第349話 戦闘の爪痕

★リーフ視点


 アーケシウスの頭部から見た光景は、壮絶の一言ではとても表せなかった。


 まるで人魔大戦の再来のように、無数のレッサーデーモンの死骸が折り重なって倒れている。火炎魔法によって干からびたデモンズアイの血涙が、煉瓦の上にこびりついて禍々しい紋様のように広がっている。酷い光景だが、皆の奮闘により、人的被害がほぼないことが、今のところ唯一の救いと言えるだろう。


 人魔大戦を経験しているとはいえ、同じ高等部で学んできた生徒の遺体を目の当たりにしたら平静を保つのはかなり難しい。グラスであった頃の僕ならば、単に事実を事実として受け止めるだけなのだろうけれど。


「はぁ~い、消毒、消毒~!」


 魔女の箒を駆使して上空を縦横無尽に走るマチルダ先生の火炎魔法と風魔法の処置により、吐き気を催すような異臭も屍臭もかなり緩和された。脅威の根本が去った訳ではないものの、襲撃が止んだこともあり、漸く息が出来るようになった気がする。


 狙撃を担っていたマリーとメルア、監視役のリリルルがジョスランの運転する蒸気車両で到着し、校舎側の情報をプロフェッサーらに伝えている。僕たちを含めた前線の動きを伝えてくれているのは、ファラだ。魔眼を駆使して周囲の情報を誰よりも把握しているという点で、彼女に任せるのが適任だろう。


 アーケシウスの上に立っていたアルフェも、今は昔のようにその頭部に座って足をぶらぶらとさせている。楽しい時のアルフェの足の動きとは違うけれど、その動きをすることで心を脅かしている強い不安を追い出そうとしているのだろう。


「……ありがとう、アルフェ」


 僕が呼びかけるとアルフェは目を合わせて微笑んだ。


「ありがとうはワタシの方。一緒に戦わせてくれて、本当にありがとう」

「本当は恋人を危険には巻き込みたくないのだけれど、アルフェも同じ気持ちだろうからね」


 敢えて恋人という言葉を選ぶと、アルフェの頬が薔薇色に染まった。嬉しいという気持ちをアルフェは表情だけでなく、全身から滲ませているのがわかる。他人なら見逃してしまうような細やかな仕草は、赤ん坊の頃から一緒に過ごしてきた僕だけが知っているアルフェの内心を知らせてくれる。


「だって大好きなんだもん。もし……ううん、一緒にこの場を乗り越えて、これから恋人から家族になるの」

「うん、そうだね。僕もそうしたい」


 心からそう思う。今まで黙っていた進路のことも、これから家族になることを踏まえれば、たとえ離ればなれで学ぶことになっても些細な期間だ。


 ――僕の一生をアルフェに捧げる。


 これが僕がアルフェに出来る、最大級の愛だ。母上と父上が僕を慈しみ育ててくれたからこそ、その覚悟も大切さも理解出来る。ホムにもそれを教えてあげられる。


「マスター!」


 声の方に視線を向けると、ホムとエステアが前線からこちらに戻って来るのが見えた。エステアに気づいたプロフェッサーが、彼女の元へとゆっくりと歩を進めていく。その足許で、マチルダ先生の火炎魔法は炭化魔法へと変化し、レッサーデーモンの死骸は灰となって地を這う風に流れていく。


「僕たちも降りようか、アルフェ」


 エーテル遮断ローブを羽織り、アルフェを促す。


「うん」


 アルフェは頷くと、柔らかな風を起こして僕の身体を持ち上げ、アーケシウスから降りる手助けをしてくれた。


   * * *


「……到着が遅くなりました。よく、持ちこたえてくれましたね」

「先生方の指導の賜物です」


 プロフェッサーの言葉に、まだ乱れたままの呼吸をどうにか整えながらエステアが微笑む。先生方を含めた大人たちの到着――とりわけ、公安部隊がついたことで、絶望的と思われたこの状況にもやや余裕が生まれたと言えるだろう。


