第65話 特製フライパンの錬成

 アルフェと母の意見を聞いて、フライパンは鋳物で作ることに決めた。比較的大がかりな作業になるのと、万が一を考えて庭に作業スペースを作り、植物に埋もれていた錬金釜用のかまどを整備して使えるようにした。


 準備だけで二週間近くかかってしまったが、こうした作業は嫌いじゃないのでかなり捗った。捗った理由は他にもあって、学校が終わったあと毎日アルフェが手伝いに来てくれたり、母が興味津々で様子を見に来てくれたりということが、僕にとって大きな励みとなった。


 人との関わりを嫌っていたグラスの頃には考えられない変化だと思う。けれど、僕の錬金術を楽しみにしている人がいるというのは、研究に夢中になっている時とは違う高揚感を僕に与えてくれる。今の僕――つまり、リーフとしての人生には、アルフェや両親をはじめとした周囲の人々の存在が欠かせないのだ。


 もうひとつ、セント・サライアス中学校に小学校からよく知っているアナイス先生とリオネル先生が来てくれたことも大きかった。子供では調達できないような材料が幾つかあったが、それも母と先生たちの協力で全て希望通りに揃えることができた。


「……砂型の準備、出来たよ。いよいよだね、リーフ」


 カイタバ粘土であらかじめ作っておいた二つの型を使って、カイタバ粘土を混ぜた砂で上下の砂型をそれぞれ作り終えたアルフェが、期待に声を弾ませながら微笑んでいる。


「アルフェが手伝ってくれたおかげで、予定より早く完成できそうだよ」


 手許の錬金釜では、赤くどろどろに溶けた鉄が煮えている。これを今、アルフェが完成させた鋳型の注ぎ口から砂型に流し込めば、内部に空いているフライパンの形と同じ隙間が鉄で埋まり、型を取ることができる。


「危ないから離れているんだよ、アルフェ」

「うん……」


 錬金釜を鋳型の注ぐ口に合わせて傾けると、火花とともに溶けた鉄が型に流れ込んでいく。慎重に量を見極めながら、二つの鋳型に注ぎ終える頃には、全身に汗をかいていた。


「……これで終わり?」

「鋳型の方はね。明日もまだやることはあるよ」


 約一〇〇〇度の鉄が冷える時間を考えると、今日型から外すことができたとしても、次の工程に移れるのは明日以降になる。


 次の作業は、釉薬ゆうやくでのコーティング作業だ。その前に下準備もあるから、アルフェが来るまでに終わらせておいた方がいいな。


 少々手間がかかるが、鋳物の鉄は蓄熱性が非常に高いし、同じ火加減でも、他の材質と比べてすばやく熱が伝わって温まる。これなら火力を強くしなくても、効率よく食材に熱を加えられるはずだ。



 翌日、フライパン型に冷えた鉄を鋳型から取り出した僕は、朝早くから全体に目の粗いヤスリをかける作業を始めた。


 指でざらざらとした凹凸が出来ていることを確認しながら、少しずつ進めて行く。この作業をはさむことで釉薬をより密着させることができ、コーティング部分の割れが起こりにくくなるので、ヤスリがけは丁寧に行わなわなければならない。


「リーフ、おはよう~!」


 僕が早起きすることを見越していたのか、そう時間を空けずにアルフェも庭に直接やってきた。せっかくだから、アルフェにはコーティング剤の準備を手伝ってもらうことにした。


「この火の魔石を錬金釜で煮詰めて溶かせばいいんだね。わかった」


 基礎教養の錬金術の実習で扱ったばかりということもあり、アルフェは二つ返事で引き受けてくれた。アルフェはその穏やかな性格もあって、場合によっては僕よりも丁寧な仕事をしてくれるので、こういうときにも非常に助かるな。


「キラキラしていてきれいだね」

「実習だと少しだったけど、この量だとアルフェの浄眼みたいにきれいだ」

「リーフのエーテルにも似てるかも」


 種類を問わず、魔石は材質的にはガラスに近いので、錬金釜で溶かすと半透明の液体状になる。火の魔石の輝きは、金色を帯びていて、アルフェの浄眼や僕のエーテルの色に似ているようだ。


 溶けて液体状になった火の魔石は、表面に塗るだけでフライパンのコーティング剤としての機能を発揮する。一度溶かした火の魔石は、ガラス状のまま定着し、強い遠赤外線を発生させるようになるのだ。


 この遠赤外線には、食材の組織を壊すことなく内側から加熱するという作用があるので、僕が作ろうとしていた余分な水分を蒸発させ続けるだけの熱を保つ、フライパンに仕上がるはずだ。


