第35話 夜の街並

 微睡まどろみから、ゆっくりとほどけてゆく。

 再び目を閉じたけど、どうにもすぐに眠りに落ちる気配はない。

 仕方なく、起き上がる。

 仲間の心地よい寝息を背中で聞きながら、暗闇に慣れた目で、音を立てないように注意を払って俺は宿を出た。


 天井の高い広大な空間が、薄闇に支配されていた。階層フロア中央の聖支柱ホーリースパインが、ほのかな燐光を伴って、周辺を柔らかに照らしている。

 時間を切り取ったように、静謐で、幻想的な光景。

 人工的に作られた夜のとばり外魔獣モンスターにすら、休息という恩恵を与えていた。

 

 宿の周りを歩いていると、小岩に腰を下ろした小柄で見慣れた後ろ姿。クリスティだ。


「……隣、いいか?」

「あ、ヤマトさん。どうぞ」


 腰を浮かして横に動き、場所を作る。俺は隣に腰掛けた。


「いつからここにいるんだ?」

「ん……一時間前、くらいからかな」

「少しは休まないと、明日に響くぞ」

「うん……分かっている。分かっているんだけど、なんだか夜が怖いんです」

 

 夜が怖い。

 当たり前の言葉なのかもしれない。

 冒険者フリーファイターなら迷路ダンジョン内で体を休めることが多いだろう。夜間では、いくら外魔獣モンスターも活動が鈍るとは言え、警戒を怠ることは自殺行為に他ならない。

 その夜を怖いという心情は、ごくごく普遍的。

 だが。


「夜って不思議ですよね。外魔獣モンスターだって休む時間。でも私には、すべてが止まってしまうように感じられるんです。生きているのに息をしていないような、大切な何かを忘れてしまうような、そんな気がして。それが、怖いんです」


 クリスティは「変ですよね、私」と語尾を弱めて俯いた。彼女の言う「怖い」とは、冒険者フリーファイターとしての視点からではなく、また別の解釈があるようだ。


「……なあ、クリスティ。お前はなんで冒険者フリーファイターなんてやってるんだ?」

 

 ここまで行動を共にして、感じていた疑問。それをぶつけてみた。

 アルベートはともかく、クリスティは戦闘が得意という訳でもない。治癒魔法ヒーリングは使えるが、まだまだ未熟でエリシュのそれと比べれば、到底足元にも及ばない。


「私はね、孤児だったんです。孤児は訓練も碌に受けられないまま、剣を持てるようになれば兵士として最前線に立たされる。……だけどマルクさんが階層主フロアマスターだったときは、そんなことはなかったんです」

「……どうしてだ?」

「マルクさんが自分のお金で孤児院を立ち上げたからです。その孤児院の名前が『金の匙』。チーム名の由来です。……国からの援助もないから当然生活は苦しくて、生きていくので精一杯。それでも幼いまま戦場に立たされることはなくなりました。食べるものも少なくても、お腹いっぱい食べることなんてできなかった。だからね、『金の匙』なんです。掬うものが少なくても、立派な大人に育ってほしいって、願いから。もちろん金の匙なんて高価なものは、孤児院にはなかったですけどね」


 クリスティは力の篭った瞳で前を見据えた。

 宿屋は高台に位置しており、ここからは居住階層ハウスフロアが一望できる。

 眼下に広がる粗末な建物群には、ぽつりぽつりとしか明かりが灯っていない。

 明日を無事に生き抜くため、街は偃息えんそくに抱かれていた。


「……ねえヤマトさん。ヤマトさんの探している人って、どんな人なんですか?」

「名前は玲奈っていうんだけど……俺の何よりも大切な人なんだ。あったかくて、優しくて、かわいくてな……。俺、アイツのためならなんだってできる、命だって賭けられるって、そう思える人なんだ」

「……レイナさん、ですか。素敵な名前ですね。ヤマトさんにそこまで想ってもらえるなんて、きっと幸せなんだろうなぁ。羨ましいです」


 クリスティの顔に優しさに満ちると、そのまま天を仰いだ。


「クリスティは、好きな人とかいないのか? ……ほら、たとえばアルベートとか」


 目を見張った顔が勢いよく向けられる。そして愉快そうに顔を崩して笑い出した。


「うふふ……ごめんなさい。アルベートとは半年前に知り合ったばかりだし、そんな気持ちは感じていません。そうですね……いつも私のことを心配してくれる、後輩だけどお兄ちゃんって感じかな? 好きとかそういう気持ちとは、違うと思います」


 目尻を下げ、再び遠くを見つめて思いを馳せる。

 今のクリスティには、冒険者フリーファイターの肩書きはない。潤んだ瞳から放たれているのは、恋に憧れる少女の眼差しだ。


「……いつか、私にも好きな人ができるかなぁ」

「きっとできる! 愛の力は偉大なんだ。自分を変えられるほどにな!」


 意気揚々と立ち上がった俺に、呆気に取られたクリスティはすぐに笑みを取り戻す。その顔を見た俺も、自然と莞爾かんじがこぼれ落ちた。

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