ガネーシャのスキル

 ヴェルフェン伯爵の屋敷は、モルガの予想に反して普通だった。きっと奇想天外な調度品であふれているだろうと思っていたのに。せいぜい至る所に小型のガネーシャ像があるぐらいだ。それも大商人の家なら特におかしいものではない。


 彼等は屋敷に着くと使用人に迎えられ、中へと通してもらった。案内しようとする使用人をユーディットが断り、三人でのんびりと当主の執務室を目指して歩いている。


「それにしても、なんで冒険者になりたいと思ったんだ?」


 こんな立派な家に住んでいて、町の人からも好意的に接してもらえる身分の少女が、わざわざ身分を隠して(マスターにはバレバレだったけど)冒険者なんてよく分からないものになろうと思うのが不思議だった。モルガは意に反して追放された身なので、なおさら自分から居場所を捨てる人間の気持ちが理解できない。


「だって、冒険者楽しいもん。冒険者にならなかったらモルガちゃんにもシュールパナカーちゃんにも出会えなかったんだよ?」


 ユーディットは真面目な顔で言う。伯爵令嬢として町でぬくぬくと暮らしていたら、変わった連中との出会いも強敵との戦いも経験できなかった。それは冒険で危険な目に遭い、最悪命を落とすことになったとしても構わないぐらいに避けたい退屈な未来だったのだ。


「わかるよ、アタイも旅に出たから色んなものが見れたし、モルガやユーディットとも出会えたもん」


 魔王の宮殿を飛び出したシュールパナカーも同意する。本当にこの出会いは彼女にとっていいものだったのか、それは神のみぞ知るといったところだが、今のところ彼女は幸せを感じている。


「そっか……確かに、旅に出なけりゃ知ることもなかった広い世界があったからな」


 モルガは、それでもかつての恋人アンシラの姿を思い浮かべる。自分を拾ってくれたユーディットには感謝しているし、シュールパナカーはいい仲間だと思うが、失った幸せと今の幸せを比べることはできなかった。


「話は聞かせてもらった」


 突然、廊下に飾られていたガネーシャ像の一つが動き出し、声を発した。


「うおっ、びっくりした! これがユーディットのお父さんか?」


 廊下でガネーシャ像になってるお父さんがいてたまるか。いや、ユーディットの父親ならあり得るが。


「お父さん! ちょっと見ないうちに可愛くなっちゃって」


「それだ! お前は私のこの姿を可愛いと言ったな?」


 動くガネーシャ像がユーディットに象使いの杖アンクシャを突き付け、問う。ちなみに種明かしをすると、こいつは本物のガネーシャ神である。どうしても確かめなくてはならないことがあって、わざわざ像に乗り移り現世に顕現けんげんしたのだ。


「うん、可愛いよ!」


「そうか、では重ねて問う。この者はどうだ?」


 ガネーシャはモルガを指した。杖を向けられたモルガは心の中で何かを察したが、声には出さないようにする。


「可愛い!」


「……では、この者は!?」


 当然、次に指されるのはシュールパナカーである。


「ちょー可愛い!」


「そんなに!?」


 シュールパナカーは自分の容姿を褒められることには慣れているので「いやー、照れちゃうなー」とか言いつつ余裕の態度である。彼女の自己肯定感は宇宙の端まで届くほど高いのだ。


「そうか……そうだったのか……」


 ガネーシャはヨロヨロとよろめきながら後ずさりをすると、背中を向けて走り去っていった。


「ちくしょおーーーーっ!!」


 頑張れ、ガネーシャ! 負けるな、ガネーシャ! きっといいことがあるさ。……プッ。


「なんだったんだろう?」


 首を傾げるユーディットとシュールパナカーだが、モルガは概ね事情を察し、ガネーシャ神に心の底から同情していた。


 さて、どうでもいいイベントがあったが三人は間もなく当主の執務室に到着した。やっと本当の父親が登場するぞ。


「たのも―!」


「だからなんだよその挨拶」


 ユーディットが勢いよく執務室の扉を開けると、その中には一組の男女が立って待ち構えていた。説明するまでもなくユーディットの両親である。父親はすらりと背の高い紳士で、ユーディットと同じ金髪に青い目をしている。長い髪を首の後ろでまとめた姿は、実に貴族らしい気品を感じさせる。母親は髪の色こそ茶色だが、それ以外はユーディットをそのまま成長させたような姿をしていて、モルガとシュールパナカーにもひと目で彼女の母親だと分かった。


