第95話 不幸の足音
五日ぶりに街の東側に戻り、アルフェと分かれてホムと二人きりになった。
「もうすぐ家だな、ホム」
「はい、マスター」
ホムはあの狂雷獣の革を片手で支えながら、礼儀正しく相槌をうった。狂雷獣の革は、僕では持ち上がらないほど重いのだが、ホムは片手で軽々と持っている。やはり筋力を最大値にしている効果は絶大なようだ。
けれど、ホムを構成しているのはマスターである僕が定義したものだけに限らない。今回の合宿をはじめとした様々な経験が、これからのホムを作っていくのだ。
「……五日間、本当に良くやったな、ホム」
「奥義修得は、アルフェ様の協力のおかげです。わたくしに、勇気というものを身を以て教えてくださいました」
「……そうだな」
そういう性格に定義したこともあって、ホムは自分の功績をあまり認めたがらない。もっときちんと褒めてやりたいな。あの恐怖を克服し、奥義を成功させるなんて、並大抵のことじゃないんだと教えてやらないと。
「だけど、それでも良く頑張ったよ、ホム」
「わたくしには、もったいないお言葉です。マスター」
僕の言葉が伝わっているのかどうかは不明だが、ホムの態度が少し素直になった気がする。この調子でホムの自己肯定感みたいなものを育ててやれればいいな。
「……ところで、奥義修得のお祝いに贈りたいものがあるんだけど、どうかな?」
「そんな……。良いのですか……?」
「もちろん。アルフェもケーキでお祝いしたいと言っていただろう?」
帰り道のアルフェの話を引き合いに出す。修行を頑張ったので、そのお祝いをしたいのだと既にアルフェが申し出ているのだ。それを考えれば、マスターである僕から、なにも贈らないわけにはいかない。
「……アルフェ様のケーキ……。きっと美味しいのでしょうね」
「ああ、そうか。まだ食べたことがないんだったね。きっと気に入ると思うよ」
「とても嬉しいです」
そう言う割にはホムの表情はあまり変わらないな。日常的に現れる喜怒哀楽の方にはほとんど感情抑制をかけていないのだが、やはり感情表現が乏しいのは、僕のせいなのかもしれない。僕も笑顔というものを身につけるまでは苦労したから、それと似たような状況なのだろう。
知識では知っていても、それを自分に当てはめて他者と同じように行使するというのは存外難しいものだ。
「……お祝いをしてくださるだけで、身に余る光栄です。マスターのお手を煩わせるわけには――」
「僕がそうしたいんだ。本来なら、生まれた記念になにか贈るべきだったんだけど、失念していたからね」
これは明確な嘘で、その価値はないと思っていたからだ。僕のホムンクルスへの悪感情を知っているホムは、それでも僕の言葉を否定せずに、穏やかな表情で頷いた。
「お気遣い、本当にありがとうございます。マスター」
「気遣いともちょっと違うよ。僕にもその違いを説明するのは難しいのだけれど」
思えば僕は、赤ん坊の頃から、たくさんの贈り物をもらってきた。愛情が刻まれたそれらの品々は、まだ部屋の片隅に眠っている。特にあの文字盤にはすごく世話になった。ホムにもそういう経験を与えてやりたい。これからは、もっとそれを積み重ねるべきなのだ。
「贈り物というのは、人生において重要なイベントになる。人間の世界で生きるなら、そういう文化に触れておいた方がいい」
「……マスターがその帽子を大切になさっているのは、そういうご事情なのですね」
「そうだよ。これは母上がくれた手作りの帽子だ。世界でたった一つしかない。ホムにもこうしたものを与えるつもりだ」
実用的なものがいいと思っていたし、やはり狂雷獣の革を使った耐電性の靴がいいな。脱げにくいように
五日振りに家に戻った僕たちを、両親はあたたかく迎えてくれた。僕は早速、タオ・ラン直伝の炒飯を振る舞った。カナドスープの素のお土産は喜ばれたし、父は何度もお代わりしてくれた。さすがにチャーシューは間に合わなかったので、ハムを細かく刻んで代用したけれど、これはこれで美味しかった。
翌日は、早起きして倉庫のアトリエに入った。
