第371話 悪あがき

 機兵が散開し、空中に留められていたデモンズアイが大闘技場コロッセオの瓦礫の上に落ちる。咄嗟にアルフェとホムが僕を庇うように身を伏せてくれたが、予想していたとおり爆発は起こらなかった。


「……にゃはっ。これは危機一髪ってことでいいのか……?」

「アルフェとリリルルが魔界からの供給を断ってくれた。今は自爆出来るだけの邪力がないんだ」


 注意深く探るように様子を窺うファラの言葉に頷き、僕はアムレートの魔法陣をざっと見渡す。デモンズアイの落下で飛び散った血涙で汚れてはいるが、魔法陣そのものは消えてはいない。多少の欠損はあるかもしれないが、相手が魔族とはいえ、その血程度で塗り潰されてしまうような脆弱な術式は描いていないので、不安は殆ど無かった。


「今のうちに、アムレートを再起動しよう」


 欠損は僕のエーテルで補い得る。術式に残っているはずのエーテルの通り道に、僕のエーテルを最大化して流すイメージを持てばいい。普通の人間では成し得ない荒技だが、エーテル生成過剰症候群の僕ならば、圧倒的なエーテル量で魔法陣を補い、再起動することが出来るのだ。光のイメージを自分のものに出来た今なら、それが可能だという自信もある。


 僕は数歩歩み出て、描いた魔法陣に両手をつく。エーテルを流すイメージを思い浮かべただけで、魔墨で描いたエーテルの通り道が金色に輝くのが見えた。


「術式再起動――」

『調子に乗るなよ、虫ケラども! 貴様らだけでも粉々にしてやる!』


 僕の声を使役者の怒声が遮る。


「……させない」


 アルフェが耳許で囁いて僕を抱き締めた。


「大丈夫だよ、アルフェ」


 僕は魔法陣に手を当てたまま、アルフェの手に頬を寄せる。僕たちの光はここにある。いつだって希望を見失わないでいられる。


「女神の加護よ、聖なる光よ。穢れを払い、悪しき者どもを退けよ――アムレート」


 詠唱に反応し、光魔法結界アムレートが再起動を始める。光の結界は再び半円状に広がり、街を包み始める。


 僕のエーテルで魔法陣の欠損を補いながらゆっくりと、それでも確実に魔族たちを浄化させながら聖なる光で街を照らしていく。


「「おお……。世界が再び光で満たされるぞ」」

「魔界から切り離されたデモンズアイも、これまでか……」


 大闘技場コロッセオに墜落したデモンズアイが、瓦礫の間から覗いている。血涙にまみれたデモンズアイは、まるで光に熱されているかのように蒸気を噴き上げて縮んでいく。


『ぐああっ……。ぐ……ゆ、許さん、許さんぞぉおおおおっ!!』


 喉が焼き切れたような掠れた怒声が、使役者から響いている。使役者もまた、どこかでアムレートの影響を受けているのかもしれない。でも、もうすぐ決着はつく。


「……ん? なんかデモンズアイの様子が変じゃないか?」

「ホントだ~。何か膨らんで……」


 異変に気づいたのはファラとヌメリンだった。


「残る邪力で自爆する気!?」


 エステアが最悪の予感に引き攣った声を上げる。それと同時に、散開していた機兵四機が、噴射式推進装置バーニアで急接近してきた。


『お前たち! 伏せろ!』


 駆けつけたナイルたちが、僕たちを護る盾となり、大闘技場コロッセオに落ちたデモンズアイと僕たちの間に立つ。


 アムレートの結界は、もうエーテルが行き渡っているので機兵に踏まれたところで影響はない。恐らくデモンズアイの自爆にも耐えられるだろう。生身の僕たちは無事でいられる保証はないけれど。


「「リリルルも力を出し尽くそう」」


 リリルルが機兵と機兵の間に立ち、全く同じ動きで魔導杖を構える。


「「吹き荒れる暴風よ、荒れ狂う嵐の渦よ。我が意に従いて防壁となり、我らを守れ――ストーム・ヴェール」」


 リリルルの詠唱に反応し、僕たちの周りに球体状の暴風の渦が形成される。僕たちを護る暴風の渦は、例えデモンズアイが自爆したとしても、その衝撃を撥ね除けてくれるはずだ。


『無駄だ、無駄ぁああああっ! これで虫ケラどもも終わりだ、くたばれぇぇぇえ!!』


 だが、僕たちの防御を嘲るように、使役者が呪わしい声を上げ、デモンズアイの異変は益々醜く酷くなっていく。ぼこぼこと歪に膨らむデモンズアイによって大闘技場コロッセオの瓦礫が押され、音を立てて崩れていく。


「お、おい……。ヤベぇんじゃねぇか?」


 機兵四機とリリルルの防護魔法に護られていたとしても、無傷では済まないと思わせるような異様な光景が不吉な予感を連れてくる。


「かといって、今更逃げることも出来ませんね」


 危機感に頬を引き攣らせたヴァナベルに、プロフェッサーが苦く笑って応えた。蒸気車両もリリルルの防護魔法に護られてはいるが、暴風による防護壁の中にいる以上、そこから抜け出すことは出来ないのだ。


「大丈夫、大丈夫……」


 アルフェが祈るように繰り返しながら、僕の手を握りしめる。立っているのも辛いだろうに、万一に備えて僕に寄り添うことを決して止めない。


 ――大丈夫だ。きっと……


 デモンズアイが膨らむ速度とアムレートの効果がせめぎ合っている。その証拠が歪に膨らむデモンズアイの姿なのだ。それを完全に封じられないことがもどかしいが、僕たちは耐えきれるはずだ。耐えて、生き延びて、そして――


 必死に希望を頭の中に思い描くが、デモンズアイの落ち窪んだままの眼窩がこちらを向いた瞬間、背筋を冷たい汗が流れたのがわかった。


 膨れ上がったデモンズアイは瓦礫の中で、蠢くように揺れ、深淵のような漆黒の眼窩をこちらに向けている。


『来るぞ。衝撃に備えろ!』


 デモンズアイの動きが止まり、赤く明滅を始めたその時。


「おい、貴様。悪あがきが過ぎるぞ」


 上空から声が降り、黒い斬撃のようなものがデモンズアイを切り裂いた。


「え……?」


 目の前の光景に思わず声を上げたのは、エステアとホムだ。次の瞬間、デモンズアイの膨らんだ身体が弾け、夥しい量の血が噴き出して萎んでいく。


「今のは……?」

「あたしの魔眼でも動きを追うのがせいぜいだった……」


 ホムの問いかけにファラが首を横に振る。何が起きたのかわからなかったが、デモンズアイが切り裂かれ、脅威が去ったことだけは理解出来た。


「「誰かいるぞ」」


 リリルルが上空を指差し、ストーム・ヴェールによる防護魔法を解く。暴風が止み、風が凪ぐと、僕の目にも上空に留まるその人物の姿を捉えることが出来た。


「ハーディア……」

「ふん、行儀悪く撒き散らかしおって。魔族というものはどうしてこうも品がないのか」


 尊大な物言いで大闘技場コロッセオを見下ろしているのは、建国祭で出逢った謎の少女、ハーディアだった。


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