ラークシャサ
「アタイわかっちゃった! 男の価値は顔より中身なんだわ!」
魔王の妹シュールパナカーは、旅立ってから一日足らずで既に百回フラれていた。驚異のハイペースである。彼女は兄より素敵な男性を求めて旅に出たのだが、いくら魔王が美形といえど外見だけならもっと優れた男性はそれなりにいる。その上彼女は意外と妥協もするし根本的に面食いではなかった。そのせいでシュールパナカーの求婚被害に遭う男性は次々に現れ、彼女の通ったあとには絶望とやるせなさが残った。
シュールパナカーは羅刹でありながら、好戦的な性格ではない。だからどの種族の男性に出会っても友好的に近づき、結婚してくれと願うのだ。これが男の立場からすると非常に恐ろしい。だって外見以外に断る理由がないのだから。そしてそんなことを口に出して言うわけにもいかない。彼等にも世間体や良心というものがあるのだ。
ある男はよく知らない相手と結婚できないと断った。すると大方の予想通り、シュールパナカーはその男に付きまとった。当たり前だ。なぜそんな分かり切っている結果が予想できないのか。この男は顔は良くても頭はいまいちだったらしい。結局数分で我慢の限界を迎えた男はシュールパナカーに暴言を吐いて追い払い、激怒した彼女にぶん殴られて100メートル先の岩に叩きつけられ、瀕死の重傷を負ったばかりか「言い寄る女を泣かせた弱っちいクズ」というあまりにも厳しい汚名を与えられてしまった。愚か、実に愚か!
またある男は彼女に面と向かってブサイクだと言った。その勇気に乾杯! だがシュールパナカーは「世の中色んな趣味の男がいるのね!」とサラリと流した。彼女の自己肯定感はエベレストより高いのだ。おかげであっさりと断れたので、この男の対応が一番の正解だったのかもしれない。だがシュールパナカーが去ったあと、この男は女性の容姿を貶したことで周囲にいた女達から寄ってたかって罵倒されるのだった。哀れ。
そんなこんなで、多くの男を見てきたシュールパナカーは、見た目は良い男達が兄と比べてあまに魅力的に感じなかったことから、男の魅力は容姿よりも内からあふれ出す強さなのだと考えた。強さといっても単なる戦闘力の話ではなく、人を思いやる心や困難に立ち向かう心、決断する力といった総合的な強さのことだ。
「この先にはモウヤン村っていうのがあるのかー、牛の置物が有名なのね、ナンディさんかな? シヴァ様に会えるかも!」
ナンディは破壊と創造の神シヴァの従者であり乗り物でもある牛のことだ。シヴァに手を出したら恐ろしい嫁に八つ裂きにされるぞ! 本当に恐ろしいんだぞ! 絶対に近づくなよ? 絶対だからな!!
なにはともあれ、シュールパナカーはモウヤン村に向かうのだった。
◇◆◇
そしてモルガ達である。一行は森の中を進み、もうすぐモウヤン村にたどり着くところだ。
「牛さんモーモー♪」
変な歌を歌いながら歩くユーディット。目的は魔神を倒すことだが、もう覚えていないかもしれない。
「ダイちゃ~ん、お腹は空いてない?」
「バウッ」
賑やかな一行の中で、ゴブリンのモルガだけは黙々と歩いていた。まだビビッているのだ。心の中ではもう帰りたいと思っている。クラーケンを倒しても、それはヴィシュヌの化身の力を借りただけで、自分で戦ったという感覚はないのだった。
「狼使いのザインも一緒か。ちょうどいい、まとめてここで死んでもらうぞ」
森の中で頭上から声がした。次の瞬間、大量の槍が雨のように降り注ぐ!
