第323話 異変の予兆
閉門前に寮に戻った後、僕は今回の衣装に使った簡易術式を
アルフェと衣装を作りながら、様々な感情を取りこぼさないでいられるように沢山の簡易術式を組み合わせたので、かなりの分量になるのだが、こういったものは忘れないうちに保存しておいた方が良いだろう。マリーが本気なら、建国祭が終わった後に特許を申請するようにと迫られかねないことだし、今のうちに体裁を整えておくと後々のためになるはずだ。
ホムは僕が起きているならと、ギターを練習していたのだが、ふとその音色が弱々しくなって途絶えた。
呼びかけたくなる気持ちを抑えて振り返ると、ホムが静かな寝息を立てて寝落ちてしまっている。僕は足音を立てないようにそっとホムへと近づくと、ギターをケースに戻し、壁に寄りかかるように寝落ちてしまっているホムの身体をベッドに横たえた。
ホムはよほど疲れているのか、全く起きない。珍しいなと思いながら毛布をかけてやると、ホムが安心仕切った様子で小さく鼻を鳴らすのが聞こえた。
時計はもう深夜を回っている。僕もそろそろ眠ろうかと考えながら伸びをして、窓際の机に戻る。何気なく窓の方を見遣ると、外で小さな光が浮遊しているのが見えた。
不思議に思って窓辺に寄れば、誰かが明かりを手に中庭を歩いているのがわかる。暗がりに目を凝らして良く見ると、それがエステアであることがわかった。携帯用の魔石灯を携え、辺りを見回している。どうやらなにかを探しているようだ。
ホムがこれだけ疲れているのを見るに、エステアも早く寝た方がいいだろう。なにか手伝えることがあるのならと考え、僕は声を掛けに中庭まで降りることに決めた。
万が一、イグニスの妨害かなにかだった時に備えて、
* * *
「そこにいるのは誰!?」
中庭に降りてすぐ、エステアの魔石灯が僕を照らし出した。
「僕だよ」
近づいてくるのが僕だとわかり、エステアが緊張を解いて魔石灯を下ろす。
「こんな時間にどうしたんだい?」
「リーフこそ、どうしたの?」
「君の姿が見えたから、どうしたのかと思って」
「……ホムは?」
「よく寝てるよ」
「……そう。今日の演奏もかなり集中していたから、疲れたのかもね。ホムの申し出とはいえ、慣れないことをさせて申し訳ないわ」
「そんなふうに思う必要はないよ。それよりなにを探しているんだい?」
エステアに話をはぐらかされないように、元の質問を重ねる。
「リーフには隠し事なんて出来そうにないわね」
エステアはどこかホッとした面持ちで溜息を吐き、声を潜めた。
「……それがね。最近、寮の床下から動物の鳴き声みたいな変な音がするっていう訴えがあって……。最初は、ネズミかなにかだろうって放置してたんだけど、今夜になって、肝試しに出歩く学生が現れたの」
「こんな時間に?」
貴族寮の方を見てみると、確かに幾つかの部屋はまだ明かりが灯っている。
「ええ……。さすがに学園の治安を乱すから、私が代表して見廻りに」
「そういうことなら、僕も手伝うよ。音の正体を突き止めればいいのかい?」
生徒会長というのも大変だな。こうしたことが頻繁にあるとは思いたくないけれど、どんなに疲れていても生徒のためにすぐに行動出来ることが求められるのだから。だからこそ、副会長を始めとした組織というものが必要になるのだろうな。
「せめてどこから聞こえているかわかれば……。多分、寮の下を通る地下道じゃないかと思うのだけれど」
「それをそのまま伝えて、今夜のところは寮に戻るというのは出来ないのかい?」
出来ることなら少なくとも今日のエステアには早めに休んで欲しいものだ。だが、エステアは申し訳なさそうに首を横に振った。
「考えなかったわけではないのだけれど、イグニスがなにか仕掛けていたらと思うと、私も不安で……」
ああ、やはりエステアもその不安を抱いているのだ。だとすれば、その不安の種が小さいうちに取り除くのがいいだろうな。ここでなにを言っても気休めにしかならないことは、僕もわかっているのだから。
「見えないものほど不安になるというからね。じゃあ、僕も付き合おう。生徒を代表しているということなら、生徒会副会長の僕も出歩く理由になるだろうからね」
