キシュキンダー奪還

 ハヌマーンの七十億の軍勢がキシュキンダーに攻め込むと、都にいた猿達は一目散に逃げていった。彼等は今の王のために命をかける気などさらさらないのだ。人望って大事。


「よーし、ハヌマーンが他の猿を追いやってる間にヴァーリンのところまでいくぞ!」


「おー!」


「出し惜しみは無しだ、ニルヴァーナ!」


 モルガは早速新しいスキルを使う。『アヴァターラ・ヴァラーハ』は大きな猪の姿になる神の力だ。猪になったモルガは背中にユーディットとシュールパナカーを乗せて走り出した。


「ぎゃあああ、猪の化け物が襲ってきた!」


 キシュキンダーの住民は猿の大群に続いて現れた巨大な猪に仰天し、地面に這いつくばって命乞いを始める者も現れた。本物の猪相手にそんなことをして助かるとは思えないのだが、パニックになれば変な行動を取るものだ。そしてこの猪はヴァーリンだけを倒しに来ているので彼等は無事に生き延びることができたのだった。よかったよかった。


『そこまでだ、狼藉者ども』


 猛進するモルガの前に、巨大な人影が現れる。その顔を見ると大きな丸い顔は黒く、二つの丸い目の周りに赤い縁取りがある。見た目はとても愛嬌のある姿をしているが、この面こそ宇宙の主ジャガンナートとしてこの地域で広く親しまれている姿である。


「出たなヴァーリン、お前を倒しに来た!」


『ふん、我が名はジャガンナート。ヴァーリンなどという猿の名はとうに捨て去ったわ』


 確かにこのジャガンナートに猿の面影は全くない。彼もキシュキンダーを手に入れた後、苦行によって神の力を手に入れたのだ。ジャガンナートはすさまじい勢いで体当たりしてくるモルガを受け止めようと両手を前に出した。


「こいつ、猪の突進を受け止めるほど力があるのか!? でも止まれないからこのままいくしかねえ!」


 既に全速力で突き進んでいる猪が、そう簡単に止まれるはずもない。ジャガンナートがどんな力を持っているか分からないが、このまま体当たりするしかなかった。


「大丈夫、モルガが一人で戦ってるわけじゃないんだから。アイツに受け止められたらアタイ達が攻撃するし、このまま行っちゃいな! ついでに『加速』!」


 シュールパナカーが加速スキルでモルガの突進を更に強化する。もはや巨大な弾丸である。長々と会話しているように見えるが、この間僅か数秒である。ものすごい早口だな!


「いけー、モルガちゃん!」


 ユーディットも『ターンダヴァ』の準備をしながらモルガを応援する。背中に乗っている二人も神に匹敵する強さなのだ、敵がどんなに強かろうと、もはやモルガが恐怖することはない。


『グハハハハ! 猪ごとき、宇宙の主であるこのジャガンナート様の敵ではないわ!』


 ジャガンナートの身体から不気味なオーラが立ち昇る。苦行の末に手に入れた力に、絶対的な信頼を置いているのだ。宇宙の主を名乗るほどだ、とんでもない力を授かったに違いない。


「うおおおお、ぶっ飛べえええ!」


 モルガが全力で体当たりを仕掛ける。弟の妻を奪い、都から追放したこの猿を許すことはできない。モルガは個人的な感情も込めてジャガンナートを宇宙の彼方まで吹き飛ばすぐらいのつもりでぶつかっていった。


『ふんっ、我が力を知れ!』


 ジャガンナートは、目の前にいる猪がただの巨大な獣だと思っていた。モルガは初めて使う変身で自分がどれほどの力を持っているのか理解していなかった。この猪は破壊神シヴァですら敵わない宇宙最強の神ヴィシュヌの化身アヴァターラだということの意味を知る者は、この場にいなかったのである。


 二者が激突する。ジャガンナートが全身に力を込めて踏ん張り、モルガがそこに突っ込み、牙でかちあげる。


「うおおおおお!! ……あれ?」


『グハハハハ!! ……え?』


 次の瞬間、ジャガンナートの身体は軽々と持ち上げられ、突進の勢いに乗って空に飛ばされた。あまりにあっけなく吹き飛ばされるジャガンナートに、それを行った当のモルガですら何が起こったのか理解できずに呆けて空を見上げる。


 数秒後、宇宙の主を名乗る不遜な猿はなすすべなく空の彼方に消えていったのだった。


「え、終わり?」


 あっけなく勝負がつき、出番のなかったユーディットが誰にともなく聞いた。だがモルガもシュールパナカーも予想外の展開にポカンと口を開けてジャガンナートの飛んでいった空を見上げるだけである。


「すっげええええ! こんなに強かったんすね、モルガのアニキ!」


 誰がアニキだ。都を軍勢で囲み、一部始終を見ていたハヌマーンが笑顔で駆けつけ、やっとモルガ達は勝利を受け入れることができたのだった。


「まあ、目的が達成できればよし!」


「そ、そうだな」


「結局ジャガンナートの手に入れた力ってなんだったのか分からなかったね」


 不完全燃焼気味の三人は、平和を取り戻した猿達に歓待されて曖昧な笑みを浮かべたまま一晩明かすのだった。


◇◆◇


「へっ、調子に乗って煽ってくれたが、しょせんは人間の軍なぞ俺様の敵じゃねえってことよ」


 インドラジットの声が響く。辺りには矢に胸を貫かれた兵士が無数に倒れている。ジャルカーンは痛む身体を叱咤しながら立ち上がり、周囲を見渡した。だが魔王軍の大将がどこに隠れているか、まるで分からない。


「まずいな……このままではユーディットが戻るまで持ちこたえられない」


 思わず呟いた弱音。だがこの呟きがオルネイド王国の運命を変えることになる。


「ん? ユーディットっていやあ、オヤジが殺せと言っていた小娘だな。お前らもそいつに期待してるってわけだ……へへっ面白い、そいつが帰ってきたらお前の目の前で俺様が殺してやるよ。神々の王インドラを打ち倒したこの俺様がなぁ!!」


 インドラジットの哄笑を聞きながら、ジャルカーンはどうにかしてこの声の主の居場所を突き止められないかと考えていた。ユーディットの相棒であるモルガはヴィシュヌの力を借りることができる。敵の居場所さえわかれば、彼等がきっと倒してくれるに違いない。と、そこへ聞き覚えのない声が囁く。


「大丈夫ですか、人間の軍人さん。メーガナーダの弱点を教えましょう」


 メーガナーダとは、インドラジットの前の名前である。彼は神々の王インドラを倒してインドラジット|(インドラを倒した者)という名を与えられたのだ。ジャルカーンは小声で尋ねた。


「……どちら様ですか?」


「名乗るほどの者ではございません。メーガナーダとラーヴァナの非道を見ていられないのです」

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