――私の力を使え。
モルガの頭に、声が響いた。何かを考えるより先に、口が動く。
「ニルヴァーナ!」
モルガの身体から光が生まれ、巨大な亀の形をとる。ユーディット達をその腹の下に隠し、巨大な亀クールマは硬い甲羅で槍の雨を弾き返した。
「なんだ? 何が起こった!」
突然の変身にザインが驚きの声を上げる。ユーディットも状況がつかめず、剣の柄に手をかけてキョロキョロ周りを見ている。ダイちゃんだけは状況を理解したのか、スキルで肉体を強化して次の行動に備えていた。
――この姿では素早い動きが出来ぬ。上手く姿を変えながら力を利用するのだ。
声に従い、モルガは変身を解除する。そこにさっきと同じ声がかかった。
「面白い術を使うではないか。だがその程度で我が主を倒せると思うな」
言葉が終わらぬうちに、今度は二本の角を持つ大柄な男が木の上から飛び降りてきた。
「
ザインが敵の姿を確認して声を上げる。これは仲間に敵の正体を知らせて警戒を促す意味も込められていた。まさにユーディットは羅刹を見るのが初めてなので、目の前の鬼が何者かはよく分かっていなかった。
「グルルル……」
ダイちゃんが威嚇の唸り声を上げる。羅刹は両手に持つ二本の剣を揺らめかせながら、変身を解いたばかりのゴブリンに鋭い目を向けている。
「え、俺?」
自分が敵意を向けられていることに気付き、間抜けな声を上げるモルガ。声を出した瞬間の無防備な腹に、羅刹が凄まじい速さで突きを食らわせる。
――今度は通常スキルだ!
刹那の間に脳内のクールマから指示が飛ぶ。モルガは言われるままに『クールマ』と念じる。気がつくと、モルガの身体を空中に浮かんではるか後方に向けて飛んでいた。猛烈なパワーで吹き飛ばされたのだ。いくらゴブリンの身体が小さいとはいえ、とてつもない怪力である。
「モルガちゃん!」
スピードもパワーも桁違い。その上武器を巧みに操る武技まで備えた強者。とんでもない強敵が目の前に現れたことを意識しながらも、ユーディットは吹き飛ばされたモルガの身を案じていた。
「ふむ、主の命によりゴブリンを始末した。お前達もここで仲良く死んで輪廻の輪に戻るのだ」
「お前は何者だ⁉」
ザインが剣を構え、相手の名を聞く。何か意図があって尋ねたわけではない。思わず口から出た言葉だ。だが、羅刹は自分の顎に手を当て、返事をした。
「ああ、そうだな。自分の命を奪う相手の名ぐらいは知っておいてもいいだろう。我は羅刹族の戦士グルジット。魔神ルンバ様に仕える者だ」
「うにゃあああ!」
グルジットの名乗りが終わらぬうちに、ユーディットが雄たけびを上げて斬りかかった。その刃は炎に包まれている。モルガがやられた怒りで冷静さを失い、いきなり渾身の一撃を放ったのだ。
「細身の割に大した
ユーディットの一撃を交差した二本の剣で受け、そのまま受け流すようにして攻撃をいなす。初めて自分の攻撃を完全に無効化されたことに動揺し、ユーディットはその場に尻もちをついた。
「バウッ」
そこにダイちゃんが突進した。ユーディットが危険な体勢になったことを理解し、彼女が体勢を立て直すあいだ敵の注意を引き付けるつもりだ。ザインがユーディットの横に駆け寄り、剣の切っ先をグルジットに向ける。
「ククク……即席のパーティーにしては上手く立ち回る。思った以上に楽しませてくれそうだ」
グルジットが余裕の笑みを浮かべて冒険者達を見下ろしていた。
「ちょっと、大丈夫?」
モルガの耳に、聞き覚えのない女性の声が届いた。羅刹の攻撃にスキルの発動がギリギリ間に合ったが、飛ばされた先で大岩にぶつかり粉々に砕いた衝撃が強すぎて軽く意識が飛んでいたのだ。
「大丈夫だ、ありがとう。やっべ、どこまで飛ばされたんだ?」
モルガは未だかつてない強敵との戦闘に意識が向いていて、声をかけてきた女性を見る余裕もなかった。すぐに走り出して戦闘の場に向かう。
「あんなの食らったら、ユーディットでもひとたまりもないぞ!」
仲間に危機が迫っている焦りが、モルガの心から恐怖心を捨て去っていた。一心不乱にグルジットの居場所を目指して走る。
「へえぇ……あんな激しい戦いをするゴブリンがいるんだ。アタイ、気になっちゃった!」
女の声は、走るモルガの耳には届かなかった。
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