいじめっ子たちと、それに立ち向かっていく男の子。

 殴られても蹴られても男の子は引かない。いじめっ子たちが怯んで逃げ出すまで絶対に諦めない。

 やがていじめっ子たちを追い払うと、男の子は私のところにやってくる。


「大丈夫か?」


 男の子が聞いた。


「うん、大丈夫」


 私が答えた

 私がケガをしたことなど一度もなかった。

 いつだって、その男の子が私を守ってくれたから。


「ありがとう」


 お礼を言うと、男の子は、傷だらけの顔で無愛想に言う。


「別に……」


 髪の色は金色で、瞳の色も金色。

 その目付きは、ちょっと怖かった。

 だけど。


「お前がケガしてないなら、それでいい」


 横を向く男の子の顔は、ちょっと可愛らしくて、最高にかっこよかった。


 私のヒーローは、フレディなんかじゃなかった。

 私のヒーローは……。


 心の中で名前を呼んだ、その時。


 バタン!


 突然玄関が開いて、誰かが飛び込んできた。

 その手に持ったランプが、床に転がる私と、私の髪を掴む男を照らし出す。


「貴様!」


 男の声がした。

 その声を聞いて、私はまた目を見開いた。


「てめえ、誰だ!」


 フレディが大きな声を上げる。

 それに答えることなく、男が剣を抜いて突進してきた。


「その子を放せ!」


 鬼のような形相で男が迫る。


「くそっ!」


 フレディが立ち上がって、腰から短剣を抜いた。

 だが。


 キーン!


 フレディの短剣が弾け飛んだ。

 手を押さえて顔をしかめるフレディに、男が剣を突き付ける。


「その子から離れろ。そして、床にうつぶせになるんだ」


 怒りを押さえるように、低い声で男が言った。

 その直後。


「うっ!」


 突然男が崩れ落ちた。

 その背中には、短剣が深々と突き刺さっていた。

 フレディが怒鳴る。


「てめぇ、見張りの意味がねぇだろうが! 危うく俺はやられるところだったんだぞ!」

「す、すまねぇ。こいつの動きが速過ぎて……」


 怒鳴られた若い男が、目を伏せながら言った。

 それを睨み付た後、フレディが、横たわる男を蹴り上げる。


「がっ!」


 顔を歪めて男が呻いた。

 男の倒れる床が、徐々に赤く染まっていく。


「まったく、誰なんだこいつ」


 フレディがつぶやいた時、二階から男たちが降りてきた。


「ちくしょう、二階にもねぇ……って、誰だ、そいつ?」


 男の頭を踏み付けながら、フレディが答えた。


「知らねぇよ。いきなり店に飛び込んで来やがったんだ。で、秘宝はなかったんだな?」

「秘宝どころか、マジックアイテムすらねぇ」

「そうか」


 フレディが、また私を見下ろす。


「もう時間がない。秘宝の在処は後で聞き出すとして、とりあえず”悪魔の巣”に向かうしかないな」

「この女はどうすんだ?」

「連れて行く。あっちでゆっくり話を聞かせてもらうさ」


 おぞましい顔が笑った。


「この男は?」

「放っておけ。こんだけ血が出てりゃあ、すぐ死んじまうさ」


 そう言うと、フレディは玄関へと歩き出した。

 別の男が、私を肩に担いで運んでいく。


 体に力が入らなかった。

 頭がうまく回らなかった。

 それなのに、涙だけが止まらなかった。

 ポトポトと涙が床に落ちていく。

 ぼやけた視界の中で、その光景だけははっきりと見えていた。


 床に広がっていく血だまりと、私に向かって伸びる血だらけの腕。


 私は泣いた。

 心の底から私は泣いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る