「……ありがとう、リーフ」
僕に反対されると思っていたらしく、エステアは意外そうに目を瞬いたあと、ゆっくりと僕に感謝の気持ちを伝えてきた。
「どういたしまして。こういう時のための副会長だろうからね。じゃあ、ひとまずその地下道を見て回ろう。出入り口はわかるのかい?」
「もちろん。守衛さんから鍵も借りてきてあるわ」
エステアはそう言うと、腰に提げていた鍵束を僕に示した。
* * *
地下道への入り口は、貴族寮の裏手にあった。以前に街で見かけた赤い鋼鉄製の扉がその入り口になっていたのだ。
「かなり錆び付いているわね。誰かがここから進入したわけではないようだけど」
鍵を開けながらエステアが呟く。長く風雨に晒されたままになっているらしく、鍵穴から赤い鉄錆が剥がれ落ち、エステアの指先を汚すのが見える。
「そのようだね。じゃあ、やっぱり動物かなにかが迷い込んだのかもしれないね」
「……そうだといいのだけれど……」
赤い扉も僅かに歪んでいるらしく、ギィギィと軋みながらゆっくりと開いていく。開け放たれた地下道への入り口は、真っ暗だ。
「心配なのかい?」
僕の問いかけをエステアは否定しなかった。
「ええ。決めつけると他の危険性を見失ってしまう。建国祭を成功させるために、どんな懸念も出来るだけ排除したいの」
エステアの真摯な眼差しから、彼女がどれだけの重責をその背に負っているかが窺える。彼女を支えるのは、副会長を引き受けた僕の役目だという実感が改めて湧いた。
「僕もそう思う。仮にイグニスが建国祭を妨害しようと考えているのなら、地下水道に魔獣を放って混乱を招くことも厭わないだろうからね」
「そうではないことを祈るわ」
エステアが苦笑を浮かべ、暗い地下道を険しい顔で見つめる。やはりエステアはイグニスに対してかなりの懸念を持っているのだろうな。それがわかった以上は、僕としてもあらゆる可能性を考えておく必要があるだろう。
今までは不安にさせまいと考えていたが、それは多分間違いだった。エステアは、自身がどんな不安に苛まれようとも、それに立ち向かう強さと覚悟を持っている。だとすれば、僕はそれを信じて支えるだけだ。
「……魔石灯、このひとつだけで足りるかしら」
エステアが暗い地下道に目を凝らしながら、階段の一番上に立つ。魔石灯を掲げると階段の下に、巨大な地下空洞が広がっているのが見えた。地下道と呼ぶには、あまりにも広く堅牢な空間には、古い型ではあるが魔石灯が連なっているのも見える。
「いや、多分必要ないよ」
僕はエステアの隣に並び、壁に手をついて地下道全体にエーテルを流すイメージを重ねた。魔石灯を灯す時、普通はこんなやり方をしないのだけれど、僕の無限に湧くエーテルを使えば、壁伝いにこの地下道の全ての魔石灯を灯すことが出来る。
「……すごいわ、リーフ」
「まあ、エーテルならほとんど無限に湧き出てくるからね」
エーテル過剰生成症候群という病気ではあるけれど、これはこれで使い方によっては便利なのだと微笑む。エステアは頷き、腰に提げた刀の柄に触れながらゆっくりと階段を降り始めた。
今のところ不穏な物音は聞こえてこない。地下を流れる水の音と僕とエステアの足音が響くだけだ。それにしても、この巨大な地下道、どこかで見たような気がするな。
「初めて来たけれど、凄く広いのね。単なる地下道や水路とは思えない……」
エステアの呟きで、漸く思い出した。この既視感は、
「多分だけど、人魔大戦の頃に作られた地下防空壕じゃないかな」
少し濁して伝えると、エステアは納得した様子で興味深く地下道を見渡した。
「じゃあ、入り口に赤い扉をわざわざつけているのは、避難場所である地下防空壕の目印となるように目立たせているためなのかしら」
「きっとそうだろうね。街の中でも同じ扉を見たから」
エステアの言葉に相槌を打ちながら、地下道を進む。通路の中央を水が流れているところから察するに、どうやらこの地下防空壕は現在では都市の地下を繋げた地下通路と水路を兼ねているようだ。
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