マツヤ・解放

「銛が刺さった! 引き揚げるよー!」


 ユーディットはクラーケンの胴体に刺さった銛を引き、陸に揚げるつもりだ。全長数十メートルあるイカだかタコだかを浜辺に引っ張るのは、とてもじゃないが人間の力では不可能だ。いくら変態でも無理なものは無理。


 クラーケンは苦しそうに身悶えると、触手を銛から伸びるロープに絡めて引っ張り返す。凄まじい力で引かれ、さすがのユーディットもジリジリと海に引き込まれていく。って、よく踏ん張れるな。この女は人間の姿をしたゴリラに違いない。


「ぐぬぬ……」


「大丈夫ですか、手伝います!」


 そこに、二人の騎士が駆け寄ってきてロープを引く。監視役の騎士達だ。海辺の騒ぎを聞きつけてやってきたのだ。三人でもやはり引き込まれていくが、さっきより少しは踏ん張れるようだ。


「みんな手伝えー! スキュラを陸に揚げるんだ!」


 その様子を見ていた地元の人々が、どんどん集まってきてロープを引っ張り始めた。ユーディット達の健闘を見て勇気づけられたのだ。そいつはスキュラじゃないけどな!


「オーエス、オーエス!」


「いっけえええ!!」


 人々の力が一つになり、ついにクラーケンの力を上回った。徐々にだがユーディット達の方が後ろに進むようになる。この調子ならモンスターを浜辺に引き揚げることも可能だろうと思われたその時、大きな水しぶきを上げてクラーケンが海上に飛び上がる。


「うわああああ!」


「にゃああああ!」


 勢いよく引っ張られたユーディット達が、ロープを離して地面に倒れる。クラーケンは暴れながら海中に逃げていった。




「なんだああああ!?」


 そんな戦いが海上で繰り広げられている間、海中にいたモルガ達は激しく暴れるクラーケンが巻き起こした水流に巻き込まれ、流されそうになっていた。幸いスキュラは吸盤で海底の岩に貼りつき難を逃れたが、モルガは必死に泳いで耐えるしかなかった。


『モルガちゃーん!』


 必死に手を伸ばすスキュラに、モルガも手を伸ばしてつかまろうとする。だがそこで、クラーケンが身体を跳ね上げ、ジャンプをした。急激に強まった水流に巻き込まれ、流されていくモルガは自分の意識が遠のいていくのを感じた。万事休すか!?


――目覚めよ。


「へっ?」


 暗くなっていく視界の向こうから、聞いたこともない神秘的な声が呼びかけてくるのを感じる。モルガは声の主を探して視線を巡らせる。暗くなっていた視界が、また明るくなった。


「いや、眩しいよ!」


 明るすぎた。モルガの視界は海底とは思えないような眩い光に埋め尽くされていく。


――汝、我が化身アヴァターラの力もて、災厄を鎮めよ。〝言葉〟を口にするのだ。


 瞬時にモルガは理解する。必要な〝言葉〟が頭の中に流れ込んできた。これを口にすれば何が起こるのかも、完全に把握した。


 元通りになった視界の中には、必死に呼びかけるスキュラの顔が見える。モルガは彼女を心配させないように笑顔を作ると、身体を反転させてクラーケンに向き直る。海の底へと逃げていく怪物をその目で見据え、落ち着いた声で〝言葉〟を発した。


「ニルヴァーナ!」


 次の瞬間、モルガの身体を覆っていた魚のオーラが実体化する。一気に巨大化し、頭から生えた角をクラーケンに向けて神魚マツヤが突き進んだ。その姿はまるで海を貫く一本の矢である。


『ヂュウウウウウ!』


 濁った悲鳴を上げながら、その身体を貫かれたクラーケンはマツヤと共に海上に持ち上げられていった。




「な、なにあれっ!?」


 陸ではユーディット達が、海の中から突きあがる巨大な角と、それに串刺しになったクラーケンの姿を目撃する。クラーケンを串刺しにしたマツヤはそのまま空を泳ぐように飛び、角に刺さったモンスターを浜辺に投げ捨てると再び海に飛び込んだ。ユーディットの姿を見つけたモルガが「ヤバい」と思ったためだ。一体何がヤバいのかは本人にも分からない。きっとスキュラの胸に顔をうずめてちょっと気持ちいいと思っていた後ろめたさが、彼を突き動かしたのだろう。


 ポカーンと口を開けて見ているユーディットの前に、力尽きたクラーケンが地響きを上げて落ちてくるのだった。

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