第189話 エキシビジョンマッチ

 エキシビジョンマッチの開始時間よりもかなり早く入場したので、一通り闘技場の様子を観察した後は、早めの昼食を兼ねた軽食を摂りながら過ごすことにした。


 特別観覧席は席だけではなく、飲み物と軽食もサービスでついてくるらしい。お小遣いで飲み物や食べ物を買うつもりだった僕たちは、案内係の女性が運んできたバスケットに面食らってしまった。


「なんだか、至れり尽くせりって感じの席だね」

「プロフェッサーにはしっかりとお礼を言わないとね」


 バスケットの中には、三人分の飲み物とお菓子、一口サイズのサンドイッチが品よく詰められている。こんなに良い席を無料ただで譲ってもらったからには、なにか見返りがあった方が良いだろうな。


 プロフェッサーが喜びそうなこと……と考えると、やはりあのレポートを完成させる他はないようだ。再現性は低いと最初に伝えてあるわけだけど、術式を描くのに使う血にも一工夫しておいた方がいいだろうな。さすがに僕の血を使うわけにはいかないから、魔力の高そうな魔獣の血をメルアに相談して調達することにしよう。それとも、浄眼の持ち主が見れば、あのブラッドグレイルに僕の血が使われていることは明らかなわけだし、数滴くらいなら混ぜておいた方がそれっぽくなるだろうか。


 とにかく、あの魔導杖のブラッドグレイルは規格外の偶然の産物ということにするのだから、その半分くらいの性能を再現してプロフェッサーに納得してもらわなくてはな。


「あっ、そろそろ始まるみたいだよ」


 魔導杖のレポートに思案を巡らせているうちに、かなりの時間が経ってしまったようだ。アルフェの呼びかけに闘技場の方へ視線を移すと、栗色の髪を後ろに撫でつけた上下一揃いの白い服の男性が闘技場の中央へ歩を進めているのが見えた。


「きっと司会の人だよね!」


 アルフェが声を弾ませて前面のガラスに寄る。ホムもバスケットを片付け、興味深そうに眼下の光景を見守っている。


 ああ、そういえば映像盤を通じて中継が行われるのだったな。手にしている小型拡声魔導器マイクを通じて、司会の声も大闘技場コロッセオの内外に響くようになっているようだ。


「レディースエーンド、ジェントルメーン! 皆様、長らくお待たせ致しましたぁ!」


 司会の男性が、良く通る声で高らかに呼びかける。その声に会場のざわめきが一瞬にして止み、闘技場中央に立つ司会者に注目が集まった。


「只今より、武狭宴舞ゼルステラエキシビジョンマッチを開催致しまぁす! わたくしは、司会のジョニー、ジョニー・スパロウ! どうぞお見知りおきを!」


 ジョニー・スパロウと名乗った司会者が、大きく左手を上手に向かって広げて頭を垂れ、同じように右手を下手に、最後に両手を広げて正面に向かって深々と頭を垂れる。司会のジョニーが礼をするたび、その方向の客席から拍手が湧き、最後の一礼が終わると割れんばかりの拍手となって闘技場を包み込んだ。


「すごい、すごい!」


 アルフェとホムも拍手を送りながら、高揚に頬を染めている。いよいよエキシビジョンマッチが始まるという来場者の期待は、司会の登場によって早くも高められ、大いに盛り上がりを見せはじめている。


「さあ、皆様お待ちかね! 選手入場でぇええええす!!!!」


 司会のジョニーが大きく左手を広げ、上手にある入場口を示す。機兵が悠々と通ることの出来る大きな半円状の入場口にかけられていた真紅の幕がさっと翻ったかと思うと、カナルフォード軍事大学のエースチーム『バーニングブレイズ』の真紅のレーヴェが姿を見せた。


「皆様ご存じ、前期大学リーグの覇者、バーァアアアニング、ブレイズゥウウウウウーーーーー!!!」


 ナイル、ヒース、アメリが搭乗する機体が、実に人間的な滑らかな動きで闘技場に入ってくる。大学リーグの優勝チームとあって、三機の真紅のレーヴェは、動力や性能が段違いに良いことが伝わってくる。機兵特有の関節のぎこちなさがほとんどなく、駆動音も静かで耳に心地良い。特別観覧席の天井付近に取り付けられた集音魔導器から伝わってくる音のおかげで、機兵の存在をリアルに体感できることもあり、つい観察に没頭してしまう。


「リーダー、ナァアアアアイル! そして中距離攻撃型のヒィーーーース! 大学リーグの陰の立て役者、狙った獲物は逃がさない、必中のアメェエエエエエリィイイイイイイッ!」


