魔王の妹シュールパナカー

 モルガ達がクラーケンを討伐した海岸からはるか沖の海に、ランカー島という島がある。


 そこには、アルスターの町よりもずっと大きい、一つの宮殿がある。


 宮殿の壁は金色に輝き、床は真珠の光沢に覆われ、至るところに飾られた調度品は、この世のあらゆる宝石が散りばめられて複雑な光を放つ。


 元気いっぱいに葉を繁らせる庭木にはみずみずしい果実が実り、色とりどりの花が庭園を埋め尽くしている。


 広い通路には艶やかなドレスを身に纏った無数の美女がダンスを踊ったり、楽器を演奏したり、酒を飲んだり。果てはひんやりとした床の冷たさに身体の火照りを静めてもらおうと、健康的な肢体したいあらわにして無防備に寝そべる者までいる。如何なる危険も存在しないかのようなその様子に、これを見る者は天上の楽園に迷い込んだのかと錯覚するほどである。


 だがここは、魔王ラーヴァナの住む宮殿なのだ。


 ラーヴァナの威光はランカー島をあまねく照らし、羅刹達は繁栄の極みにあった。


 そんな宮殿の一角に、一人の女羅刹がいた。魔王ラーヴァナの妹であるシュールパナカーだ。


 ラーヴァナは容姿も素晴らしく、鋭い歯に赤い目を持ち、全ての吉相きっそうを持つ。初めてその姿を見た者はあまりの美しさに言葉を失うほどだ。


 だが、その妹であるシュールパナカーはとても醜い姿をしていた。彼女が歩けば木々がその身を反らせて避け、泉に近づけば姿を映すことを拒んで水が濁り、鏡の前に立てばあまりのことに鏡が粉々にくだけ散った。


 だから彼女は自分の姿を見たことがない。侍女が身の回りの世話をしてくれるから見る必要もなかった。


 そして当然ながら、魔王のただ一人の妹である彼女によからぬ言葉を投げかける蛮勇の持ち主など存在しない。むしろ誰もが彼女を美しいと言った。


 誘われた男が「あなたのような美女に私は釣り合わない」と言って逃げるのだ。


 わかる。


 そんなわけで、彼女は自分のことを絶世の美女だと信じて疑わなかった。あまりに美し過ぎて姿を映すことが躊躇われるのだという、兄の罪深い言葉に騙され続けているのである。


 これはまさに不徳アダルマ! ラーヴァナ以外に真実を伝えられる者など存在しないというのに! 妹可愛さから嘘をついて国全体をいたたまれなくするとはまさに悪鬼羅刹の所業である。この鬼! 悪魔! 魔王!


 さて、シュールパナカーは悩みを抱えていた。彼女には夫がいない。恋人もいない。前述のように男が逃げていくのだ。それ以前に、彼女の知る限り最も素晴らしい男性は兄のラーヴァナである。偉大なる魔王の一番近くにいながら、兄妹であるために結ばれることはない。そのため常にラーヴァナよりも素晴らしい男性に出会うことを夢見ていた。


「アタイわかった! この宮殿はアタイには狭すぎるんだわ!」


 ある日、シュールパナカーは兄に言った。


「狭いか? これでも天上の神々の富を独占して作り上げた最高の宮殿なのだがな」


 ラーヴァナは神々から財宝を奪い取っていた。神には殺されない魔王、やりたい放題である。こりゃあ殺害計画を立てられても仕方がない。


「そうじゃなくって、この宮殿にはアニキに惚れた女ばっかり集まって、いい男が足りないのよ」


 この言葉で妹が何を求めているのかを理解した兄。彼女の願いを叶えるには世界が百万回滅んで再生するぐらいの期間苦行を続けなくてはならない。さすがに不死の魔王とてこれは不可能。仕方ないね。


「あいわかった、旅に出ることを許そう。つらいことがあったらすぐに戻ってくるのだぞ」


 ラーヴァナは妹を宮殿から出すことに躊躇いがあった。色々な意味で。


 とはいえ、シュールパナカーも一人の立派な女性である。出会いを求めて旅に出ることを止めるわけにもいかない。


「アタイ行ってくる!」


 こうして、世にも恐ろしい災厄がランカー島の外に放たれたのだった。


◇◆◇


「依頼というのは他でもない、モンスター退治さ。ただ、こいつは普通に力押しで倒せる相手じゃない」


 町長室に戻り、ゲルダと合流したモルガ達三人はさっそく依頼の話を始めていた。


「またスキルが必要なやつですか?」


「ははは、モルガくんは察しがいいね。クールマの力を借りたいんだ」


 アヴァターラ・クールマは動きが遅くなる代わりに身体が硬くなるスキルである。表向きは。


「どんなの? ハリネズミみたいなやつ?」


「ハリネズミか、上手い例えだね。ユーディットくんが想像する通り、恐るべき反撃能力を持つモンスターだ。『絶対反射』という特別なスキルを覚えた魔神アスラでね」


「魔神!?」


 いきなり魔神退治である。いくらなんでもハードルを上げすぎではないだろうか? 町長もカトリーヌちゃんのような規格外の化け物に変身する能力者だから、難易度設定が苦手なのかもしれない。


「大丈夫、そんなスキルを覚えるだけあってこいつは戦闘力自体は大したことがないのさ。戦いたくはないけど悪さはしたいという、ろくでもない魔神でね」


 なんだそいつ、嫌な奴だな。


「オッケー、モルガちゃんに任せて!」


「それをお前が言うのかよ」


 ユーディットがあっさり引き受ける。この期に及んでビビリのモルガはブツクサ言うが、彼女が決めたことをひっくり返すのは無理だと学んでいるので諦めた。


「それではアルスター伯爵名義で正式に依頼を出そう。ギルドに行って『魔神ルンバ退治』を引き受けてくれ」


 なんだその勝手に辺りをきれいにしてくれそうな魔神は。世の中には色々な奴がいるものである。


 ユーディットは暗い表情のモルガを引っ張って、意気揚々とギルドに向かうのだった。

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