アルスター伯爵

 モルガとユーディットは声の主をよく知っている。以前護衛の依頼をしてきた伯爵夫人だ。あの時の依頼では相手の詮索をしないためにお互いの名前すら伝えていない。ペットがカトリーヌちゃんという名前なのは知ってる。


「あなた達、もう有名になっているわよ。クラーケンを退治してオルネイドリゾートを救った腕利きの冒険者だって」


「オルネイドリゾート?」


 二人が首をかしげる。あの海のことだとはわかるが、そんな名前は聞いていなかったのだ。


「うふふ、スキュラの出た海岸の一帯をそう呼ぶことになったのよ。前まではただ海水浴をするだけの場所だったのだけど、今はスキュラのダンスをはじめとした色々な催しをして観光客を呼び寄せているの」


 なんという仕事の早さ。二人が海から帰ってきてまだ一日しか経っていないのに、既に一大リゾート地が誕生していたのだ!


 いや、早すぎだろ。


「そうなんだー」


 かなり他人事な態度で相槌を打つユーディットである。まあこいつは銛を投げて綱引きしてただけだからな。


 だが、重要なのはそちらではない。あの海のモンスターはオルネイド王国自慢の騎士団による討伐隊を幾度となく退けた厄介者である。しかも本当の犯人はクラーケンなのに無実のスキュラを襲っていたという、騎士団の黒歴史になること間違いなしの事件だ。


 討伐を成し遂げた冒険者のことは、その名前から容姿、ついでにお供のモンスターのことまで詳細に報告が上げられ、国王のみならず国中の貴族がその名を知ることとなった。報告を上げたのはユーディットと一緒にクラーケンを引っ張ったあの騎士達である。


「だから私があなたの名前を知っていても何もおかしくないのよ、ユーディットちゃんにモルガちゃん」


 にっこりと笑って言う伯爵夫人。つまり知り合いであることを隠す必要はないと言いたいのだ。


「改めて自己紹介をするわね、私はゲルダ。この町を治めるアルスター伯爵の妻ですわ」


 伯爵なんて偉い人がその辺の町に何人もいるわけはない。ここの町長がこの女性の夫なのだった。


「カトリーヌちゃんは?」


「カトリーヌちゃんのことは秘密で。町でたまたま話題の英雄に出会って仲良くなったということにしておいてね」


 そう言ってウインクをするゲルダ夫人。あんな生物を可愛がるだけあって、なかなかお茶目な女性である。


「はーい!」


「わかりました!」


 そんなわけで、二人は正式にゲルダ夫人の知り合いということになった。その上で、町長のアルスター伯爵に紹介したいと言う。


「夫がぜひあなた達に会いたいと言っていたの。もし時間があるなら、今からうちに来てくださらないかしら?」


「行く行くー!」


「おい、貴族相手に気安く話しすぎだろ」


 誰が相手でも態度の変わらないユーディットに、モルガが注意をする。ちゃんとペットのしつけをしないとダメだぞ、モルガ。


「いいのよ、モルガちゃん。私も夫もそんなことを気にしたりはしないわ」


 心の広い貴族だ。変態同士気が合うのかもしれない。




「私が町長です」


 なんだろう、理由はわからないが凄く殴りたくなった。


 ゲルダ夫人に連れられて町長の家にやってきた二人は、主のアルスター伯爵に会うなりこう挨拶されたのだ。定番の挨拶らしい。


「はっはっは、よく来てくれたね、ユーディットくんにモルガくん。君達のことはオルネイド王国中の貴族が噂しているよ。私はこの町を治めているギムレット・フォン・アルスターだ。気安く町長と呼んでくれ」


 それは気安いのか? 町長は夫人に比べると年長に見えるが、せいぜい三十代ぐらいと比較的若く見える男性だ。ブラウンヘアーを後ろになでつけ、髭を剃った顔は凛々しい。穏やかな口調だが、グレイの瞳は鋭さを感じさせた。軽い態度に比べて、外見は勢いのある有能なリーダーといった印象を見る者に与える。


「初めましてー! 私はユーディット、この子はモルガちゃん」


「よ、よろしくお願いします!」


 挨拶を交わすと、町長はすぐに二人を手招きして近くに来るよう促す。なんだろうと不思議に思いながら二人が近づくと、町長は二人の耳元に口を近づけ、ヒソヒソ声で話をした。


「妻の件ではお世話になった。私は気にしないのだが、カトリーヌちゃんのことを快く思わない者がいてね」


 アレを快く思う人間の方が少数派だろう。どうやら町長にはカトリーヌちゃんの一件を秘密にする必要はないらしい。そして町長はさらに話を続ける。


「モルガくん、君は面白いスキルを覚えているそうだね。クラーケンを倒したのも、君だろう?」


「な!?」


 なぜそのことを知っているのかとモルガが驚くと、町長は口の前に人差し指を立てて「シーッ」と静かにするよう促した。


「ふふふ、こちらだけが秘密を握られているのは具合が悪いのでね。あのギルドマスターはとても有能なのだが、お金に弱いのが難点だな」


「どういうこと?」


 町長の言葉の意味が理解できないユーディットが首をかしげる。


「バカッ、あの筋肉オヤジが町長に金を握らされて秘密を喋ったってことだよ」


 あくまで小声で、モルガがユーディットに説明する。


「むう、いつの間におっさんと秘密を共有してたのよ」


 ユーディットはモルガのスキルについてまだ教えてもらっていなかった。


「ふふふ、『ヴィシュヌ』についてはたぶん彼より私の方が詳しい。なぜなら私は『アヴァターラ・ナラシンハ』の使い手だからだ」 


「!?」


 思いがけない町長の言葉に、二人は声にならない叫びを上げた。

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