 司会のジョニーの選手紹介に合わせて、それぞれの選手のファンが歓声を上げている。


「すごい人気だね!」

「ナイル選手の戦い方が参考になりそうです」

「ワタシはアメリ選手に注目する!」


 機兵の持つ武器を見る限り、剣を持つナイルが近接型、槍を持つヒースが中距離型、そしてクロスボウを持つ後方支援型のアメリと役割が分担されているようだ。三人一組のチームならではのバランスの良さが感じられるな。


 闘技場中央へと進んだ三機は、機体の手を挙げて声援に応じている。美しく輝く真紅のレーヴェに向けて、多くの観客が写真魔導器カメラのフラッシュが焚かれているのが実に華やかだ。


「ふふふふ、それでは、『バーニングブレイズ』のリーダーに、本日の意気込みを伺いましょう~!」


 司会のジョニーが拡声魔導器を機体に向ける仕草をすると、ナイルの機体が正面の中継用の撮影魔導器カメラに向き直る。


「誰が相手だろうが関係ない、俺たち『バーニングブレイズ』は必ず勝つ!!」


 ナイルの好戦的な発言に、観客席から声援と黄色い悲鳴が響いてくる。


「おぉーっと! ナイル選手、大胆な勝利宣言ぇええええん!」


 司会者のジョニーも拡声魔導器を握りしめ、全身で興奮を表した。


「しかぁーし! 本日のエキシビジョンマッチの相手は、難敵中の難敵! 無敗の王者は己がプライドを守り切ることが出来るのかぁああああああああっ!?」


 ジョニーが仰け反るように空に向かって叫ぶのと同時に、下手側の入場口にかけられていた青い幕が大きくはためく。


「それではぁあああああっ! 登場してもらいましょう! 機装兵セレーム・サリフゥゥウウウウウウッ!」


 青い幕が取り払われ、白を基調としたエメラルドグリーンの装甲が特徴的な機体が出現する。


「こ、この機体は……っ!」


 ホムがガラスに手をつき、身を乗り出すようにして現れた機体を見つめている。


「知っているのかい、ホム?」

「マスター、これは、この機体は――」

「鮮烈なデビューはまだ記憶に新しいぃいいいいいっ!」


 震えるホムの声は、最高潮に盛り上がる観客席の声援と司会の声によって掻き消える。僕は思わずホムの傍に寄り、ホムを抱き締めた。


「去年度の武侠宴舞ゼルステラ・カナルフォード杯の優勝チーム『シルフィード』の絶対的エェエエエーーーーーース! エステア・シドラァアアアアアアァ!!!!!」


 大闘技場コロッセオ全体が地鳴りのように揺れている。割れんばかりの拍手と歓声が輪を成して、まるで興奮の渦の中に放り込まれたようだ。


「エステア……」


 まさかプロフェッサーとメルアが言っていた選手が、エステアのことだったとは。これは参考になるどころの話じゃない。本人の今の実力を知ることができる、絶好の機会じゃないか。


「ぬわぁああああんと! 今回のエキシビジョンマッチには、たった一人で『バーニングブレイズ』に挑むというクレイジィイイイイイな挑戦だぁああああっ!」


 司会者の発言にはさすがの僕も耳を疑った。レーヴェ三機に対して、同じくレーヴェの改造機体一機で挑むには、そもそも機兵の戦闘力において既に大きな差がある。エステアは、それを操手の実力のみで凌駕してみせるつもりなのだろうか。


「白兵戦闘力が高くても、相手は大学リーグの優勝チームなのに……」

「さすがに僕もどうかと思うよ」


 困惑するアルフェは、エステアが大事なカナルフォード杯の前に怪我をしないか心配しているようにさえ見える。僕も同感だった。


 仮にチームでの出場依頼が来ていたとして、武狭宴舞ゼルステラ・カナルフォード杯を間近に控えた機兵と選手をそのまま出すのはかなりのリスクだ。それを最小限に納めようとして、一手に引き受けるなんて無茶な真似をしているのだろうか。


「果たして、エステア選手に勝算はあるのかぁあああああっ!? エステア選手、意気込みをどうぞおぉおおおおおっ!」

「出場するからには、勝つつもりで参りました。どうぞ全力で挑んでください」


 エステアのその発言で、僕は自分の認識が間違っていることに気がついた。エステアには勝算がある。彼女は、最初から自分一人でこの試合に勝つつもりなのだ。


「ハッ! それが余裕か驕りか、俺たちが確かめてやるぜ!」


 エステアの意気込みで闘争心に火がついたのか、ナイルが剣を構えて叫ぶ。


「ええ。きっとこの試合が証明してくれます」


 応じるエステアも鞘から刀をすらりと抜き放つ。エメラルドグリーンの美しい刀身が現れたその刹那、一陣の風が闘技場を駆け抜けたような気がした。

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