魔王との戦い

 モルガの矢がラーヴァナに迫る。ヴィシュヌの化身ラーマの力で放たれた一撃だ。その威力は海を割り山を穿つほどである。魔王は微動だにしない。怒りの表情で涙を流し、モルガを見据えている。


 その胸に矢が突き刺さった。


「ふんっ!」


 同時にラーヴァナが全身に力を込めると、モルガの矢はその場で粉々に砕け散る。魔王の魔力がヴィシュヌの化身の力を上回ったのだ。


「嘘だろ……」


 モルガも全力で撃ったのだ。倒せはしなくとも、当たれば十分なダメージを与えられると信じて疑わなかった。それが魔王に傷一つつけられない。この事実は一瞬にして「勝てない」と思わせるに十分だった。


「舐めるな、小僧! 羅刹の王として苦行の末に不死の力を手に入れ、天上の神々を打ち倒してランカー島をこの世で最も繫栄した場所に変えた、我こそが三界で唯一の魔王ラーヴァナぞ!」


 ラーヴァナが吠える。その全身からほとばしる魔力が地を抉り、全てを吹き飛ばしていった。地割れに足を取られ、なんとか立ち上がったユーディットも、ラーマの姿になったモルガも、シュールパナカーやスキュラにジャルカーンとマナティーも、ハヌマーンとその軍勢も全員まとめて魔王から生まれた魔力の奔流に飲み込まれ、空中に身を投げだした。


 この魔力自体には彼等の身体を傷つけるような効果はなかったが、吹き飛ばされ地面に叩きつけられたモルガは全身を走る痛みと敵の強大さに打ちひしがれ、心を絶望に覆いつくされていた。


「無理だ……あんなの倒せっこない!」


 元々弱気なゴブリンだった。追放されて見返してやると心に誓った時も、本当に魔王になれるとまでは考えていなかった。それでもユーディットに救われ、不思議な薬で力をつけ、多くの戦いを経て自信を付けてきた。その成長の歴史が、たった一度攻撃を防がれ、相手の気迫に圧されただけで打ち砕かれてしまった。また弱気なゴブリンに戻ってしまった。


 ユーディットも苦痛に顔をゆがめながら立ち上がろうともがいている。既に傷ついていたジャルカーンとマナティーは地に伏して呻いている。シュールパナカーやハヌマーンはそもそも魔王にダメージを与えられない。やはり人間にしか倒せない魔王というものがあまりにも非常識極まりないのだと、モルガは諦めの言葉を口に出してしまったのだ。


「颶風撃!!」


 その時、魔王ラーヴァナが背後から暴風を纏う剣で斬りつけられた。


「ぐっ……なにやつ!?」


 ラーヴァナの顔が苦痛に歪み、振り返るとそこには一人の男と一頭のダイアーウルフがいる。ザインとダイちゃんだ。


「諦めるなモルガ! 魔王だって無敵じゃないんだ!」


 ザインがモルガを叱咤する。予想もしていなかった仲間の登場と、何より彼の攻撃が魔王に痛みを与えた光景を目の当たりにしたことでモルガの心に光が差した。そう、魔王はモルガの攻撃が効かないのではない。さっきは攻撃を防いだだけなのだ。


「人間の分際で、なんだその力は!」


「僕はダイちゃんに肉体強化してもらってるからね! 獣は魔王を殺せなくても、仲間の人間を強くすることはできる!」


「バウッ!」


 再び斬りつけるザインに、ラーヴァナも剣で応戦した。魔王の強力無比な斬撃も肉体強化されたザインには当たらない。


「ラーヴァナって神にも魔神にも羅刹にも獣にも殺されないんだよネ? なら私はどうかナ!」


 今度はモルガの背後から声がし、魔王めがけて銛が飛ぶ。ザインに気を取られていたラーヴァナは、その銛を腕に食らった。筋骨隆々な魔王の腕に突き刺さる銛。なんと上半身が人間で下半身が蛸のスキュラは魔王に攻撃が通じるのだ!


「ナラシンハの伝説を思い出してみたまえ。神にも魔神にも人間にも獣にも殺されないヒラニヤカシプは、神でも魔神でも人間でも獣でもない姿のナラシンハに殺された。ニルヴァーナ!」


 間髪入れずに新たな声が響き渡り、どこからともなく虎の顔を持ち筋肉質な人間の腕と不気味な背びれが生えた巨大な蛇が現れた。カトリーヌちゃんだ。


「なっ、なんだこの気持ち悪い化け物は!」


 さすがの魔王も驚愕である。こんなものをナラシンハとは認めたくない。カトリーヌちゃんは魔王に巻き付き、ヘッドロックをかけながら頭に噛みついた。


「離れろおおお!」


 ラーヴァナが振りほどくと、カトリーヌちゃんは威嚇の唸り声を上げながら離れる。そして魔王の額から一筋の血が流れ落ちた。


「効いてる!」


 ユーディットが立ち上がり、ターンダヴァで攻撃する。


「そうか、アタイもこうやって助ければいいのね!」


 シュールパナカーが仲間の人間や何だか分からない生物達を加速させた。


「その種族判定って外見で決まるのよね? なら人間の姿をした私でも攻撃が効くはずね」


 更に新たな声が上がる。いつの間にやってきたのか、竜王の娘タルマッドが三又の鉾を手にして参戦した。次々と繰り出される攻撃の数々に、最強を誇る魔王も苦戦を強いられていた。


「魔王を、舐めるなあああああ!!」


 だが、それでも魔王は倒れる様子を見せない。スキルで強化されたジャルカーンとマナティーも加わり、総力戦で食らいつく人間達だったが、魔王ラーヴァナはその全ての攻撃を受けてなお、凄まじい力で戦士達を弾き飛ばしていく。


「ほっほっほ、やはり主役がとどめを刺さなくてはのう」


 弓を手に攻撃の機会をうかがっていたモルガに、また突然現れたダルマ師匠が声をかける。その手には一本の矢を持って。


「これを使え。ヴィシュヌの矢じゃ」


 ダルマ師匠はヴィシュヌの力が宿る特別な矢をモルガに渡した。なぜダルマ師匠がそんなものを持ってきたのかは不明である。ダルマ師匠なら何をやっても不思議ではない。


「分かった」


 その矢を手にした瞬間、モルガは理解する。この矢で貫けぬものなど、この宇宙全てを見回しても存在しないのだ。


 矢を番え、大きく深呼吸をする。目の前では仲間達が魔王と死闘を繰り広げている。倒す力のないハヌマーンも、仲間を魔王の攻撃からかばうために全力を尽くしている。誰一人として魔王との戦いを諦める者はいない。


(俺は、本当に意気地なしだ)


 魔王を前に諦めの言葉を吐いてしまったモルガは、心の中で己の不甲斐なさを恥じた。そして改めて魔王に標準を定める。


「食らえっ!」


 モルガの右手が、引き絞った矢を放す。弓の弦に弾かれたヴィシュヌの矢は真っ直ぐに魔王めがけて飛んでいった。

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