「皆で力を合わせ、脅威に立ち向かった。わしの生徒の今学期の成績は全員満点だな。……異論ありませんか、クリストファー・ペールノエル少佐」


 タヌタヌ先生が知らないはずのプロフェッサーの本名を呼び、危うく反応しそうになってしまった。生徒会総選挙の時もそうだったが、公安部隊を率いていたことで正体を明かしていると見ても良いのかもしれないが、確証がない。


「勿論です、タヌタヌ先生」


 プロフェッサーは敢えて階級である軍曹ではなく、敬意を込めてタヌタヌ先生の名を呼んだ。そして、改まったように姿勢を正し、僕たちを見渡した。


「私の身分を隠している場合ではなくなりました。私は、アルカディア帝国軍の公安部隊に所属するクリストファー・ペールノエル少佐として、今後の指揮を執ります」

「現場の指揮を……?」


 プロフェッサーが身分を明かしたことに疑問はない。だが、違和感を持って僕はプロフェッサーの言葉を繰り返した。これだけの現場の指揮を執るのならば、公安部隊ではなくアルカディア帝国軍の本隊が出るべきなのだ。だが、プロフェッサーの口からは公安部隊以上の軍を示唆する言葉が全く出て来ない。


「……リーフ、どうしたの?」


 アルフェに問いかけられたが、上手く反応することが出来なかった。今から紡ぐ僕の言葉、その予感を聞いたアルフェの表情を見たくないと反射的に思ってしまった。


「駐留軍が、来ない……」


 プロフェッサーとタヌタヌ先生に視線を向けたまま、僕は呟きを漏らした。タヌタヌ先生は険しい顔で目を逸らしたが、プロフェッサーは苦く笑っただけだった。


「……ええ。聡明な貴方なら気づくと思いましたよ、リーフ。駐留軍は、既にこの街を離れました」

「はぁ!? 駐留軍だろ!? 有事に働かなくて、どうするんだよ!」


 ガイストアーマーから飛び降りたヴァナベルが怒りを露わにしてプロフェッサーに詰め寄る。それを制したのは、マリーの落ち着いた声だった。


「……ん~……。働いたからこそ、街を離れているのではなくて?」

「そのとおりです、マリアンネ中尉」


 マリーの指摘にプロフェッサーが深く頷く。会話を聞いていたメルアが、思い出したように手を叩いた。


「あ~!! なんか街から離れてく陸上艦があるとは思ったけど、あれって魔族の迎撃とかじゃなくて、脱出に使ったってことぉ~!?」

「そうです。上空での異変が確認されると同時に、この街を訪れていた貴族たちはいち早く港湾区へ向かい、駐留軍の陸上艦を脱出艇として使うよう命じたのです」


 淀みなく事実を伝えるプロフェッサーには、軍部の情報が正しく伝わっているのだろう。恐らくプロフェッサーがこの学園に残っているのは、貴族階級の生徒がまだ脱出できていないからだ。


「ったく! 貴族ってヤツらはこれだから好きになれねぇぜ! なんでもかんでも、身分だの権力だの……自分さえよければ、他はどうでもいいのかよ! なあ、リゼル!」

「……そういえばぁ~、リゼルもライルもいないねぇ~」


 苛立ちを露わに足を鳴らすヴァナベルに、ヌメリンがのびやかな声を返す。その声にヴァナベルははっとした様子で耳をぴんと立て、忙しなく周囲を見回した。


「マジか……。なあ、お前ら見なかったか!? あいつら、一体どこへ行っちまったんだ!?」

「……わからないわ。巡回に出ていたのが最後……多機能通信魔導器エニグマで、本部テントに向かうという通信があったっきり……」

「本部テントには、いなかった……」


 エステアの答えに、アルフェが不安げに呟く。無責任なことは何一つ言えないと、僕は首を横に振った。悪い想像を捨ててしまう以外に今はなにも出来ない。


「……無事を祈ろう。リゼルもグーテンブルク坊やも、簡単にはやられないはずだ」

「「リリルルを最後まで手こずらせた上に、来年の再戦を挑むだけ挑んで逃げるなんて真似はしないはずだ」」

「……うん、そうだね……」


 リリルルの言葉に、アルフェが無理に笑顔を作る。今は希望を信じるしかないとわかっているのは、アルフェも同じだ。想像力が人一倍豊かなアルフェだからこそ、それが容易でないのだけれど。

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