「よくぞ帰ってきた、我が娘ユーディットよ!」


「おかえりなさい、お友達もよくいらっしゃいました」


 ユーディットが帰ってきたことはとっくに彼等の耳に入っているので、こうして彼女が来るのを待っていたわけだ。そんな二人を見たユーディットが口を開く。


「あれっ、お父さん象になったんじゃないの?」


 あれは違うから。


「何の話だ? まあいい、お前の言葉をいちいち真面目に聞いていたら疲れる」


 お父さん、既に悟りを開いている模様。この娘をずっと見てきたのだから仕方ない。ソファーに座るよう三人を促し、自分達もテーブルを挟んで向かい側に座った。


「単刀直入に言おう。炎の魔法剣を買い取りにきたのだろう? お前の活躍は私の耳にも届いているぞ。そろそろダルマを成して新たな力を欲する頃だろう」


 なんと、お父さんは全てお見通しだった! 本当にユーディットの話を聞くと疲れるのだろう。


「そうなの! いくら?」


 親子の会話は短い。それはむしろお互いの理解が深いことを示しているのだ。


「お金はいらないよ。それは冒険者として立派になったユーディットにプレゼントしよう。母さんから話があるそうだ」


「やったー! お母さんの話ってなに?」


 あっさり問題は解決した。さすがは伯爵、気前がいい。そして母親が話を始める。どうやらこちらが本題のようだ。


「ユーディット、冒険者であるあなたに、我が家に伝わる【ガネーシャ】のスキルを教えます」


「覚醒スキルだ。冒険者になったのなら聞いたことがあるだろう?」


 ここでまさかのスキル伝授である。覚醒スキルを揃えれば、神の力を手に入れて自分自身がその神になれる。さっき本物がいたけど細かいことを気にしてはいけない。


「覚醒スキル! モルガちゃんとおそろいだね!」


「ガネーシャって、あの象の神様だろ? どんなスキルなのかな」


「いいなー、アタイもなんか面白いスキル覚えたい」


 にわかに騒がしくなる執務室だった。ユーディットの母親は話を続ける。


「【ガネーシャ】のスキルセットには【ガナパティ】【エーカダンタ】【ヴィグネーシュヴァラ】【モーダカプリヤ】【ヴィヤーナカ】の五つのスキルがあります。この団子モーダカを食べると【モーダカプリヤ】のスキルを覚えられるのです」


 そう言ってココナッツの香りがする団子を取り出す母親。そんな簡単にスキルを覚えていいのか?


「ちなみにどんな効果のスキルなんですか?」


 さすがにモルガはスキルの効果を確認した。覚醒スキルにはマイナス効果のあるものも存在すると脅されたことを忘れてはいないのだ。


「ガネーシャ神は叡智えいちの神でもあり、モーダカは食べたものに知恵を授けると言われるお菓子です。【モーダカプリヤ】のスキルは、無限の知識によりあらゆるものの真実の名前とその性質を知ることができるのです。簡単に言うと鑑定スキルですね。商人にとって最高のスキルですが、冒険者として生きていく上でもきっと役立つでしょう」


 なんと、とんでもなく便利なスキルだった!


「えー、強くなるスキルじゃないのー?」


 だがユーディットは不満そうだ。鑑定スキルの凄さがわからんとは、これだから野蛮人は。


「いいじゃないか。覚えて損することがないスキルが確実に覚えられるなんて、最高だろ」


「いいお友達に出会えたようだな、ユーディット。その縁を大切にするんだぞ」


 ユーディットをたしなめるモルガのことをヴェルフェン伯爵は気に入ったらしい。笑顔で顎をさすっている。


「そうだね、じゃあいただきまーす!」


「上から少しずつかじって食べるのよ」


 こうしてユーディットは両親の許しを得て不徳アダルマを解消し、更に初めてのスキル【モーダカプリヤ】を覚えたのだった。ついでにモルガとシュールパナカーもスキルは覚えないがお菓子をもらった。

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