 ただ、この塗り作業が少々面倒なのだけれど。


 計算によれば、一ミリの半分にも満たない薄い皮膜を、フライパンに均一に塗らなければならない。ほんの少し厚みが変わっただけで、それは熱伝導のムラを引き起こしてしまうからだ。非常に繊細な作業のため、自分のペースを上手くコントロールする必要があるが、集中する以外になにも思いつかなかったので、ダメ元でアルフェに聞いてみることにした。


「……アルフェ、なにか一定のリズムを出せる魔法って知ってる?」

「一定のリズム……? お歌じゃだめかな?」


 思いがけない提案だった。


「一定のリズムが保てるならなんでもいいよ。歌ってみてくれる?」

「うん」


 アルフェは嬉しそうに頷くと、静かに息を吸い込んで歌い始めた。


 なんの歌かはわからないけれど、アルフェの優しい声が耳に心地良い。リズムも一定で、その幅は母の胎内で聞いた心臓の音に似ている気がする。


「……どう……かな……?」

「すごくいいよ、アルフェ。……その……僕が作業している間、歌っていてもらうのは難しいかな?」

「ううん。リーフが聞いてくれるなら、ワタシ嬉しい。朝から夜までだって歌えるよ」


 アルフェが嬉しそうに飛び跳ねながら大きく頷く。本当に朝から夜まで歌えるとしたら、すごい体力と才能だな。でも、アルフェならできそうな気がするから不思議だ。


「フライパンが二つあるから、少し長くなるかもだけど、途中で休憩をしながらお願いしてもいい?」

「もちろん」


 笑顔で大きく首を縦に振り、アルフェが歌い始める。僕は、アルフェの歌声に合わせて、フライパンに火の魔石のコーティングを施す作業を始めた。


 ああ、誰かの歌声がこんなに耳に心地良いと思うなんて……。しかも、大変なはずの作業がこんなにも楽しくなるなんて知らなかったな。


 アルフェは、あの小さかった赤ん坊の頃のように足や身体を動かしながら、穏やかな声で歌い続けてくれる。聞いている間、時間を忘れてしまうような感覚に包まれて、気がつくとコーティング作業を全て終えてしまっていた。自分でも、いつ二つ目のフライパンに持ち替えたのかわからないくらい、滑らかな動きが出来たのにはさすがに驚いた。


「……ワタシ、リーフの役に立てたかな?」

「アルフェの歌は本当に凄いよ。前々から鼻歌を聴くのは好きだったけど、アルフェが歌うと世界に魔法がかかったみたいになるんだ」


 感動すら覚えながら伝えた僕の言葉を、アルフェはひとつひとつ噛みしめるように頷きながら聞き、それから少し照れたように頬を染めて頷いた。


「……リーフに聴いてもらえるのが嬉しくて……。ワタシ、もっと歌ってもいい……?」

「アルフェの声ならずっと聴いていられるよ。……あ、でもあまり長時間は喉にも良くないだろうし、声が枯れないか心配になっちゃうな」


 けれど、その心配がないのなら、一日中聴いていてもきっと飽きないな。確か、蓄音魔導器レコードというものが開発されていたはずだ。それでアルフェの歌声を保存できるように自作するのも面白そうだ。そうすれば、いつでもこうして聴けるはずだ。


 アルフェの歌のおかげでコーティング作業は予定よりも捗り、フライパン作りも佳境に入った。コーティング剤を塗布したフライパンは、数日かけて自然乾燥させたあと、錬金釜を加工した釜で焼成し、火の魔石と鋳物フライパンの表面をしっかりと密着させた。


 いよいよ最後の仕上げ――フライパンの側面に簡易術式を描く作業だ。


 ちょうど先日、面白い簡易術式を見つけたので、まずは試してみよう。


 その術式の名称は『油分剥離ゆぶんはくり』といい、清掃業者のために開発された簡易術式らしい。この簡易術式にエーテルを流して起動すると、物体に張りついている油分が浮き上がるという効果を生む。フライパンにこの『油分薄利』の簡易術式を施せば、油汚れや焦げによるこびりつきが浮き出るはずだ。


 この術式に、さらにこの時代のルーン文字の新字『水流』と『渦潮』を描き加えると、僕のオリジナルの簡易術式が完成する。


 使用後のフライパンを洗う際には、エーテルを流すだけで『油分薄利』の簡易術式によって汚れが浮き上がり、さらに、フライパン内の水が渦巻き状に回転して自動でその汚れを洗い流してくれるのだ。


 簡易術式を魔墨まぼくで描き終えた後は、用意しておいたウッドハンドルを取り付けて完成となる。素材には、エーテルを伝達できる木材であるスモークウッドを選んだ。


 煙にくすんだような色をしているスモークウッドは、思っていた以上に鋳物のフライパンに良く似合った。


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