構想を設計図に起こして、ホムの必殺技である
靴を作るのが初めてなので、母が昔受注を受けて製作したという特注靴の型紙を参考に、時間をかけてホムに合うように調整した。
型紙から抜き型を作成し、狂雷獣の革の裁断に入る。これにはかなり力を要するのでホムに手伝ってもらった。切り取った革を
下準備が出来たところで、いよいよ縫製に入る。母から借りた
シワが寄らないように丁寧に皮を調えながらこの作業を終えると、片脚だけでもう夕方になっていた。
一日で終わるとは思っていなかったが、やはり時間がかかるな。釣り込みが一段落したところで、僕は作業を中断して、底付けのための準備に入った。
靴に機能をつけるため、靴底にはウィンド・フローの簡易術式を描きこむことにする。これで、宙に浮いたり、風を生み出して速く移動することができるようになるはずだ。
簡易術式を描いた靴底を二つ用意してから、僕は作業を再開した。
こうして作業に没頭するのは、合宿前の特製フライパンの製作以来だな。昼ごはんを忘れている気がするけれど、気にならないくらい集中してしまっている。その後もホムと両親が交代で僕を呼びに来たが、僕は作業に没頭し続けた。
* * *
ブーツの底付けを終え、接着面に当たる部分に接着剤を塗布し、自然乾燥を行う。乾燥に二日かかったが、
仕上げに、ブーツ本体のシワを
プレゼントなので表面のゴミや汚れを落とし、皮革保護用の栄養クリームを塗り込むと、我ながら惚れ惚れするようなブーツを仕上げることができた。
この仕上げにも丸一日かかってしまったが、明日のお祝いには間に合いそうだな。一応プレゼントだし、それなりの見栄えになるように包んでおくか。リボンもかければそれっぽいだろうな。
アルフェが来てくれることもあり、包装にこだわっているうちに、この日もすっかり深夜になってしまったが、これで今夜はゆっくり休めそうだ。
ホムにも手伝わせたが、縫製から先の工程は見せていないので、少しは驚いてくれるだろう。僕の作ったものだから喜ぶのは当たり前なのだが、反応が楽しみではあるな。
そんなことを考えながらリビングに入ると、まだ明かりがついたままになっていた。
テーブルの上には僕を案じてか、夜食用のパンとスープが置かれている。だが、なにかがおかしかった。
「母上……?」
リビングを進みながら、呼びかけてみる。母がいるような気がするのに、その姿を見つけられない。そして、その嫌な予感は的中してしまった。
「母上!!」
リビングと台所の間で母が倒れていたのだ。その白い腕には、無数の黒い斑点が浮かんでいた。
「……この斑点は……」
見間違えるはずもない、グラスを苦しめた
――一体どこで……。
そこまで考えてから、
「母上! 母上……! しっかりしてください、母上!」
とてつもない後悔と母を失うのではないかという恐怖に駆られ、僕は必死に母の身体を揺さぶった。目に涙がたまって、泣いている場合ではないとわかっているにもかかわらず、涙が次から次へと溢れてくる。
「母上……っ」
僕の呼び声が通じたのか、母がやっと意識を回復させ、目を開いた。
「……リーフ大丈夫? どこか辛いの……?」
涙を拭おうとして頬に伸ばされた手が酷く熱い。斑点だけではなく、高熱が出ていることに初めて気づき、僕は恐慌状態に陥った。
「違います、母上……。僕の、僕のせいで……」
僕のせいで、僕のせいで母が黒石病になってしまった。
どうしよう、どうしたらいいのだろう。
「リーフ!」
止めどなく溢れてくる涙を止められず、かといって建設的な考えを巡らせることもできずに、ただただ混乱し、泣きわめくだけになった僕を正気に戻したのは、父の力強い声だった。
「父上!」
「今、車を家の前に回してきた。ナタルを病院に運ぼう」
父はそう言うと、母を大事に抱え上げ、玄関へと向かう。僕は、血が滲むほど強く唇を噛んで自分を叱咤し、父に続いて家を飛び出した。
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